● 山陽新幹線博多開業から40年!
前回「リニア」事中央新幹線の話題を取り上げて思い出したのですが、 実は本年(2015)は山陽新幹線博多開業から40周年なんですね。 筆者はすっかり忘れて居ました…一応式典や関連イベント等も行われていた様ですが、 当方殆どノーマーク状態で…。
然し、少々言い訳がましいですが、 矢張り「北陸新幹線」開業の陰に隠れて仕舞った様な感は否めないのでは無いでしょうか…(汗 それにしても昨年の「東海道新幹線50周年」と比較すると、 いくらなんでもちょっと扱いが小さすぎる様な気もするんですが… いやまあ、そらどっちがどれだけ大きな出来事か、って言ったら…アレですがね…。
さて、それは兎も角ここで本題。 山陽新幹線の博多開業以前の九州〜関西の鉄道旅客輸送事情についてのお話です。 東海道新幹線開業に伴って、 それ以前の東海道の華であった特急「つばめ」・「はと」が新大阪〜博多間の運転となり、 同区間にはこれに加え'67(昭和42)年、 世界初の寝台電車となる581(後583)系電車による寝台特急「月光」が登場しました。 151・161(後に181)系電車が「こだま形」と呼ばれた様に、 本形式も初登場時の列車愛称から「月光形」等と呼ばれます。
寝台特急「月光」は、 山陽新幹線が岡山まで暫定開業した'72(昭和47)年には、 運用区間が岡山〜博多・西鹿児島(現・鹿児島中央)へ変更され、 全線開通の'75(昭和50)年には廃止されて居ります。 その命僅か8年、 正に九州・中国地方からの新幹線への接続を使命とした列車でした。 そういえば、583系電車のカラーリングはこの新幹線への接続を意識したものだ、等と言われていますね。 筆者は子供の頃物の本で読んだこの「接続」の意味が良く解らず、 新幹線と連結するのか?等と思ったものです(笑
その「月光形」・583系電車は20系・14系・24系客車の開放A寝台と同様のプルマン式寝台(他にリクライニングシートのグリーン車もありました)で、 昼は特急「みどり」・「つばめ」・「はと」etc.、夜間は寝台列車「月光」・「明星」・「金星」etc. として運用されたものです。 但し、ブルートレインのプルマン寝台が2段式のA寝台なのに対し、 こちらは当初3段式のB寝台のみ、 また、寝台の設置・解体作業はかなり大掛かりで、 且つ基本的にブルートレイン程長距離を走る運用をなされて居なかったので、 営業運転中の寝台→座席への転換作業は行われなかった様ですが、 一部長距離列車では実施されていたそうです。
何しろ登場当時はまだまだ優等列車は客車であるべきと言う意見も根強く、 殊に寝台列車として、その現役時代には後々まで色々な批判にも晒された本形式ですが、 近年になって新造された唯一の寝台列車は電車(EMU)である「サンライズ」用285系であり、 そのコンセプトには先見の明があった、とも言い得るかも知れませんね。 尤も、その285系はシングル・ツイン・ソロ、と言った個室が中心の編成となって居り(ノビノビ座席と称する開放寝台もありますが)、 今となってはあのプルマン式開放寝台の雑然(?)とした雰囲気も懐かしいですね。 583系寝台の下段は、幅1m以上と、 コンパートメント式個室A寝台よりも遥かに幅広で、 それが 中・上段より割高とはいえ(確か)B寝台の料金で利用出来るというのも何気に魅力でした。
ああ、また候「新幹線」の話からいつの間にか殆ど無関係な話になって仕舞いましたね…。
● 山陽新幹線の顔!500系電車Nゲージなど等
今以て山陽新幹線のアイコン的存在とも言い得る、 根強い人気を持つ500系電車。 その500系をモチーフとしたJR西日本によるオリジナルヒーロー「カンセンジャー」ラッピング仕様のセット!
こちらは現在の主力、N700系!