2021年01月08日
その332 心春 桜子さんと40年
嫁君と出逢い暮らし40年目です
そんなアフォ夫婦のお話しです
かおりんのCDです
2年前に書いたブログです
それから程なくして母は
2回目の脳梗塞で倒れました
嫁君は笑顔でその後の
酷い後始末を
一緒にしてくれました
2018/2/8大問題が
あたしを襲いました
一家離散・離婚でも
仕方のない事でした
嫁君はこの時も
黙って微笑みあたしを
支えてくれました
一足早いですが
寒さ凄まじいおり
せめて待ち遠しい
春の息吹を感じて下さい
心の桜 嫁君と出逢い
今年40年を迎えました
あたしが十九
彼女が二十でした
あたしらはすぐに
一緒に暮らしました
そしてこの6月に
あたしの桜子さんは
還暦を迎えます
何を感謝すればよいのか
どう表現すればよいのか
あたしにはわかりません
挙げ句に40年のうち
8年はマヒーズでした
出会った頃からお金の事で
苦労ばかりさせてきました
それも普通の苦労じゃ
ありませんでした
情けない男です
今更その時間を
償うことなどできません
光陰矢の如しとは云え
思い起こせば
たくさんの記憶の
欠片(かけら)は
嫁君の笑顔と共に
あたしの心に
確かに在ります
少し前かおりんの部屋で
小石たちと「男と女」
そして出逢いと
その形について話しました
男女が出逢い恋愛し
一緒になる最終形は
何も結婚と云う形だけじゃ
無いと思います
そしてその長さでも
ありません
人それぞれの人生です
人それぞれの生き方や想い
形があるからです
どちらが良いとか
悪いとかじゃありません
麻痺が重いだの軽いだのと
他人と比べワーワー
騒いでいるのと同じです
自分がどうありたいのか
自分たちがどうしたいのか
それだけです
人と比較する事じゃ
絶対にありません
他所を見て羨み妬むなんぞ
まさに愚の骨頂です
40年の月日は
あたしも嫁君も
その見た目を
恐ろしく残酷に
変えました (^^;)
でも!
お互いに抱いてる想い
そう相手を想う心は
変わってないと
信じています
40年間で一度だけ
大きな喧嘩をしました
他愛のない原因でした
その時あたしは
人生の師と仰ぐ方から
教えられました
その方はいわゆる
反社会的な方でした
ですがあたしは
素晴らしい方だと
今でも思っています
男はな
たとえそれがてめえの
ミスじゃなかろうが
悪くなかろうが
愛した女房には
黙って謝れ
いいな!
男は謝って
ナンボだ
それが漢だ
手をあげたなら
お前は
黙って逝け
小さな喧嘩や言い争い
そりゃ沢山ありました
短気で意地っ張りな
あたしはこの言葉を
守れたでしょうか?
かなり怪しいです
今でも怪しいです(笑)
ですが結果として
40年の月日を共に
歩んでいます
今施設にいる母が
小さな頃から
どんな理由にせよ
女性に暴力を
振るっては絶対に
いけません
男が女と喧嘩すれば
女は勝てません
そしてその拳は
女の心を砕きます
それは男として
人として最低です
母の言葉守ってます
当たり前です
もっとも今は
絶対に女性に
手なんて出せません!
出したら最後
ぶっ飛ばされて
あたしは即昇天です
できるなら
嫁君と
最後の一瞬まで
そして次の世でも
ありがとうの言葉を胸に
一緒に居たいです
大切な貴女とーー
今まで家内を嫁君と
書いてきました
嫁とは実際は息子の
奥さんや嫁いだ娘を
差しますから
本来の意味で言えば
間違ってます
あたしが大好きなブログで
奥様やパートナーさんの事を
愛方と呼んだり
神さんと呼んだり
とても美しい呼称が
たくさんあります
心の桜は
あたしの人生の
散ることのない
全てを超える
想いです
何時いかなる時も
それは花舞です
人生の華です
その大事な心の桜に
ありがとうを込め
あたしも今日から嫁君を
桜子さんと
よばせて頂こうと
思います
くだらぬ事を春先から
延々と書いて
すいませんでした
m(_ _)m
あふぉの戯言と思い
笑って許して下さい
自分が想うまま
自分達が想うまま
その愛しい人と
愛しい仲間と
笑顔の中で暮らす
新しい年を迎えれば
心春の朝に愛拶をする
それが全てです
今シングルの
小石さんたちも
そんな桜郎さんや
桜子さんと出会う
時の妙がいつ何時
訪れるか誰にも
わかりません
絶対に
見逃さないで下さい
そして
黙って待つのも
いいですが
一歩前に出て
見つけにいくのも
素敵です
だって何でも
トライ&エンジョイ
それが人生だからです
さぁ次は
50年目です!!
まだまだ続きます
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