礼儀の大切さ
最近、忘年会で仕事がらみの方と
集まる機会が増えました。
その席で、いろんな方から
「空手のフェイスブックとブログ見てます」
とお声かけ頂きます。
ありがとうございます。
そんな皆様から、偶然とは思えないほど
共通の相談を受けます。
それは・・・
「失礼すぎる部下をなんとか教育したい」
「道場に入れて根性叩きなおして欲しい」
です。
先日も、忘年会中は
そこまで深い話でなかったのですが、
お開きになった後に、
「ちょっと話を聞いて下さい」と誘われ
その方が部下の失礼振りに苦悩している話を
聞きました。
たまたま、数日前にも
まったく違う方から
失礼すぎる事をされて
心痛した話を聞いていました。
そして、私自身も
そんな経験があったことを思い出しました。
そこで
これは、深刻な社会問題なんだと感じました。
具体的どんな失礼に悩まさせている話を
聞いたかは伏せますが、
そもそも、
失礼とは、礼儀がないと言うことです
では、礼儀とは・・
@挨拶をする→互いの存在を確認
A返事をする→理解している事を伝える
Bお礼を言う→自分への気遣いへ感謝
Cお詫びをする→相手への誠意
D必要な報告をする→情報の共有
E約束を守る→信頼関係
こんなもんですよね。
これらができたら、気持ちよく
コミュニケーションがとれるわけです。
人間関係で、
別に見返りが欲しくてやっている
わけではないが、やはり好意で
人に何かをしたとき、
挨拶も、お礼も、返事も、報告もなく
さらに、
何もリアクションしなかった事に
お詫びもなかったら
なんとなくイヤな気持ちになるのは
人間だから当然です。
この積み重ねは、不信感や嫌悪感になり
人間関係を悪化させます。
仕事でからむなら
仕事にも悪影響を与えます。
そして、失礼を受けた人が心を乱してしまい、
さらに、この失礼に慣れようとして
失礼な方々を野放しにしてしまいがちです。
礼儀さえ守れば、
こんな事態にならないのに、、、
これって、難しいのでしょうか?
出来ないのでしょうか?
では、出来ない人は
なぜ出来ないのでしょうか?
簡単な理由です。
ちゃんと習っていないからです。
ココでいう「失礼」は
自分の感覚や常識を優先し、
人の気持ちを考えない
ですが、
これは、
ある意味、ビジネスリーダーとして
成長するには必要な感覚でもあります。
だって、色んな人の意見に左右され、
方向性がさだまらないなら
ビジネスの世界では
通用しないですもんね。
だから、この感覚は
「間違い」ではないんです。
無くさせてしまうのではなく
正しく使うようにしなくてはなりません。
では、どうすればいいのか・・・
私の考えはこうです。
「礼儀」の無い人の、
「個性の尊重や表現の自由」は認めない。
です。
自分がこう思うから、こうする
人がどう思うか気にしない
失礼な人がしたら、ただの「自分勝手」
礼儀正しい人がしたら、「好感をもてる挑戦」
ではないでしょうか?
失礼な人は、
ここらへんをちゃんと習らわずに
社会人になったんでしょうね。
それは、社会と親の責任です。
ただのわがままを「個性の尊重」と許した
→好き勝手やってもいいんだ
「努力なし」で手に入るお金を与えた
→自分が無理しなくてもお金がもらえる
不必要な「手助け」した
→人から助けてもらうのはアタリマエ
こんな環境が
「失礼」が育つ温床です。
だったら、社会がこれを正すべき。
まずは、分かりやすく短い言葉で指導。
そして自身が手本を実践。
礼儀があって出来る人と、
礼儀無く出来ない人に格差をつける
出来る
↓
必要とされる・高収入・優遇する
出来ない
↓
必要とされない・失職の恐れ・優遇しない
こうしたらいいのでは?
分かっているが出来ない?なぜ?
出来ないなら、失礼を愚痴るのではなく
失礼に自身が対応していくしか選択肢はありません。
それがいやなら、
愛をもって心から指導すべきです。
道場では、空手の技術を教える前に
挨拶・返事
お願いします・ありがとうございました
どこまで出来るようになりました
すみませんでした
必ずやってみせます
これらの気持ちや態度がないと
指導なんてしません。
自分に役立つことを人から習うときは、
礼儀がないと教えてもらえないという感覚を
身につけさせるためです。
我々の道場は、社会の有意な形成者と
なるべく人にするため、
礼儀指導の徹底をしています。
その人の将来を思っての愛があるから
時には厳しく叱り、
時には見捨てたフリをすることもあります。
厳しい言い方ですが、
失礼な部下は、
実は上司として未完成な自身の姿と思いましょう。
自分が、親や社会に育ててもらったことの
恩返しが、その部下を一人前にすることです。
それが今のあなたの使命です。
難しいと思います。
しかし、諦めなかったらできます。
あなたもそうやって育ててもらったんですから。
かならずあなたは出来ます。
早田
集まる機会が増えました。
その席で、いろんな方から
「空手のフェイスブックとブログ見てます」
とお声かけ頂きます。
ありがとうございます。
そんな皆様から、偶然とは思えないほど
共通の相談を受けます。
それは・・・
「失礼すぎる部下をなんとか教育したい」
「道場に入れて根性叩きなおして欲しい」
です。
先日も、忘年会中は
そこまで深い話でなかったのですが、
お開きになった後に、
「ちょっと話を聞いて下さい」と誘われ
その方が部下の失礼振りに苦悩している話を
聞きました。
たまたま、数日前にも
まったく違う方から
失礼すぎる事をされて
心痛した話を聞いていました。
そして、私自身も
そんな経験があったことを思い出しました。
そこで
これは、深刻な社会問題なんだと感じました。
具体的どんな失礼に悩まさせている話を
聞いたかは伏せますが、
そもそも、
失礼とは、礼儀がないと言うことです
では、礼儀とは・・
@挨拶をする→互いの存在を確認
A返事をする→理解している事を伝える
Bお礼を言う→自分への気遣いへ感謝
Cお詫びをする→相手への誠意
D必要な報告をする→情報の共有
E約束を守る→信頼関係
こんなもんですよね。
これらができたら、気持ちよく
コミュニケーションがとれるわけです。
人間関係で、
別に見返りが欲しくてやっている
わけではないが、やはり好意で
人に何かをしたとき、
挨拶も、お礼も、返事も、報告もなく
さらに、
何もリアクションしなかった事に
お詫びもなかったら
なんとなくイヤな気持ちになるのは
人間だから当然です。
この積み重ねは、不信感や嫌悪感になり
人間関係を悪化させます。
仕事でからむなら
仕事にも悪影響を与えます。
そして、失礼を受けた人が心を乱してしまい、
さらに、この失礼に慣れようとして
失礼な方々を野放しにしてしまいがちです。
礼儀さえ守れば、
こんな事態にならないのに、、、
これって、難しいのでしょうか?
出来ないのでしょうか?
では、出来ない人は
なぜ出来ないのでしょうか?
簡単な理由です。
ちゃんと習っていないからです。
ココでいう「失礼」は
自分の感覚や常識を優先し、
人の気持ちを考えない
ですが、
これは、
ある意味、ビジネスリーダーとして
成長するには必要な感覚でもあります。
だって、色んな人の意見に左右され、
方向性がさだまらないなら
ビジネスの世界では
通用しないですもんね。
だから、この感覚は
「間違い」ではないんです。
無くさせてしまうのではなく
正しく使うようにしなくてはなりません。
では、どうすればいいのか・・・
私の考えはこうです。
「礼儀」の無い人の、
「個性の尊重や表現の自由」は認めない。
です。
自分がこう思うから、こうする
人がどう思うか気にしない
失礼な人がしたら、ただの「自分勝手」
礼儀正しい人がしたら、「好感をもてる挑戦」
ではないでしょうか?
失礼な人は、
ここらへんをちゃんと習らわずに
社会人になったんでしょうね。
それは、社会と親の責任です。
ただのわがままを「個性の尊重」と許した
→好き勝手やってもいいんだ
「努力なし」で手に入るお金を与えた
→自分が無理しなくてもお金がもらえる
不必要な「手助け」した
→人から助けてもらうのはアタリマエ
こんな環境が
「失礼」が育つ温床です。
だったら、社会がこれを正すべき。
まずは、分かりやすく短い言葉で指導。
そして自身が手本を実践。
礼儀があって出来る人と、
礼儀無く出来ない人に格差をつける
出来る
↓
必要とされる・高収入・優遇する
出来ない
↓
必要とされない・失職の恐れ・優遇しない
こうしたらいいのでは?
分かっているが出来ない?なぜ?
出来ないなら、失礼を愚痴るのではなく
失礼に自身が対応していくしか選択肢はありません。
それがいやなら、
愛をもって心から指導すべきです。
道場では、空手の技術を教える前に
挨拶・返事
お願いします・ありがとうございました
どこまで出来るようになりました
すみませんでした
必ずやってみせます
これらの気持ちや態度がないと
指導なんてしません。
自分に役立つことを人から習うときは、
礼儀がないと教えてもらえないという感覚を
身につけさせるためです。
我々の道場は、社会の有意な形成者と
なるべく人にするため、
礼儀指導の徹底をしています。
その人の将来を思っての愛があるから
時には厳しく叱り、
時には見捨てたフリをすることもあります。
厳しい言い方ですが、
失礼な部下は、
実は上司として未完成な自身の姿と思いましょう。
自分が、親や社会に育ててもらったことの
恩返しが、その部下を一人前にすることです。
それが今のあなたの使命です。
難しいと思います。
しかし、諦めなかったらできます。
あなたもそうやって育ててもらったんですから。
かならずあなたは出来ます。
早田
この記事へのコメント