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ともなりたかひろ
小説家界の革命児。 主な著作に『太郎取扱説明書』(インディーズ文庫)。『小説・神聖かまってちゃん』(Amazon Kindle)などがある。 もっと詳しい著作が知りたい場合は、以下を参照下さい。 メインホームページ(ニコニコ動画)→http://com.nicovideo.jp/community/co1841805 Twitterアカウント→https://twitter.com/jiga_from_jiga ちなみに、このブログはアフィリエイト(金稼ぎ)のためにやってみよう、と思って開設したんですが、まったくの無知(あるいはバカ)のため、そうですね、うん、まずまぁ、稼げないでしょうね。
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2017年06月11日

(遺稿)エッセイ『フリースタイルダンジョン終了の時期も近い?をプロデュース』

【注】
(株)ルラックの「インディーズ文庫」担当の宮根進と申します。
以下の記事は、故人・ともなりたかひろの『遺稿』の中の一つ、エッセイ『フリースタイルダンジョン終了も近い?』(2017年3月4日)を、原文ママのまま、抜粋したものです。発表日も彼の『遺稿』の指示通りであります。
ゆえに、この記事が現在の状況とは食い違う面もあるかもしれません。その点をどうか、ご容赦頂きたく思います。

〈あー、もう、しんどいよね、いや、分かるよ、分かる(いや、誰に言ってんのよ)。
もうね、バカヤローッ!!って叫びたいですよ、本当だったら。
特に、1日に、3つぐらい悪い事が起こると、叫びたくなりますよね。
……例えば、amazonの荷物が9:00〜12:00まで、と決まっている。が、なかなか来ない。じれったいから、煙草を吸う。吸い過ぎて、煙草がきれる。そこで、10分間ぐらい、外出して、コンビニに煙草を買いに行く。が、その途中で、突然雨が降ってきて、「やばい、洗濯物が!」と思い、急いで家に戻ってみると、案の定、洗濯物は濡れて、しかも、amazonの宅配とすれ違いになり、荷物が受け取れない、・・・みたいな。
でも、言えないから、モヤモヤしちゃってね、――どうする? ラップでもしちゃうか、いっそのこと。
まぁまぁ、なんでこんな流れになっているか、と言うとね、最近ね、「落丁城」っていう、日本版の『神曲』たらんとする小説を書いているんですが、全然上手くいかず、その片手間の「ガス抜き」として、『フリースタイルダンジョン』という、地上波の「バラエティー番組」にハマってましてね。
ただ、僕は疑問だったんですよね。――なぜ、「ダンジョン」という「地下構造」を持つ癌組なのに「地上」波でやっているのか、っていうことをね(いや、どうでもいいわ、そんなこと)。
上手い!
お〜い、山田く〜ん、北朝鮮の核ミサイルにコンドームつけといて〜
なんてね。
というわけで、本日は、

『フリースタイルダンジョン』終了も近い? をプロデュース!

ということでね、
まぁ、僕はね、はっきり言って後追い組で、YouTubeなどを通じて番組の存在を知り、現在の3rd.seasonまでざっと見返してきたニワカですよ、ええ。
でもね、2ちゃんねるでのフリースタイルダンジョンスレを見る限り、僕は、この番組の「本質」を見切ってしまいましたね。
曰くね、
「内Pみたい」
っていうことなんだよね。
つまり、この『フリースタイルダンジョン』っていう番組は、
現在、saymoveっていうサイトでupされている「内村プロデュース」の動画みたいに、皆が「コメント」しながらそれも含めて共同で楽しんでいくようなスタンスがピッタリ合うな、と思ったわけです。
よくよく考えると、同じ「テレ朝」系列ですしね。
そう考えると、色々な「企画」が浮かびますよね。
「内Pにおける大喜利コーナー」「現在行われている即興のバトル」だとすると、
例えば、dotama君が一人で機械に向かってラップしている様を、モンスターたちが水を口に含んでモニター越しに見ていて、笑って吹き出したらアウト、みたいな「ラップ版お笑い我慢道場」とか。
「リアル性格王」(ドッキリ企画)も出来そうだなぁ、とか。
色々考えていくと、dotama君=ふかわりょうの立ち位置だな、などなど色々な発見があって面白い。

――とにかくね、おそらく、これ以上スキルやバトルのバリエーションが「インフレ」しない、という「番組の限界」が見えてきたと思うんですよ。
だから、もうここはね、番組自体を、がらっと変えてみるのもいいのかな、っていうかね。
その大前提として、「ニコ生」みたいに「コメント付きで観れるもの」にした方がベターだな、とは確実に思いますね、うん。

あと、また、「内P」に例えさせてもらいますけど、内Pの初期にさ、「レギュラー3人の親交を深める回」っていうのがあってね、
屋形船で「インスピレーションクイズ」をやって、「それぞれの答えが合致」しないと、
罰として、夏真っ盛りなのに、クーラーも入れてもらえなかったり、熱いビールを持ってこられたり、っていう回がありましてね。
これも、「レギュラー」を「モンスター」と言い換えて、「それぞれの答えが合致」を「それぞれの韻が合致」と言い換えれば成立するなぁ、とか思ったりするんすよ。
――なんか、面白いですよね、色々な「企画」があった方が。
そんなこんなした末、番組が行き詰ってしまったら、あっさり終わればいいじゃないですか。内Pみたいに。
で、次の一手として、今のモンスターの人たちだけで、「内村さまぁ〜ず」みたいなスピンアウト的な小規模な慣れ合い番組を創ってもいいだろうし、ね。

ちなみに。
僕が『フリースタイルダンジョン』にラッパーとして出たとしたら、
独り言スタイル
をやると思いますね。
以前、モンスターの一人である、dotama君が、相手も、客も見ない、後ろを向くスタイルというのをやっているのを見て、斬新だな、と思ったんだけど、お客さんに囲まれているフリースタイルダンジョンという番組の性質上、それも出来ないんだよね。
だから、僕は、
対戦相手も見ず、お客さんも見ず、また、敵の後ろも見ず、ただただ、下を向いて、ぶつぶつつぶやく、独り言スタイル
でいこうかな、なんてね。
――でも、それやってそうなラッパー、一人、いるよね。
ハハノシキュウ君。〉(2017年3月4日付)


故人・ともなりたかひろ氏の遺作『落丁城』(「縦書き文庫」/無料)
https://tb.antiscroll.com/novels/jiga619/19865

落丁城表紙 文字付きver..jpg

2016年11月25日

和田アキ子が紅白落選した「真相」をプロデュース!

――今回、「紅白」も「衣替え」したよねー。

・・・・・・。

はい、これで、今週のブログ・テーマ全て「回収」しました、終りです(0.02秒)。

決定的なことは、
「演歌勢」が一斉に「辞退した流れ」を作ったのは、サブちゃんである、ということだ。
サブちゃんは、紅白を「引退した後」、格別、「不利益」をこうむらなかった。
むしろ、「引く手あまた」であった。
そこに、「演歌勢」の「辞退」の「要因」がある気がする。
かつまた、和田アキ子の件は、
「なぜ今回落ちたのか?」
というより、
「なぜ今まで出場することができたのか?」
と逆説的に考える方が近道であろう。
――解答は、簡単である。
「事務所」と「NHK」との「政治」である。
「ホリプロ」は、――いや、というより、和田アキ子は、
「アッコにおまかせ」的な番組に、
『様々なアイドルやらを呼んでやってんだからあたしを紅白に出せよ』
という「逆バーター」なのだ。

テキスト漫才『M-1ぐらんぷり決勝用ネタ』
http://bit.ly/2g7xNYn

2016年06月09日

小林麻央さんの寿命はあとわずかだと思えてならない。。説をプロデュース

・・・今週のブログ・テーマ、
「6月19日は父の日!何を贈る?」
とかほざいてますけど、まぁ、健康用品でもあげればいいんじゃないですか、中年ですし。まぁ、それが妥当でしょうよ。
・・・はい、もうこれで「テーマ」回収しました。終り。
……それよりもね、あの、僕にとって6月19日は、僕の誕生日以外の何物でもないんですよね。
そして、6月19日は、かの太宰治の誕生日でもあります。
かの太宰さんは、次のような言葉を残しております。
明ルサハ滅ビノ姿デアロウカ
――この言葉を、僕は、海老蔵さんの会見を見て、あるいは、小林麻央さんの過去の笑顔の映像を見て、あるいは、小林麻耶さんの笑顔の映像を見て、
「――ああ、しっくりくるな。。」
と思ってしまいました。。

・・・これまでの文章のテンションでもお分かりでしょうが、今日の僕は、海老蔵さんの会見を見て、大変、鬱になっております。
なんなら、泣いてしまいそうなぐらいでした。
――別に、肉親が死んでも泣かない、この、僕が。
――別に、海老蔵さん夫妻とはなんの関わりもない、この、僕が。

自分でも理由は分かりませんが、たぶん、海老蔵さん夫妻を僕は、日本の「ウィリアム王子とキャサリン妃」だと思っていたんですよね。。
「国民」が羨むような「ベスト・カップル」だと。。
いや、それも理由としては全然、体を成していないですね。。……ちょっと、考えさせてください。。

・・・なんでしょう、海老蔵さんの姿勢にも心を打たれましたし、いや、それ以上に、過去の、麻央さんの、美しく、気高く、周りを照らす煌びやかな笑顔が、…その「明るさ」が、いかにも、儚げで、美しいまま、すっと消えてしまいそうな予感がしたからでしょうか。。

あの、麻央さんの、周囲の全てを照らすような、美しく、気高く、明るいオーラを見ると、やっぱり、前述の、太宰さんの言葉を思い出してしまうんですよね。。
明ルサハ滅ビノ姿デアロウカ
「明るさ」というのは、やっぱり、実は「今にも消え入りそうな繊細さや脆さ」と表裏一体な気がします。。

とにかく、……麻央さんと海老蔵さんが、あまりにも可哀想で、可哀想で、仕方がないんです、僕は。


ここから言うことは、すべて、僕個人の「予感」や「妄想」に過ぎません。
ですので、「間違い」だと思います。
なんなら、僕の「予感」や「妄想」なんか的中しなければいい、と本気で思っているので、ちょっと書いてみよう、と思います。

1年8か月も抗がん剤治療して「手術」っていうのは、まずありえない、とレベル4の大腸がんを患った経験を持つ母が、言ってました。。
だから、「入院生活を辞めた」のも、…僕は、「残り少ない時間を家族で過ごしたいから」と受け取っちゃうんですよね。。



通院」のくだりの際、多くの人が、
ああ、麻央さん、入院しなくてもよくなったんだな
「良い」意味で解釈したと思うんですけど、あの、海老蔵さんは、そのとき「快方に向かっているので」とは、言わなかったじゃないですか。。
・・・だから、ああ、と。。

ゆえに、姉の小林麻耶さんの「無期限休養」=「仕事を放りだしてでも、残り少ない妹との時間を共有したい」と解釈してしまって。。
だって、過労で倒れて、「無期限休養」って言い方、普通、しないような気がしちゃって。。
普通は、体調が戻り次第、復帰します、とかでしょう。。
この「無期限休養」というコトバを使うときって、大抵、後ろ暗い、何かがあるときなんですよね。。

さらに、海老蔵さんが、「今年は休養して、旅にでようと思っている」的な発言をしたときに、ああ、これはもう、と何かを「確信」してしまいました。。
完全に、「麻央さんの悔いのないよう思い出作りをしてあげよう」ってことだな、と。


・・・まとめますと、
(快方に向かっているので、とは言わない)通院生活」=「残り少ない時間を家族と過ごしたい
麻耶さんの無期限の休養」=「残り少ない時間を妹と過ごしたい
今年は休養して、旅に出るつもり」=「麻央さんに精一杯の家族との思い出作りをしてあげたい

ということになるかと思います。。


勿論、これは小説家としての、僕の、勝手な、「妄想」であり、「予見」なので、まず間違いなく「間違って」ます。
否!
以上の、僕がした「解釈」が全て外れてもらいたい! 間違いであってもらいたい! と切に、本当に切に、願っております。
以上です。

PS.

・・・つまり、人はいつ、病気になって、死ぬか、分からないわけですから、
今週のテーマ「父の日」のプレゼントも、なんでもいいので、あげない、よりは、あげた方が絶対にいい、と思いますよ。。
死んだら、もう、おしまいなんですから。。

短編小説『いまはまだねむるこどもに』(「縦書き文庫」/無料)→http://tb.antiscroll.com/novels/jiga619/19054
いまはまだねむるこどもに(表紙).jpg

2016年02月04日

僕たちの「人生」自体が全て『依存』である、をプロデュース!〜清原容疑者逮捕の件に際して〜

ねぇ、今週のブログテーマは、「今年注目のチョコを教えて」ということですが、そんなことは、以前僕が創ったテキスト漫才『バレンタインデー』を見て頂けると分かると思う。

テキスト漫才『バレンタインデー』(漫才ヘヴン)→http://manzaiheaven.com/n/5cbb


まぁ「チョコ」と言えば「ビター」ということで、ちょっと「ビターな記事」になりますよ、今回は(話の持って行き方が強引すぎる)。

今一番「ビター」な、つまり、チョコのように「甘くない」現実と立ち向かっているのは、言わずもがな、清原容疑者でしょう。

清原容疑者のことは、だいたい僕のTwitter上→https://twitter.com/jiga_from_jigaで余すところなく書いたように思うので、ここでは、この件のキーワードである「依存」の本質について書いておく。

「依存」ときくと、だいたいの人が、「薬物」や「覚せい剤」や「セックス」のことを想起するだろうが、ここで定義する『依存』とは「生活全般」に渡る言動のことを指す。

それらは、「合法か」、「非合法か」の違いに過ぎない。

つまり、これを読んでいる貴方も、無関係ではないのだっ!!

分かってんのか! 清原を叩いている「街ゆく人たち」よ! ・・・このノロマが!!(?)

ゆえに、自分のこととして、以下の記事をお読み下さい。


というわけで今回は、『依存』の本質をプロデュース!


早速だが、ラッパーのGAKU‐MCさんの『a day in the life』という曲中に、こんな一節がある。

「いつものところに いつものものがない そんな小さなことで 僕らはおかしくなる」

この一節は、僕らの「生活全般」に渡る『依存』の本質を余すところなく言い当てていると言ってよい。


手始めに、僕らの「生活」の「小さな『依存』」から紐解いてみようか。

例えば、「携帯がなくなった」。
それだけで、貴方、大慌てでしょう? 誰とも連絡もつかないし、ネットにも接続できないわけですから。これ、いわゆる「携帯依存」ですよね。

あるいは、「自転車が盗まれた」。
それだけで、貴方、「あわわ、今日の仕事、間に合わないわ、どうしよう!」と大慌てでしょう?
これは別に、「車」でもいいし、「PASMO」でも構わないです。

あるいは、身近な例で言えば、「タバコがきれた」も、そうでしょう。一日吸えないだけで、もうイライラして、貧乏ゆすりが止まらないはずだ。

とにかく、たった一つ、たった一つでも、「生活」の「習慣」=『依存』を取られると、僕らはすぐにあたふたしてしまうわけです。

ここまでで、だいたい、『依存』の「本質」、分かってきて頂いたでしょうか?
次に、話を「人生」単位に移し、その『依存』の本質を暴いていこう、と思う。


――ここからは、「生きがい」=『依存』と定義させて頂く。

なぜなら、「生きがい」という言葉は、「かっこいいポジティブな言葉」だと思われているが、それを奪われたらおしまい、という意味では、「『依存』でしかない」という「ネガティブな側面」を有しているからだ。


例えば、「仕事」が「生きがい」の人が、定年を迎え、その「仕事」=「生きがい」を失った途端、何もする気がなくなった、というケースはよく耳にする話だろう。
つまり、逆説的に言えば、その人は「仕事」に『依存』していたのだ。
というわけで、はい、『依存』ハンコ、ポン!『依存』確定で〜す。(?)

あるいは、「家族」なども『依存』の代表例に入るだろう。
これもよく聞く話だと思うが、長く連れ添った夫婦が一組、いたとしよう。もう結婚して40年にもなる。ゆえに、夫の方は無口で、妻に対してロクに口もきかず、過ごしていた。決して冷たく接していたのではない。そんな不愛想な態度が、その夫にとっては当たり前だったのだ。
だが、ある日突然、妻が死んでしまったとする。
そうした途端、なんとたった一日で、その不愛想な夫の髪の毛が真っ白になってしまい、その日以来、廃人になってしまったという。
たとえ、お金も持っていても、豪華な一軒家を持っていても、妻という要素を引き抜いてしまえば、こんなふがいないことになってしまう。
これも、無意識のうちに、「妻」という存在に『依存』していた、ということが言えるだろう。

などなど、例を出せばキリがないが、僕たちの「生活」あるいは「人生」全般のすべてが、実は『依存』で成り立っていることがお分かり頂けただろう。

最後に、三島由紀夫のこんな言葉を置いておこう。
精神を凌駕できるのは、習慣という化け物だけなのだ。











自由テキスト

2016年01月10日

「今年の目標」 feat. 「2016年日本はどうなるか」?&「ベッキーの不倫騒動における真の情報提供者は実は僕かもしれない」・・・をプロデュース!

どうも。

基本的に、毎日、何人観覧数が来ているのか、あるいは、ランキング(?)で何位になっているのか、とか、あるいは、数少ないコメントにも、まったく目を通さない主義の、ともなりたかひろです。

理由は、・・・はい、メンディーくさいからです。

まぁ、今日のテーマは、「今年の目標は?」っていう、fanblogさんからの要請ですけどね、このブログは「時事ネタブログ」という体裁ですし、時局も時局ですから、ちょっと「今年のテーマ」は横に置いておいて、“よく知ればゲス”(有吉の“よく見ればブス”を拝借)の「ベッキー」について、ちょっと語らせてもらいますけどね。

もちろん、「今年の目標は?」については後々、書きますよ。 ・・・たぶん。

で、ベッキーについてはですね、色々な人が色々な場所で書いているだろうし、今回の件を利用した「大喜利」(上手いことを言うこと)もネット上で散々出回っていることでしょう、なので、僕が改まって書くことは何もないので、ちょっと視点を変えて、僕らしく、つまり、小説家らしく、以下の図のように、「言葉」(句読点)の違いによって、ベッキーの「精神構造」を分析する「遊び」にとどめておきましょう。

ベッキーの略奪愛の精神構造.jpg


どうです?
当たらずとも遠からず、というところでしょう。

だから彼女は、あまりに「清く正しく美しい」という、芸能人としての「キャラ」=「自己像」を最初から打ち出していたから、「損」ですよね。

だって、これが、オアシズの大久保さんとかだったら、こんな略奪愛に走っても、全然「ネタ」(笑い)になるじゃないですか。

「ええ、不倫してましたよ。だって、最初から私はゲスですから」って言えますもんね。

そういうところを含めて、・・・ベッキー、残念だったね。

そんなことより、僕、ベッキーについて隠していることがあります。
・・・あの、ここだけの話ですよ?
これは、この記事を読んでいる貴方にだけ漏らす大事なので、他言しないように。
あのですね、今のベッキーの置かれている状況を、・・・誇張ではなく、栗原類54世(いや、山田ルイ54世みたいに言うな)よりもはるかに具体的に「具体的に予見」してたんですよ。

『人に迷惑をかけるな』(パブー・無料)→http://p.booklog.jp/book/76338

まぁ、それはさておき、「今年の目標」ですけど、・・・まず言いたいのは、「僕自身の目標」なんて、僕自身興味ないですし、どうでもいいです。特にないですし。
そんな僕の個人的なことはさておいてですね、ちょっと日本情勢がどうなるか、それを考えてみましょう。

では、「今年、日本情勢がどうなるか?」、お教えします。

答え。

・・・まったく、分かりません。

すみません、去年は「パクリ問題」が起こる(小説『太郎取扱説明書』→http://indiesbunko.com/index.php?IB_taro)とか、「水害」が起こる(小説『ひとつになるとき』→http://tb.antiscroll.com/novels/jiga619/18203)とか、ある程度「予見」できていたんですけど、今年に限ってはどうなるか、皆目、見当もつきません。

ただ一つ。

ただ一つ、「見えること」が、あるんです。

それは、「安倍総理、というか、自民党が、夏の参院選で勝つ」ということです。

それはなぜか?

答え、「安倍総理が、ズルいから」、です。

昨年、数々の政策を決定導入してしまった結果、国民生活にも良くない意味でさまざまな「変動」が起こりましたよね。

TPPで国内のお野菜が高い、とか。
増税で、懐が寒い、とか。
そのくせ、国民年金料は下がったり、とか。。

だから、今の一般的な国民は、・・・いいですか、ここが重要なのですが、――日々の生活にいっぱいいっぱいなので、「安倍政権反対!」なんて声をあげる「体力」がないほどに、「生活」に疲れきっているんです。

ゆえに、「反政府の声」は、昨年のシールズのように、「過激に高まる」ことはないでしょう。

繰り返すようだけど、安倍さんが決めた政策のせいで、日々の生活に「疲れてきっている」からね、僕たち一般国民は。

一般市民は不満がなくて「安倍反対!」を叫ばないのではなくて、不満はあるのだけど、安倍さんによって変えられた「生活」自体に「疲れ切っている」ので、半ば「投げやりで諦めがち」なわけです。

新政策導入で国民を「生活レベル」で「疲れさせて」、「反発の声」さえ国内から出させなくする――。

これが、安倍総理の「ズルさ」なわけです。

・・・あー、僕も疲れきっているよ、安倍さん、・・・クソ。

安倍さん。

あんたの首相官邸の屋上に、ドローンで、「子供用のドレス」を置いてやろうか。

もちろん、皮肉の意味で。(安倍さんには、子供がいないから)












2015年12月26日

『今年を漢字一文字で表すと』をプロデュース!〜「今年を漢字一文字で表すと」の「一文字」を「標識」にしてみたら?の巻〜


漫才「五郎丸ポーズ」
「どうも〜、今日はフォースが覚醒しております」
「(頭を叩いて)酒に酔ってるだけだろ!」
「酒じゃない。・・・酒とクスリだ」
「余計ダメじゃねーか! でも、大丈夫ですよ、お客さん、叶美香さんみたいにはなりません、こいつ、後でトイレで吐いてますよ」
「ずるいぞ!それ、俺のボケじゃねーかよ!」
「おめーのじゃねーよ!とにかく明るい安村のボケだよ!」

・・・・。

というわけで、今回は、

今年を漢字一字で現すと?」をプロデュース!


まぁ、客観的にいえば、変化の『』でしょうね。

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sho_20121231.pngundefined


@ 国内情勢
A 国外情勢
B 一般市民の暮らしカルチャーも含め)
C 自分自身の生活

この4つの領域において、良くも悪くも「変化」した年だと思いますけどね。

まず@の「国内情勢」で言えば、安保理の可決や、マイナンバー制度の導入や、TPP参加の決定など、政治システムに「変化」が起こった年でした。

そして、「国外の状況」においては、もちろん、先のパリ同時多発テロの「変」(いや、昔の桜田門外の変みたいな言い方するなよ)があり、世界情勢が大幅に「変動」しました。

次に、「一般市民の暮らし」ですが、やはり@の「国内の政治」の影響で、日本産の食べ物が高騰したり、政治への不満から「変化」を起こそうとするデモ集団が現れたり、あるいは、不安定な生活境遇からか、多くの拉致・殺人を起こす「変人」(逮捕者)が続出しました。

そして、「自分の暮らし」でいえば、―ーまぁ、いろいろ「変動」が多い一年でしたね。バイトしなくても食っていける収入源をゲットしたのでバイト暮らしを辞めましたし、あと、小説家としては『インディーズ文庫』さんと喧嘩別れしましたし、『小説・神聖かまってちゃん』を巡ってパーフェクト・ミュージックさんと「訴訟沙汰」になりかけたりもしました。まぁ、今となってはどうでもいい話ですし、皆さんも興味ないでしょうから、これ以上は言いませんけどね(←この決まり文句を流行らそうとしましたが、全く、でした)。

ところで、話は「変」わりますが、こういう今年を漢字一文字で現すという遊びに、「標識」を導入してみたら面白いかも、とちょっと思いましたけどね。

例えば、『』という一字を「標識」にして、あらゆるシュチュエーションを考えてみる、わけです。

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例えば、『ここで携帯は使用しないでください』という「標語」の隣に、『』という「標識」を置いてみる。
そうすると、携帯を使用していなくても、その人の携帯のワイヤレスネットワークが壊れる、というね。
そして、その相手との関係も「壊れる」というね。
・・・う〜ん、普通過ぎて面白くないですね。

あるいは、こんなのはどうでしょう。
コンビニ。
足元の「ここにお並び下さい」の「ライン」の前に、『』という「標識」を置いてみる。
そうすると、・・・並んでいた客が一歩レジへ前へ進もうとした途端、落とし穴が空き、どすんと落ちます。
そう。
今、youtubeの広告CMでよくみる出川哲郎です。

あるいは、コンビニverならば、『』でもいいです。

足元の「ここにお並び下さい」の「ライン」の前に、『』という「標識」を置いてみる。
そうすると、僕の前に並ぶ客が「変」になって、狂いだし、「コンビニのあの子」に向かって暴力を働かそうとするわけです。
そこで、すぐさま僕は、
「暴力はダメじゃないですか。・・・・・大丈夫ですか、店員さん」
と「コンビニのあの子」をかくまうことで、その娘とお近づきになれるチャンスが生まれるわけです。。。(以下、妄想2000文字)

まあ、最後のコンビニの例に関しては、僕のtwitterやfacebookをチェックしていないと分からない実体験のネタなので、もし知りたければ僕(ともなりたかひろ)のtwitterやfacebookを覗いてみて下さい。

とにかく!
工夫次第で、こういうイベントも面白くなる、ということが分かれば全員100点!

では、よいお年を。

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2015年10月03日

福山雅治の「関係者」がその私生活を激白!〜「関係者」の定義〜

どうも。
福山雅治の「関係者」の一人です。

今日は2015年10月3日、ということで、今年も残すところ、3ヶ月となりましたね。

これを読んでいる「あなた」は、いかがお過ごしですか?

僕は9月の時点でですね、れいの「エンブレム盗作問題」と、8月に起きた「台風18号」を利用することで、以下の2つの小説を「プチ・ブレイク」させることが出来ました。

「盗作問題」が起こることを以前から「予見」したことで再評価=小説『太郎取扱説明書』(インディーズ文庫・無料立ち読み版あり)→ http://indiesbunko.com/index.php?IB_taro

「台風18号」による被害とそれにまつわる人間模様を「予見」したことでサイト内読者数NO.1獲得=小説『ひとつになるとき』(縦書き文庫・完全無料)→http://tb.antiscroll.com/novels/jiga619/18203


これで大体今年の仕事はやり終えたなぁ、と思ってですね、最近、秋にもなってきたし、紅葉を見にいこうよう、ということで、部屋で旅行支度をしていたらですね、もうすでに我が部屋が「紅葉」していることに気付いたんですよ。

なぜなら、部屋の壁がまっ黄色に染まっていたんで

・・・って、それただのタバコのヤニだろーっ!!

ということで、お久しぶりです、最近は小説家でなく、漫談家のともなりたかひろです。

今日は、福山雅治さんの「関係者」とは、どこまでのことを指すのか、についての考察を書くつもりだったのですが、もうすでに動画にしてしまったので、以下の動画を見て頂ければ、その「答え」がわかるでしょう。

動画コント「福山雅治の関係者が激白!〜どこまでが「関係者」か?〜」





ほんと、上の動画のように、福山さんの「関係者」でもないのに、無理にこじつけて「関係者」ぶって、このたびの「福山フィーバー」に便乗している人が多いですよね。

以上です。

あ、ついでに、短いですが、面白い漫談動画を置いておきます。

『漫談「モーフィング」(やかんの話×デモの話×国勢調査の話)』



2015年08月31日

「この平和がずっと続きますように」は欺瞞!の件(=ゆずが大嫌いだ!)

はい、どうも。


・・・先日、2ちゃんねるにおけるたった一つの発言で、『物証乏しく大阪中1遺棄の山田容疑者は「殺人罪」に問えず?』のスレを発生させた、裏の火付け役の、小説家のともなりたかひろです(まぁ、「半分」は誇張ですけどね)。

ごほん。

いやぁ、それにしても、最近急に涼しくなりましたよねぇ。・・・とうとう「秋摂政」の到来かぁ、なんて思ってますけどね(いや、「冬将軍」みたいに言うなや)。

ところで、話は351度変りますけど(出た、中途半端な角度)、よくさ、「この平和がずっと続きますように」なんて、言うじゃないですか。

でも、この発言に僕は違和感があるんですよね。

だって、僕たち日本人の「生活」自体を鑑みればさ、どこが「平和」やねん!状態(それは多くの“犯罪”という形で顕在化している)だし、むしろ毎日の「生活」自体が「戦争」だと思うから。


特に、若い子なんかは、それを痛切に感じているんじゃないですかね。


若い子にとってはまず「就職」自体が「戦争」。


数少ない自分の「椅子」を確保するために、他者と争うんだからね。

しかも、その「戦争」に負けたら、「自分の人生は終った…」と絶望し、自殺しちゃう子が一定多数いるという、この事実。

あとは、――なんでもいいですよ。


「恋愛」だって、「戦争」。


「結婚」だって、「戦争」。


「子供がもてるか」だって、「戦争」(特に女性の方にとってはそうでしょう)。


「孤独死しないか」(一生他者から承認されないで死ぬかもしれない不安)だって、「戦争」。


・・・みんな「戦争」ですよ、ある意味では。


で、話は冒頭に戻るんですけど、「この平和がずっと続きますように」とか、「もう二度と戦争は起こって欲しくない」とか、安易に発言する人、いるじゃないですか?

その、外国との武力行使を伴った意味での「戦争」とか「平和」を持ち出すことによって、今国内で日夜行われている、もう一つの、僕たちの日々の生活自体の「戦争」を無意識的に「隠蔽」している「欺瞞」が、僕は気に食わないわけです。

ぶっちゃけて言ってしまえば、・・・うーん、「この平和がずっと続けばいい」とか、あるいは、「戦争反対!」と叫んでデモに参加されている方々には、「ああ、そう。デモに参加できるほど“生活”に余裕があるんだネ」という皮肉もあり、だと思う。

――だってさ、日日、手に汗して必死に働いている人たちにさ、「日本の政治がどうたら」とかさ、「世界情勢のなんたるか」なんか、語っている「余裕」なんか、ないじゃない。

だから逆に言えばさ、「この平和がずっと続けて欲しいとかのたまっている人たちはさ、日々の「生活」という名の「戦争」の「勝利者」であって、つまり、収入も安定していて金銭の不安もなく、結婚もし、家もあり、子供もいて、まさにご自身の人生が「平和」だからこそ、「この平和がずっと続いて欲しい」なんて甘い戯言を言えるわけじゃん。

その代表的なのが、天皇陛下だけどね。

あるいは、「ゆず」みたいな、安っぽいミュージシャンとか、24時間テレビに出てるジャニーズのアイドルとかさ。

これらの人たち、・・・全然「生活」に困ってないじゃん。

「良い暮らし」してんだから、そりゃ、「平和がずっと続きますように」って言えるよね、無神経にさ。

だから、これらの人たちが、どん底まで落ちて、金も底をついたときに、以前と同じ“笑顔”で「この平和がずっと続きますように」と言えるか・どうか、だよね。

そこを考えてみれば、本当の意味での「戦争」や「平和」の「本質」がわかってくると思いますけどね、僕は。

以上です。

そう。
人間、全員が救われるわけでない。救われる人もいれば、救われない人もいる。
そんな不条理さに業を煮やしている、そこのあなたは、以下の曲をおすすめしますよ。

・・・この動画、山崎まさよしさんの名曲『One more time,one more chance』をバック・トラックにサンプリングしたポエトリーリーディング(詩の音楽的に朗読する)なんですが、先日、山崎まさよしさんがデビュー20周年ということで、僕もFacebookで山崎まさよしさん本人とコンタクト取ることができまして、で、そのとき、「山崎さんの曲を使ったポエトリーリディングの動画があるんですが、・・・できれば見てやってください!」とメッセージを送ったんですよ。
その後、山崎まさよしさんから、「視ましたよ。いい曲だと思いました」というメッセージを頂いたのです!
うれぴーっ!
というわけで、山崎まさよしさん「公認」かつ「推薦」の曲、『人はパンのみにて生くるにあらず』、じっくり聴いてくださいネ。
そんじゃ〜。





2015年08月21日

高槻少女殺害事件の「真相」

どうも。

・・・久々に、・・・ともなりたかひろが、――くるぅ〜!!
…ってことで、ザキヤマさん、結婚おめでとうございました。末永く、お幸せに。

というわけで、ニコニコ静画×『なかよし』コラボ企画マンガをなんとか書き終り、ほっとしている、ともなりたかひろです。

今回は、寝屋川市の殺人事件について、(連日のマンガ制作のせいで)疲れているので、軽く書いて寝たいと思います。

――僕の小説家としての勘ですけど、犯人の「目的」は、女の子の「殺害」もしくは「性的暴行」の方で、男の子の方は「不要要素」だったと思います。

だって、その他に「目的」が見当たらないもの。

そして、屋外・屋内で殺害した説はないと思う。

100%車内だと思う。

どうやって誘拐したか、まではわからないけど、女の子の家庭事情(ちょっと「親」や「家」に反発してたらしいじゃない)から言って、犯人の“自由な場所へ案内してあげるよ”的な甘い「口車」に乗って「車」にすんなり乗ってしまった、という推理は、まぁ理屈としては通るよね。

男の子が殺されているか・いないかは別としても、「遺棄」はしてない、と思うんだよね。

だって、「遺棄」=「自分の逃走ルート」という「印」をつけることと同義だからね。

わざわざ「点」を「線」を繋げるようなバカな真似は、まぁ、この手の計画的犯行に及ぶ犯人の性格から言って、しないだろうな、と。

つまり、男の子の方は、犯人にとって、逃走の「時間稼ぎのコマ」ですよ、明らかに。

案の定、寝屋川の警察が、寝屋川市近辺の、河原の草っぱらなんかをえんらこらせっせと捜索している時点で、「あはは、バカだなぁ」と思ってますよ、犯人は。

まんまと逃走の「時間稼ぎ」の「罠」にかかってるわけだからね。


あと重要な点は、「現時点で寝屋川市警しか動いていない」ということじゃないすかね。

全国捜索じゃないじゃない、車で逃走してんのに。

近辺捜索にただでさえ少ない「人員」を割いてちゃ、車の検問の方は後手後手になる、――って話じゃないですか。

ていうか、事件発生から結構経っているのに、車種すら特定できてない時点で、「・・・」って話ですけどね。


肝心の犯人像ですけど、――専門家曰く、「土地勘」のある人――、それはそうなんでしょう、おそらく。

ただ、「顔見知り」ではないですね、確実に。

「身近な人」(ネット上も含む)は、まず真っ先に疑われるわけだから。

「身近でない人」でも、女の子がついていってしまう理由――それは前述の通りです。


しかし、話は142度変りますが(中途半端な角度〜)、寝屋川市の事件なんかを見ると、現代の「家庭」の「ロールモデル」(見本)なんか成立しないんだな、とつくづく思いますね。

あまりに多様化しているから。

そりゃ、万人に共通するような「ホーム・ドラマ」なんか現代に成立するわけがないよね、って話ですよ、橋田壽賀子先生!


「親」というロール・モデル(見本)がわからなくなっている、というのは、ドラマはおろか、アニメ観てるだけでわかるでしょう。

例えば、『けいおん!』における「親」の「存在感」の希薄さがいい証左でしょう。

つまり、どういう「親」が、「現代の親っぽい」のか、わからないんですよ、誰にも

もちろん、90歳で石頭の橋田壽賀子さんに見抜けるわけない、っていうね(笑)。

まぁ、そんな感じっす。

・・・あ、今日もアフィリエイトの広告貼りますけど、うん、いいです、別にクリックしなくて。

それでは、皆さん、自由にお過ごし下さい。





2015年07月21日

広瀬すずは「性格」が悪い、のではなく、広瀬すずは「俗物」である、という件

どうも。

最近、僕の「ある小説」が原因で、パーフェクト・ミュージックという音楽会社と「訴訟沙汰」になりそうな(本当のこと)、小説家のともなりたかひろです。

もし裁判で「執行猶予」がついたらウケるよね(笑)。

だって、僕の人生自体が「執行猶予中」だからね、普通に(笑)。


まァ、そんなときはさておきさ、僕はね、広瀬すずさんに一言言いたくてここにはせ参じたわけなんですよ。

彼女、『食わず嫌い王』で、スタッフの方へ「職業差別」とも取れる発言したじゃないですか?

そんな、人の声を録音することだけの人生でいいの? 的なさ。

僕は彼女はまだ若いのだからそのくらいの失言は仕方がない、とかいう理由で許す気はなく、徹底的に批判したく思っている。

――あのね、広瀬すずさんは、ご自身を「選ばれた人」だと思っているんだよね。

つまり、「必然」として、今の自分の「人生」や「状況」がある、と思っていらっしゃる。

でもさ、と思うんだよね。

「一回性」の「人生」において、支配しているのは「自分の力」ではなく(いや、俺は自分の力で人生を勝ち登ってきたぞ、という意見の方もいらっしゃるだろうが、それはこの後ちゃんと注釈しますから)、多くの「見えない力」のせいだったり、「なぜか物事が巧く運んだ」という「偶然の堆積」だったりする、・・・つまりは、多かれ少なかれ、「自分ではどうすることもできない大きな流れ」によって「一回性」の「人生」は形成されていくんだよ。

つまり、たった一度きりの「人生」において獲得した「人生訓」が、100%正しい、とは思えないわけ、僕には。

少なくとも、世にいる瀬戸内寂聴みたいな「人生訓」を垂れる人は、「真理」の半分しか分かっていない、ということにすら気付いていないことは確かだ。

それが、「人生の真理」の「全て」を知っているかのような顔で民衆に説いているのだから、いやになるのだ。

だってさ、考えてもみてくださいよ、「もう一回人生やり直しね〜」ってなったらさ、「今回の人生」のような「立場」や「状況」を得られるか、って言ったら、ちょっと難しいと思わないかい?

ここだよね、ポイントは。

例えば、「今回の人生」で「社会的に成功」した人は、きっと「信念を貫けば、人生は自分の力でどうにでも出来る」という「人生の真理」を得るだろう。

しかし、反対に、「今回の人生」で「社会的に失敗」した人は、きっと「信念があろうがなかろうが、関係ない。世の中には、自分ではどうすることもできない力が働いているのだ」という「人生の真理」を得るだろう。

簡潔に言えば、広瀬すずさんには、今はこういう「恵まれた人生」を生きているけれども、「私だって『もう一回人生やり直せ』ってなったら、もしかしたら音声さんとして一生地味に暮らしていたかもしれない」という、「可能世界」的視点が欠けているのである。

そして、この「可能世界」的視点が欠けていることの何が悪いのか、というと、――答えは単純、世の「弱き人々」に対して「本当の優しさ」を持てない、ということなのだ。

「今俺は音楽で成功して暮らせていけてるけど、もう一回人生やり直しってなったら・・・夢破れて日の目も見ずに人生終ってたかもな」
こういう風に考えるだけで、――病床にいる子供にも、いじめで自殺してしまった小学生にも、就職で失敗してニートになってしまった青年にも、いい年こいて派遣やっている中年のおじちゃんにも、駅の立ち食い蕎麦屋で働いているおばちゃんにも、・・・少しは「優しい」視点を持てるんじゃないの?・・・ってことさ。

そして、この「立脚点」(悟り)を得た人は、――他人に「人生訓」なんて絶対垂れないよ。


つまり、本当に「賢い人」ほど、ただ黙って、かすかに笑っている「無力な人」なのですよ。

それはもう、皆さんご承知の通り、――「この世はどうにもならない“偶然”が支配する“不条理”な世界で、救われる人もいれば、救われない人もいる」という「本当の真理」を知っているからですよ。

自分の「今回の人生」だって「たまたまそうなった」んだから、――無責任に、他人に向かって「こう生きれば幸せになれますよ」とか、言えないよ、そりゃ。

とまァ、これ以上話すと、それこそパーフェクト・ミュージックに「削除」された「ある小説」の内で扱ったキリストの話になっていきそうなので、もうやめますけど、とにかく僕は広瀬すずさんは「本当の優しさ」を知らない人だ、ということは確かだと思いますね。


・・・ていうか、関係ないけど、このブログ、全然、「アフィリエイト」になってないですよね・・・。
最近は商品すら紹介していないし。

結果にコミットする!

全然出来てないやんけ!

という漫才が成立するぐらいに、「アフィリエイト」になってない。

うん。

まァ、いいや。


一応、この記事の最後に、アフィリエイトの広告を貼っておきますね。
じゃ。
自由テキスト









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