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2023年06月14日

門脇家住宅(かどわきけじゅうたく)は鳥取県西伯郡大山町にある歴史的建造物

門脇家住宅(かどわきけじゅうたく)は鳥取県西伯郡大山町にある歴史的建造物。国の重要文化財。

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概要
伯耆国汗入郡所子村(現鳥取県西伯郡大山町)の大庄屋・門脇家の屋敷として建てられた旧家。

明和6年(1769年)に三代目、門脇本右衛門により建てられたもので、改造も少なく、保存状態も極めて良い状態で現存している。 伯耆国特有の寄棟造で建てられており、主屋の他茶室や庭園などを持つ。

主屋は昭和49年(1974年)に国の重要文化財に指定され、付属建物3棟と宅地は平成5年(1993年)に追加指定された。平成8年(1996年)には鳥取県の県民の建物100選に選定された。

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文化財指定
以下の建造物4棟と土地が重要文化財に指定されている。
主屋:明和6年(1769年
水車小屋:19世紀後半建立
米蔵:明治35年(1902年)建立
新蔵:大正3年(1914年)建立
土地:宅地3,381.80平方メートル(検査場、小屋、表門、裏門、東・北・南面土塀、池、井戸を含む)。

以下は附(つけたり)指定物件
湯殿・雪隠
茶室
普請文書 3冊
家相図 1枚

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交通アクセス

山陰道大山ICを海側へ、大山中学校前交差点を右折約5分
鉄道
JR山陰本線大山口駅から徒歩約10分

所在地 鳥取県西伯郡大山町所子360
位置 北緯35度29分2.4秒 東経133度27分54.9秒
類型 庄屋家屋
形式・構造 (主屋)木造、寄棟造、瓦葺
敷地面積 3,381.80平方メートル
建築年 明和6年(1769年)
文化財 国の重要文化財、県民の建物100選
posted by Kazu at 08:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 鳥取県

2023年06月13日

荒井家住宅(あらいけじゅうたく)は、栃木県矢板市立足にある、江戸時代初期延宝年間(1673年から1681年)の頃に建てられた当時の庄屋の古民家

荒井家住宅(あらいけじゅうたく)は、栃木県矢板市立足にある、江戸時代初期延宝年間(1673年から1681年)の頃に建てられた当時の庄屋の古民家である。1676年(延宝4年)に火災にあった記録が残されていること、建物細部の建築手法から延宝をあまり下らない頃の建物と見られている。「荒井家住宅」の名で主屋、表門(長屋門)の2棟が1968年(昭和43年4月)重要文化財に指定されている。

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国指定重要文化財荒井家住宅(矢板市)築約330年

概要
荒井家は庄屋を勤めた家柄である。江戸時代前期の荒井家住宅火災当時、住宅があった泉領は泉騒動により旗本岡本氏が改易され領地が幕府に返上され天領となった時期である。

建造物等
主屋(重要文化財)
構造形式:桁行(間口)13間 (24.2m)、梁間(奥行)5間半 (10.3m)、寄棟造、茅葺
間取り:馬屋、土間、流し、板間、勝手南間、勝手北間、納戸、中ノ間、座敷、上座敷
表門(長屋門)(重要文化財)
構造形式:桁行12.9m、梁間4.6m、切妻造、こけら葺
大カヤ(矢板市の天然記念物)
推定樹齢300年と言われている。
承応3年(1652年)領主奥平公が領内に苗木を配布植栽を命じたものと言われる。

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利用案内
見学時間:毎週土曜日、日曜日 9:00-16:00 年末年始を除く(12月28日から1月4日)
見学料:無料
注意事項など:
敷地内禁煙、飲食禁止
指定場所以外への立ち入り禁止

アクセス
JR矢板駅から
車、タクシー約15分(公共交通機関なし)
矢板インターチェンジから
車約20分

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所在地 栃木県矢板市立足192
位置 北緯36度50分6.2秒 東経139度53分53.9秒
類型 庄屋家屋
形式・構造 木造平屋建、寄棟造、茅葺
延床面積 間口24.2m×梁間10.3m
建築年 延宝年間(1673年から1681年)頃
文化財 国の重要文化財
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2023年06月12日

犬伏家住宅(いぬぶしけじゅうたく)は、徳島県板野郡藍住町にある歴史的な建造物

犬伏家住宅(いぬぶしけじゅうたく)は、徳島県板野郡藍住町にある歴史的な建造物。国の重要文化財に指定。

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歴史
犬伏家住宅は吉野川下流域の北岸に建ち、藍の取引により財を築き、江戸時代後期から薬の製造・販売を営んだ。吉野川の改修工事で敷地の一部が堤防用地となったため敷地を造成し、1931年(昭和6年)から1934年(昭和9年)までに全体を建て替えた。2020年(令和2年)12月23日に国の重要文化財に指定された。

全体は和風で応接室のみ洋風とする。主屋の二階を居室化し、平面計画や構造技術においても近代的特徴を示す。周囲より一段高く宅地を造成し、主屋を中心に土蔵群で囲む屋敷構えや本瓦葺の多用など当地域の伝統を継承している。

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交通
徳島自動車道「藍住インターチェンジ」より車で約3分。

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所在地 徳島県板野郡藍住町東中富大塚傍示
位置 北緯34度6分58.0秒 東経134度28分33.0秒
形式・構造 木造、二階建、本瓦葺
建築年 1886年(明治19年)
文化財 国の重要文化財
posted by Kazu at 08:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 徳島県

2023年06月11日

總持寺(そうじじ)は、東京都足立区西新井一丁目にある真言宗豊山派の寺

總持寺(そうじじ)は、東京都足立区西新井一丁目にある真言宗豊山派の寺で、西新井大師(にしあらいだいし)の通称で広く知られる。山号を五智山と称し、寺名は詳しくは五智山遍照院總持寺(ごちさん へんじょういん そうじじ)と称する。古くから「関東の高野山」とも呼ばれる。毎月21日には縁日が開かれている。

新四国四箇領八十八箇所霊場第1番札所。

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大本堂

沿革
空海(弘法大師)が関東巡錫の途中、西新井を通った際に、本尊である観音菩薩の霊託を聞き、本尊の十一面観音を彫り天長3年(826年)に寺院を建立したことに始まるとされる。

江戸時代中期に建立された本堂は、昭和41年(1966年)火災により焼亡したが本尊は難を逃れた。本堂は昭和46年(1971年)に再建され現在に至っている。

川崎大師などと共に「関東三大師」の一つに数えられ、毎年の正月には初詣の参拝客で賑わう。

境内には弘法大師によってもたらされたとされる加持水の井戸がある。この井戸が本堂の西側に所在することが当地の地名である西新井の名の由来とされている。中野区にある新井薬師と同じ真言宗豊山派の寺院。

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大本堂内部

堂宇など
大本堂 - 前述のとおり昭和46年再建。堂内には十一面観音(秘仏)・空海自刻と伝える弘法大師像(秘仏)の他、四天王像・阿弥陀三尊像(旧三匝堂安置)を祀っており、護摩祈祷が毎日行われている。また、毎年10月の第一土曜日には、北斎会として、紙本着色弘法大師修法図が公開される。縦150センチ、横240センチの大作で、現存する葛飾北斎の最大級の肉筆画であり、弘法大師空海が祈祷をしている様子が描かれている。
三匝堂(さんそうどう) - 明治17年建立。足立区指定文化財。都内に残る唯一の栄螺堂である。古くは登ることができたが現在は内部非公開。
山門 - 江戸後期の建立。両脇に金剛力士像を祀る。足立区指定文化財。
奥の院 - 高野山奥の院を江戸後期に勧請したもので弘法大師を祀る。
この他、塩地蔵、露仏の湯殿山大日如来坐像、十三重宝塔、水子地蔵、六角観音堂、光明殿(大師前駅に隣接する儀式用の堂宇)などがある。

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三匝堂

文化財
国宝
鋳銅刻画蔵王権現像 - 平安時代。東京国立博物館に寄託。
重要文化財
絹本著色弘法大師像 - 鎌倉時代
絹本著色天台大師像 - 鎌倉時代
絹本著色尊勝曼荼羅図 - 鎌倉時代
銅鐘(梵鐘) - 高麗時代。遼の乾統7年(1107年)の銘あり。東京国立博物館に寄託。
菊蒔絵手箱
康保元年十一月勧学会記(綾本) - 平安時代、伝藤原忠通筆

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鋳銅刻画蔵王権現像(国宝)。東京国立博物館にて展示。

交通アクセス
■鉄道
東武大師線大師前駅下車徒歩3分(経路案内)
都営日暮里・舎人ライナー西新井大師西駅下車徒歩15分(経路案内)
■バス
都営バス
「西新井大師前」下車徒歩1分
王40系統、池袋駅東口−西新井駅
王49系統、王子駅−千住車庫
王49折返、王子駅−足立区役所
東武バスセントラル
「西新井大師前」(環七)下車徒歩1〜2分
王30、王子駅−亀有駅
西01、西新井駅−皿沼循環
西08、西新井駅−東京女子医大足立医療センター
「西新井車庫」(大師前駅そばの車庫東側)下車徒歩2分
(北千住発の北01、03、04系統は「西新井大師」終点下車。)
西03系統、西新井駅西口−流通センター
西04系統、西新井駅西口−竹の塚車庫
西07系統、西新井駅西口−鹿浜都市農業公園
北01系統、北千住駅−本木新道−西新井大師
北02系統、北千住駅−100号線−西新井大師
北03系統、北千住駅−100号線・西新井駅−西新井大師
「第二団地」(大師裏。舎人ライナー大師西駅北側の交差点から東武線をくぐるトンネルに続く道路。※多少距離あり)下車徒歩10分
西05系統、足立区役所−鹿浜都市農業公園
西06系統、西新井駅東口−鹿浜都市農業公園
日立自動車交通
「西新井大師参道入口」(大師参道環七交差点より西側。西新井行きは金融ATMの前)下車徒歩3分
はるかぜ10号、西新井駅−扇1丁目−高野駅
国際興業バス
「西新井大師」(環七。都営・東武と同位置)下車徒歩2〜3分
赤27系統・赤27H系統、赤羽駅東口−環七−西新井駅
「西新井車庫」(東武バスと同位置)下車徒歩2分
赤23系統、赤羽駅東口−荒川大橋−西新井駅
西11系統(はるかぜ3号)、西新井駅−見沼代親水公園駅
※はるかぜ = 足立区コミュニティバス(小型バスで運行)

所在地 東京都足立区西新井一丁目15番1号
位置 北緯35度46分48.5秒 東経139度46分48.0秒
山号 五智山(ごちさん)
院号 遍照院
宗派 真言宗豊山派
本尊 十一面観世音菩薩、弘法大師
創建年 伝・天長3年(826年)
開基 伝・空海
正式名 五智山 遍照院 總持寺
別称 西新井大師、火伏せの大師、ボタン大師、お大師さま
札所等 関東三大師
関東八十八箇所 特別霊場
関東三十六不動 26番
東国花の寺百ヶ寺 東京1番
文化財 鋳銅刻画蔵王権現像(国宝、東京国立博物館寄託)
絹本著色弘法大師像、銅鐘ほか(重要文化財)
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2023年06月10日

犬吠埼灯台(いぬぼうさきとうだい)は、千葉県銚子市の犬吠埼に立つ第1等灯台

犬吠埼灯台(いぬぼうさきとうだい)は、千葉県銚子市の犬吠埼に立つ第1等灯台。水郷筑波国定公園内に位置する。世界灯台100選、日本の灯台50選に選定され、Aランク保存灯台。2010年に国の登録有形文化財に登録を経て、2020年に国の重要文化財に指定された。

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概要
日本を代表する灯台の一つで、歴史的文化財的価値が高く、国の重要文化財に指定され、海上保安庁により「Aランク保存灯台」ともなっており、世界灯台100選、日本の灯台50選にも選ばれている。日本に5つしかない最大の第1等レンズ(1等4面フレネル式閃光レンズ)を使用した第1等灯台である。電球は400ワットのメタルハライド電球を使用し、110万カンデラの光を放つ。灯塔高 (地上から塔頂までの高さ)31.3メートルで、煉瓦製の建造物としては尻屋埼灯台に次ぐ、日本第2位の高さである。

設計、施工監督者はイギリスから招いた灯台技師、リチャード・ヘンリー・ブラントンである。建設当初より白色塔形(円形)の煉瓦造灯台であるが、この煉瓦は内務省の土木技師中沢孝政によって生産が試みられた初の日本製(新治県香取郡高岡村、現在の千葉県成田市高岡)であり、およそ19万3000枚が灯台本体のほか、付属施設にも使用されている。ブラントンは当初、日本製煉瓦の使用に反対したといわれ、その強度に不安を感じたためかそれまでの灯台の構造とは違って二重構造になっているが、140年以上の風雪に破損されることも無く耐え今日に至っている。

灯台の竣工間近、巨大なレンズを見た地元漁師は驚き恐れ「灯台成リ、大洋灯ヲ点ジ海上ヲ照ラスニ至レバ、是ガタメ沿岸ノ魚族ノ棲息ヲ絶チ、漁民ハ特ニ大イナル悲運ニ遭遇スベシ(灯火が明る過ぎて魚が獲れなくなる)」と、灯台建設の即時中止の請願運動を展開したが、灯台初点灯の翌年に鰹が稀にみる豊漁となり、杞憂であるばかりか、「灯台様のお陰」と喜ばれる結果となった。

周辺は水郷筑波国定公園に指定されており、太平洋を臨む景勝地として多くの観光客が訪れている。

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歴史
犬吠埼を仰ぐ銚子は、太平洋に突出する銚子半島と利根川河口による天然の良港として、古くから交通の要所、魚介類の水揚げ場(銚子漁港)、醤油の生産地として栄え、多くの船舶が入出港していた。 しかし、犬吠埼付近に岩礁、暗礁が多く、海流が複雑で、鳴門海峡、伊良湖岬沖と共に、海の三大難所として多くの人命が失われた場所でもあった。1868年10月6日(慶応4年8月21日)には、幕府の軍艦「美賀保丸」が暴風雨に遭い、黒生(くろはい)沖の岩礁に乗り上げて座礁沈没、乗組員13名が死亡するという事故も起きていた。このような状況の中、銚子漁港の改修と洋式灯台の設置が求められ、明治時代初期に江戸条約によって建設された8基、及び大坂条約によって建設された5基の洋式灯台に続く重要な灯台として建設が決まった。

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文化財
重要文化財
犬吠埼灯台 1基2棟
灯台(附 旧レンズ1点、銘板1枚)
旧霧笛舎
旧倉庫
附 囲障 1所
附 旧日時計 1基

付属施設
無線方位信号所(中波標識局、レーマークビーコン)
犬吠埼ディファレンシャルGPS(DGPS)局(2019年3月1日廃止)
船舶気象通報(DGPS局に併設)(2016年9月30日廃止)

白い丸型郵便ポスト
2012年(平成24年)3月14日に灯台を管理する銚子海上保安部と銚子郵便局が協力し、茨城県神栖市内の集配センターで保管していた1960年製造の丸型ポストを白い犬吠埼灯台に因んで白く塗った白い郵便丸型ポストが設置されている。 ホワイトデーに設置されたため「恋愛が成就するポスト」、「幸せを呼ぶポスト」、「願いが叶うポスト」とも称されている。

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旧犬吠埼霧信号所霧笛舎
旧犬吠埼霧信号所霧笛舎は、1910年(明治43年)4月1日に竣工した霧信号所霧笛舎。霧笛号業務を開始し、2008年(平成20年)3月31日、犬吠埼霧信号所霧笛舎にての霧笛吹鳴が100年の歴史にピリオドを打ち廃止され、最後の霧笛を鳴らすお別れ式典が挙行された。

2012年(平成24年)12月19日に国の登録有形文化財に登録、2020年12月23日に灯台とともに国の重要文化財に指定されている。

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一般公開
本灯台は一般公開されている参観灯台で、展望台のほか、資料展示館がある。

灯台記念日である11月1日は無料で参観できる。

大人300円、小人無料

展望台
レンズ室横に設置されている展望台まで登ることができる。展望台へ続く螺旋階段の段数は、九十九里浜にちなんで99段となっている。
展望台からは太平洋や沖行く船を一望の下にできる。

アクセス
公共交通機関
鉄道
銚子電鉄 犬吠駅より、徒歩約10分
高速バス
JR東日本 浜松町駅、東京駅発、京成バス(銚子・旭ルート)より、「犬吠埼」下車
自動車
高速道路
銚子連絡道路「松尾横芝IC」より、国道126号・千葉県道286号愛宕山公園線(銚子ドーバーライン)先
一般道路
千葉県道254号銚子公園線
千葉県道286号愛宕山公園線(銚子ドーバーライン)
駐車場
犬吠埼灯台駐車場(無料)

航路標識番号
[国際標識番号] 1869
[M6478]
位置 北緯35度42分28秒 東経140度52分07秒
所在地 千葉県銚子市犬吠埼9576
塗色・構造 白色 塔形 レンガ造
レンズ 第1等フレネル式(内径1.84m)
灯質 単閃白光、毎15秒に1閃光
実効光度 1,100,000 cd
光達距離 19.5海里(約 36 km)
明弧 169度から65度まで
塔高 31.30 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 51.80 m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1874年(明治7年)11月15日
管轄 海上保安庁
第三管区海上保安本部
銚子海上保安部
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2023年06月09日

鰐淵寺(がくえんじ)は、島根県出雲市別所町にある天台宗の寺院

鰐淵寺(がくえんじ)は、島根県出雲市別所町にある天台宗の寺院。山号は浮浪山。中国観音霊場第25番札所、出雲観音霊場第3番札所、出雲國神仏霊場第2番札所。開山は智春上人、本尊は千手観世音菩薩と薬師如来の2体。

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根本堂

歴史
草創と修験行場としての発達
伝承では推古天皇2年(594年)、信濃の智春上人が当地の浮浪の滝に祈って推古天皇の眼疾が平癒したことから、同天皇の勅願寺として建立されたという。寺号の鰐淵寺は、智春上人が浮浪の滝のほとりで修行を行っている際に誤って滝壺に落とした仏器を、鰐がその鰓(えら)に引っ掛けて奉げたとの言い伝えから生じた。ここで言う「鰐」はワニザメを指すと言われる。なお、出雲市東林木町(ひがしはやしぎちょう)の万福寺(大寺薬師)も同様に推古天皇2年、智春の開山を伝えている。以上はあくまでも伝承であり、創建の正確な時期や事情は明らかでない。鰐淵寺の所在する島根県や隣の鳥取県は修験道・蔵王信仰の盛んな土地であり、当寺も浮浪の滝を中心とした修験行場として発展したものと思われる。浮浪の滝は鰐淵寺の入口から渓流を500メートルほどさかのぼった地点にある。水量は少なく、滝壺の奥には蔵王堂が建つ。

後白河法皇の『梁塵秘抄』に収録された今様に「出雲の鰐淵や日の御碕」と歌われており、平安時代末期頃には修験行場としても発展し日本全国に知られるようになったものと思われる。

天台宗への帰依
平安時代以降、鰐淵寺は比叡山延暦寺との関係を深め、特に比叡山東塔の無動寺谷と関係が深かった。伝承では円仁(慈覚大師)が出雲地方を訪れた際に、鰐淵寺は天台宗に転じたという。寺に残る経筒には仁平元年から3年(1151 - 1153年)にかけて書写した法華経を「鰐淵山金剛蔵王窟」に安置したとの銘があり、この頃には法華経信仰も行われていたことがわかる。「金剛蔵王窟」とは前述の浮浪の滝の滝壺を指すと思われる。

薬師如来と出雲大社
平安時代末期までの鰐淵寺は現在地のやや西寄りの唐川にあった。これに林木(はやしぎ、現出雲市内)の別の寺院(薬師如来を本尊とする)が吸収された。以後、鰐淵寺は千手観音を本尊とする「北院」と薬師如来を本尊とする「南院」に分かれることになる。

鎌倉時代には守護佐々木氏(塩冶氏)の保護を得て栄えた。また、鰐淵寺とは山をへだてて南西側に位置する出雲大社との関係も深まった。稲佐の浜を極楽浄土の入り口とみなす信仰が発生し、これが出雲大社の発展と重なり、古代秩序の崩壊と中世への移行も相まって、神仏習合の形を取った両者の密接な関係が発展し、後に出雲大社の別当寺を務めるまでにその関係は深まった。

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伽藍
根本堂
蔵王堂
松本坊
是心院
仁王門

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蔵王堂

文化財
重要文化財
絵画
絹本著色山王本地仏像 - 室町時代初期
絹本著色毛利元就像 - 室町時代後期
絹本著色一字金輪曼荼羅図 - 鎌倉時代初期
彫刻
銅造観世音菩薩立像 2躯 - 飛鳥時代後期(白鳳期)。2躯のうち1躯は台座に壬辰年(692年とされる)に出雲国の若倭部臣徳太理なる人物が造立した旨の銘記があり、この時代の基準作として重要である。鰐淵寺に伝来した経緯は明らかでない。
工芸品
銅鐘 - 寿永2年(1183年)銘
古文書
紙本墨書後醍醐天皇御願文 1巻 - 元弘2年
紙本墨書名和長年執達状(建武3年)・紙本墨書頼源文書(2通)(元弘2年、貞和5年)
鰐淵寺文書(494通)10巻、10冊、1幅、472通
考古資料
石製経筒 仁平三年銘 - 平安時代 附:湖州鏡(仁平二年施入銘)
史跡(国指定)
鰐淵寺境内
島根県指定文化財
絵画
絹本著色両界曼荼羅図(2幅) - 鎌倉時代
絹本著色天台大師像 - 鎌倉時代
絹本著色釈迦三尊十六善神像 - 南北朝時代
絹本著色不動明王像 - 鎌倉時代末期から南北朝時代
絹本著色文殊菩薩像 - 南北朝時代
絹本著色種子両界曼荼羅図(2幅) - 室町時代
彫刻
金銅造如来形立像 - 平安時代
書跡
後村上天皇宸筆願文 - 正平6年
紺紙金泥妙法蓮華経(8巻) - 享徳2年
古文書
紙本墨書鰐淵寺文書(10冊) - 建暦3年から明治元年
紙本墨書徳川家康起請文 - 天正16年
出雲市指定文化財
建造物
鰐淵寺根本堂 - 天正5年
彫刻
銅造不動明王像 - 平安時代後期

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行事
1月1日 - 修正会
1月11日 - 摩陀羅社大祭
2月15日 - 涅槃会
4月8日 - 仏生会
9月 - 弁慶ウォーク
10月 - 弁慶まつり
10月下旬〜11月 - 紅葉まつり
11月23日 - 梵焼会
11月24日 - 天台大師会
11月27日 - 開山会

所在地
島根県出雲市別所町

交通アクセス
一畑電車北松江線雲州平田駅から平田生活バスで30分(運賃は大人200円)、もしくは車で20分
出雲空港から車で40分
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2023年06月08日

青砂ヶ浦天主堂(あおさがうらてんしゅどう)は、長崎県南松浦郡新上五島町にあるキリスト教(カトリック)の聖堂

青砂ヶ浦天主堂(あおさがうらてんしゅどう)は、長崎県南松浦郡新上五島町にあるキリスト教(カトリック)の聖堂。五島列島の中通島北部に位置し、2001年(平成13年)に国の重要文化財に指定されている。

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略史
1878年(明治11年) - 江戸時代に外海地方から移住し、潜伏キリシタンからカトリックに復帰した信徒により初代の聖堂建設
1900年(明治33年) - 青砂ヶ浦小教区設立
1910年(明治43年)10月17日 - 3代目となる赤煉瓦造りの聖堂(現在の建物)が完成
1984年(昭和59年) - 大規模な改修が行われる
2001年(平成13年)11月14日 - 国の重要文化財に指定

建物の概要
構造:煉瓦造平屋、瓦葺き
様式・意匠:平面は三廊式バシリカ型、内部は木造円柱で身廊と側廊に区切り、天井はリブ・ヴォールト天井とする
設計・施工:鉄川与助
青砂ヶ浦天主堂は、長崎県を中心に数多くの教会堂建築を手がけた鉄川与助が建てた3つ目の教会堂であり、煉瓦造りの教会としては2つ目となる。ユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する教会の一つであったが、構成資産の見直しにより外され、「世界遺産の構成資産と一体的に保存・継承していく資産」とされている。

平面規模は間口11.3メートル、奥行23.4メートル。外壁はイギリス煉瓦積。西側正面は3層に区切り、バラ窓や縦長のアーチを設ける。正面入口左右には柱頭に葉形装飾のある円柱があり、その上部を尖頭アーチとする。内部はアーケード(連続アーチとそれを支える柱列)によって身廊と左右の側廊に分け、身廊、側廊ともに天井は四分割リブ・ヴォールトとする。内部壁面は漆喰塗で、側廊窓にはステンドグラスを設ける。この天主堂は内外ともに意匠が優れ、日本人の手になる初期煉瓦造キリスト教建築の代表的作品の一つである。

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所在地
〒 857-4402 長崎県南松浦郡新上五島町奈摩郷1241

アクセス
青方港(中通島)から車で約15分
有川港(中通島)から車で約20分
西肥バス「青砂ヶ浦天主堂前」バス停下車すぐ、「青砂浦別道」バス停下車徒歩約15分
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2023年06月07日

宇太水分神社(うだのみくまりじんじゃ)は、奈良県宇陀市菟田野古市場にある神社

宇太水分神社(うだのみくまりじんじゃ)は、奈良県宇陀市菟田野古市場にある神社。式内社(式内大社)で、旧社格は県社。

大和の東西南北に祀られた四水分神社のうち東に当たるのが当社とされる(他の3つは都祁水分神社、葛木水分神社、吉野水分神社)。宇陀地域には他に2つの水分神社があり、宇陀市榛原下井足(はいばらしもいだに)の宇太水分神社を「下社」、同市菟田野上芳野(うたのかみほうの)の惣社水分神社を「上社」、本項で解説する同市菟田野古市場の神社を「中社」とも称する。古市場の由緒によると、創立は崇神天皇の時代で、2003年の社殿の塗り替えの時にわずかに残された色彩が発見されそれを元に復元された。

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社殿
(左奥に本殿3棟:国宝、右に宗像神社・春日神社:国の重要文化財)

祭神
天水分神
速秋津比古神
国水分神

歴史
概史
社伝によると、崇神天皇7年の創建とされる。延喜式では大社に列格し、月次祭・新嘗祭の案上の官幣に預かるとし、臨時祭祈雨神祭八十五座の一座に列せられた。

神階
承和7年(840年)10月7日、無位から従五位下 (『続日本後紀』)- 表記は「水分神」
天安3年(859年)1月27日、従五位下から正五位下 (『日本三代実録』)- 表記は「宇陀水分神」

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大鳥居

境内
本殿は、同形同大の社殿3棟が相接して並列する。向かって右から第一殿、第二殿、第三殿で、それぞれ天水分神、速秋津比古神、国水分神を祀る。建築形式はいずれも一間社、隅木入春日造で、屋根は檜皮葺きとする。第一殿の棟木に元応2年(1320年)の墨書があり、第三殿も同時期の建立とみられる。第二殿は棟木に永禄元年(1558年)の墨書があり、この時に新造に近い改築を経たとみられる。第一・第三殿は、隅木入春日造で建立年代の明らかなものとしては最古のものである。身舎と向拝柱の間には繋虹梁(つなぎこうりょう)を渡さず、手挟(たばさみ、柱上の組物と垂木の間に取り付ける三角形の材)を入れるのみである。繋虹梁を用いないのは、3棟の社殿を側面から見た場合の見通しを考慮したためとみられる。本殿3棟は国宝に指定されている。

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本殿(国宝)

祭事
菟田野みくまり祭(10月第三日曜)

文化財
国宝
宇太水分神社本殿 3棟(建造物)
鎌倉時代後期、元応2年(1320年)の造営。
1911年(明治44年)4月17日、当時の古社寺保存法に基づき特別保護建造物に指定、1950年(昭和25年)の文化財保護法施行により重要文化財となる、1954年(昭和29年)3月20日に文化財保護法に基づく国宝(新国宝)に指定。
重要文化財(国指定)
宇太水分神社末社春日神社本殿(建造物) - 室町時代中期の造営。1954年(昭和29年)3月20日指定。
宇太水分神社末社宗像神社本殿(建造物) - 室町時代後期の造営。1954年(昭和29年)3月20日指定。

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拝殿

現地情報
所在地
奈良県宇陀市菟田野古市場244-3

交通アクセス
近鉄大阪線榛原駅から奈良交通バス
10系統「菟田野」ゆき、または15系統「東吉野村役場」ゆきに乗車し、「古市場水分神社前」にて下車。
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2023年06月06日

伊豆山神社(いずさんじんじゃ)は、静岡県熱海市伊豆山にある神社

伊豆山神社(いずさんじんじゃ)は、静岡県熱海市伊豆山にある神社。全国各地に点在する伊豆山神社や伊豆神社、走湯神社(そうとうじんじゃ、はしりゆじんじゃ)などの起源となった事実上の総本社格である。伊豆国に配流の身となっていた源頼朝が、源氏の再興を祈願したと伝わり、頼朝からの崇敬が厚く、また頼朝と妻・北条政子の逢瀬の場であったとも伝わる。

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伊豆山神社本殿

呼称
古くは以下の名で呼ばれた。

伊豆山権現(いずさんごんげん)
伊豆大権現(いずだいごんげん)
伊豆御宮(いずおんみや)
伊豆山(いずさん) - 略称。
走湯権現(そうとうごんげん、はしりゆごんげん)
走湯大権現(そうとうだいごんげん) - 麓の海岸に点在した温泉・間歇泉に由来し、推古天皇3年(594年)に朝廷から贈られた名とされる。
走湯山(そうとうざん)- 伊豆山の別称。

歴史
古代
創建の年代は不詳だが、社伝によれば孝昭天皇の時代(紀元前5世紀〜紀元前4世紀)とされ、当初は、日金山山頂にあったと伝わる。日金山は十国峠とも呼ばれ、箱根外輪山から南に続く尾根(標高765m)で古くからの信仰の地で、日金山の東光寺で祭祀がおこなわれていたとされ、東光寺の寺伝では、推古天皇の頃、走湯権現の神号を賜ったとある。その後、本宮山(現在地より後方の山)に移り、承和3年(836年)に賢安と称する僧により現在地へ遷座されたと伝わる。日金山は、中世以降、伊豆山権現(現・伊豆山神社)と箱根権現(現・箱根神社)を結ぶ信仰の道の要所として知られる。

仁徳天皇が勅願所とし、以後、清寧天皇、敏達天皇、推古天皇、孝徳天皇、後奈良天皇の勅願所となったと伝わり、後奈良天皇は自筆の紺紙金泥般若心経 一巻(国の重要文化財)を当社に奉納している。

修験道の始祖とされる役行者・役小角が文武天皇3年(699年)に伊豆大島へ配流されたおりに、島を抜け出し伊豆山などで修行していたが、そのさいに伊豆山海岸に湯煙りが上がるのを目にし、走り湯を発見したとされる。役行者は、その湯に千手観音菩薩を感得し、「無垢霊湯、大悲心水、沐浴罪滅、六根清浄」という功徳を授かったという伝説があり、その湧き出る霊湯「走り湯」を神格化したのが走湯権現とされる。また、空海が修行した伝承もあり、多くの仏教者や修験者が修行を積んだ霊場であった。現・社殿から本宮への山道は、かつての修験道の行場であったと伝わる[6]。後白河法皇勅撰の「梁塵秘抄」には「四方の霊験者は伊豆の走湯、信濃の戸穏、駿河の富士山、伯耆の大山」と記されている。

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頼朝・政子図柄の御朱印

中世・近世
源頼朝は平治の乱の後、伊豆国に配流されたが、当社で源氏再興を祈願したとされ、頼朝からの崇敬が厚く鎌倉幕府を開くと、関八州鎮護と称え多くの社領を寄進したとされ、以降、東国の守護神として絶大な信仰を集め、歴代将軍や幕府要人が伊豆山神社(伊豆山権現)と箱根神社(箱根権現)を「二所権現」とし「二所詣」が行われた。また源頼朝と妻・北条政子の逢瀬の場であったとされ、境内に頼朝・政子腰掛石が残る。

南北朝時代の「寺領知行地注文」によれば、遠くは越州に至るまで数多くの知行地を所有したとされるなど、この時期、当社が最盛期を迎えていたことがうかがわれる。戦国時代、小田原の北条氏の篤い崇敬を受けたが、豊臣秀吉の小田原征伐で焼失した。江戸時代に入ると山麓の阿多湊(または阿多美の郷)が湯治場として名高くなり、徳川家康はじめ多くの大名や文化人たちが訪れた。焼失していた当社は再建され、江戸幕府からは文禄3年伊豆国加増も葛見郡のうち二百石を、慶長14年には関ヶ原の戦いでの勝利の礼として百石を、それぞれ朱印領として寄進され、以後、代々の将軍からも同様に寄進を受けた。

高野山真言宗の古刹の般若院が別当寺だったが、明治維新での神仏分離令により寺が分離され、伊豆山神社と称されるようになった。

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木造伊豆山権現立像(静岡県熱海市・走湯山般若院所蔵、重要文化財)。この像は近世まで伊豆山神社に祀られていたが、神仏分離後に般若院へ移された。

近代
大正3年(1914年)1月13日、皇太子であった昭和天皇が当社に参拝、本殿脇に黒松一株を手植した。大正7年(1918年)、宮内省から金参万円を支給される。

昭和3年(1928年)の昭和天皇御大典の際に国幣小社に列し、秩父、高松、久邇、伏見、山階、賀陽、東伏見の各宮家から金壱封を、梨本宮家からは日本刀一口及び槍一筋、祭祀料の寄進を受けた。

第二次世界大戦後に社格制度が廃止されて以降は別表神社とされ、宗教法人化された。

1980年(昭和55年)9月12日、浩宮徳仁親王が参拝する。また、同年、童画家黒崎義介が拝殿の天井画390枚を奉納した。

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昭和天皇御手植の黒松

祭神
伊豆山神として以下の4柱を祀る

火牟須比命(ほむすびのみこと)
天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
拷幡千千姫尊(たくはたちぢひめのみこと)
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)

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参道石段

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縁結び祈願用の♡鳥居

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頼朝・政子腰掛石

祭事
年間主要催事。

2月3日 - 節分祭
4月14日〜16日 - 例大祭(4月15日を中心に4月14日〜16日)
4月14日 - 宵宮祭(20時〜)
4月15日
例大祭神事(10時〜) - 神女舞、実朝の舞
神幸祭(13時〜) - 発輿祭、神幸行列
下宮祭(14時〜) - 神女舞、実朝の舞
4月16日
 正殿祭(10時〜) - 神女舞、実朝の舞
11月第1日曜日 - 温泉感謝祭

交通
JR熱海駅からバス・伊豆山神社行、又は七尾行。伊豆山神社前下車。石段170段を登ると境内。

所在地 本宮:静岡県熱海市伊豆山1083
本殿:静岡県熱海市伊豆山708-1
位置 本宮:北緯35度7分19.4秒 東経139度4分24.6秒
本殿:北緯35度6分55.9秒 東経139度4分56.7秒
主祭神 火牟須比命
天忍穂耳尊
拷幡千千姫尊
瓊瓊杵尊
社格等 式内社(小)論社
旧国幣小社
別表神社
創建 孝昭天皇治世
例祭 4月14日、4月15日
4月16日
posted by Kazu at 09:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 静岡県

2023年06月05日

向源寺(こうげんじ)は、滋賀県長浜市高月町渡岸寺にある真宗大谷派の寺院

向源寺(こうげんじ)は、滋賀県長浜市高月町渡岸寺にある真宗大谷派の寺院。山号は紫雲山。国宝の十一面観音像を有することで知られる。観音像は当寺に属する渡岸寺観音堂(どうがんじかんのんどう)に安置されている。

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歴史
『近江伊香郡志』所収の寺伝によれば、天平8年(736年)、当時、都に疱瘡が流行したので、聖武天皇は泰澄に除災祈祷を命じたという。泰澄は十一面観世音を彫り、光眼寺を建立し息災延命、万民豊楽の祈祷を行い、その後憂いは絶たれたという。その後病除けの霊験あらたかな観音像として、信仰されるようになった。延暦9年(790年)、比叡山延暦寺の開祖である最澄が、勅を奉じて七堂伽藍を建立したという。

元亀元年(1570年)、浅井・織田の戦火のために堂宇は焼失した。しかし観音を篤く信仰する住職巧円や近隣の住民は、観世音を土中に埋蔵して難を逃れたという。この後巧円は浄土真宗に改宗し、光眼寺を廃寺とし、向源寺を建立した。

明治21年(1888年)、宮内省全国宝物取調局の九鬼隆一らが当寺の十一面観音像を調査し、日本屈指の霊像と賞賛した。古社寺保存法に基づく日本で最初の国宝指定は明治30年(1897年)12月28日付けで行われたが、このとき、この十一面観音像も国宝に指定された(当時の「国宝」は、文化財保護法における「重要文化財」に相当する)。国宝指定時の内務省告示における十一面観音像の所有者名は「観音堂」となっている。向源寺が属する真宗では、阿弥陀如来以外の仏を本堂に祀ることを認めていないが、この十一面観音像については、向源寺飛地境内観音堂に祀るということで、本山から許可された。大正14年(1925年)には平安時代建築の様式を取り入れた観音堂が再建された。昭和17年(1942年)には宗教団体法の規定に基づき、向源寺飛地境内観音堂は正式に向源寺の所属となった。十一面観音像が文化財保護法に基づく国宝(いわゆる新国宝)に指定されたのは昭和28年(1953年)のことである。同年より、十一面観音像と胎蔵大日如来坐像は、高月町国宝維持保存協賛会の理事が毎日交替で維持管理に当たっている。

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十一面観音立像
国宝。向源寺に属する観音堂(渡岸寺観音堂)に安置されていた像で、1974年に収蔵庫の慈雲閣が完成してからはそちらへ移されている。寺伝では泰澄作とされるが、像容に密教思想の影響がみられることから、実際の制作年代は平安初期、西暦では9世紀とされている。

像高は194cm(頭上面を含む)、檜材の一木彫である。像は蓮華座上に左脚を支脚、右脚を遊脚として立ち、腰をこころもち左にひねる。右腕は掌を正面に向け、五指を伸ばして体側に垂下し、左腕は肘を曲げ、胸の高さで持物(水瓶)をとる。頭上面、天冠台上正面の化仏(けぶつ)、両手首から先、持物、胸飾をそれぞれ別材とするほかは台座蓮肉部と天衣遊離部まで含め一材から彫出される。別材矧ぎ付け部分のうち化仏、両手首から先、持物は後補である。頭髪部の造形には木屎漆(こくそうるし)を併用している。像表面は彩色、金箔等を施さない素地仕上げとし、体部は背面から内刳(うちぐり)を行っており、背部に上下2段に蓋板を当てる。

図像的には、頭上面を大ぶりに表すこと、本面の左右に大きく2面を表すこと、頂上面を仏面でなく菩薩形とすることなどに特色がある。十一面観音像は、菩薩面3、瞋怒面(しんぬめん)3、狗牙上出面(くげじょうしゅつめん)3、大笑面(だいしょうめん)1、頂上仏面1の計11面を頭上に表すのが一般的であるが、本像の場合は、本面の左右に瞋怒面と狗牙上出面を大きく表し、天冠台上には菩薩面、瞋怒面、狗牙上出面を各2面、背面に大笑面を表す。

頂上面は他の十一面観音像では螺髪をもつ如来形とするのが一般的であるが、本像の頂上面は髻を結い、五智宝冠(五智如来を表した冠)を戴く菩薩形とする。頂上面以外の頭上面は、髻正面に仏坐像を表す。鼓胴式耳璫(じとう)という太鼓の胴のような形の耳飾りを付け、天冠台から垂れる飾り紐が前腕部まで達するほど長いのも特色である。

均整のとれた体躯、胸部や大腿部の豊かな肉取り、腰を捻り片脚を遊ばせた体勢などにインドや西域の風が伺われる。文学作品や映画などにも取り上げられた、日本における観音像の代表作として著名な作品である。

東宝映画「幻の湖」で、主人公が観音像を拝観する場面がある。

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文化財
国宝
木造十一面観音立像
重要文化財
木造大日如来坐像
滋賀県指定有形文化財
木造十一面観音立像(国宝像の旧お前立ち)
木造阿弥陀如来坐像(本堂本尊)
木造金剛力士立像(仁王門)

交通アクセス
米原より JR北陸本線高月駅から徒歩約10分。拝観者無料駐車場、バス無料駐車場あり。

所在地 滋賀県長浜市高月町渡岸寺88
位置 北緯35度28分28.6秒 東経136度14分19秒
山号 紫雲山
宗旨 浄土真宗
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 (伝)天平8年(736年)
開基 (伝)泰澄
中興年 元亀元年(1570年)
中興 巧円
正式名 紫雲山向源寺
別称 渡岸寺観音堂
渡岸寺
光眼寺
文化財 木造十一面観音立像(国宝)
木造大日如来坐像(重要文化財)ほか
posted by Kazu at 08:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 滋賀県
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