2008年08月31日
VAIO 08秋冬 TypeR画像
2008年06月10日
HDR-CX7の後継機、HDR-CX12発売
HDR-CX7の後継機、HDR-CX12発売。
プレス発表:6/19 発売:7/20 主な機能 ◎1020万画素静止画記録 ◎760万画素静止画同時記録 ◎光学式手ブレ補正 ◎1920x1080iハイビジョン記録(FHモード記録時) ◎顔検出機能(顔ビット優先あり) ◎スマイルシャッター機能 ◎光学12倍ズーム、デジタル150倍ズーム ◎2.7型クリアフォト液晶プラス(タッチパネル) ◎スタミナ最大6時間15分 ◎クイックオン 2008年04月22日
VAIO 2008年夏以降情報+アクセサリーNEW情報
「VAIO 2008年夏モデル情報」の続報。
TP1の形をしたホームサーバーが出る。 つねに電源をONにしておいて 写真や音楽などをためこんでおく。 そして離れた場所のテレビやPCから 「ソニールームリンク」およびDLNAを利用してアクセス。 また、フォトフレームのVAIOバージョンが発売。 S-FRAMEとの違いはLAN端子があること。 ★VAIOの今後のモデルチェンジスケジュールまとめ★ ◇◇◇◇08夏◇◇08秋冬◇09春◇◇◇◇ typeF ─新筐体 typeS ─新筐体 typeBX─新筐体 TP1 ──新筐体 typeT ─────新筐体 typeA ─────新筐体 typeN ─────新筐体 typeC ─────新筐体 typeR ─────新筐体 typeL ─────新筐体 typeU ─────────新筐体 typeG ─────────新筐体 2008年04月21日
2008年5月のサイバーショット新商品
すでに米ソニーでは発表されているサイバーショットが
国内でも発売されます。 おそらく4/23発表で5/16発売開始のようです。 ●DSC-W300 {DSC-W200後継} Cyber-shot Wシリーズの新モデル。 有効1,360万画素のCCDを搭載。 外装にはチタンコーティングを施し、 傷や指紋の汚れに強いとしている。 300万画素相当で、5枚/秒の連写も可能。 レンズは、光学3倍ズームのVario-Tessar。 光学式手ブレ補正機構も搭載した。 液晶モニターは2.7型。 光学ファインダーも備える。 最高感度はISO6400。 ノイズリダクションは3段階から選択可能。 大人と子どもの判別が可能な顔検出機能を備える。 人物の顔は最大8人まで検出可能。 また、笑顔を検出して自動的にシャッターが切れるスマイルシャッターも搭載。 自動シーン認識機能も備え、 カメラが自動的に5つのシーンから選択して最適な設定で撮影できる。 加えて、アドバンスドモードでは、 標準的な設定と最適化した設定の2枚を撮影可能。 また、水中モードを新設したほか、 ハイライトや暗部のディテールを改善した Dレンジオプティマイザープラスも搭載する。 予想売価45,000円。 ●DSC-H50 {DSC-H7の後継} 高倍率ズームレンズとEVFを搭載した DSC-Hシリーズの最新機種。 有効910万画素の撮像素子と、 3型可動式液晶ディスプレイを搭載する。 レンズはCarl Zeiss光学15倍ズームで、 低分散ガラスを採用する。 また、光学手ブレ補正機能を搭載する。 高速シャッターとコンティニュアスAFを組み合わせた 「アドバンスドスポーツ撮影モード」や、 ハイビジョン出力機能が搭載されるほか、 大人と子どもの顔を判別する顔検出機能と笑顔検出機能が 新たに搭載された。 本体色はブラックとシルバーが用意される。 予想売価50,000円。 ●DSC-W110 {DSC-W35後継} 米国では未発表? 有効 720万画素 BIONZ搭載 光学4倍ズーム 2.5” 液晶(115Kドット) 新スマイルシャッター かんたん撮影モード 顔検出「顔キメ」(大人/子供) 高感度ISO3200 Dレンジオプティマイザー対応 音フォト HD対応 16:9高画素モード スタミナ420枚 顔検索再生&日付ビュー 予想売価23,000円。 2008年04月15日
Sony Europe、壁掛けテレビ「BRAVIA E4000」を発表
Sony Europeは、壁掛けできる液晶テレビ「BRAVIA E4000」シリーズを発表した。
壁掛けを前提に薄型化した液晶テレビで、 40型、32型、26型の3サイズを用意。 40/32型はフルHDパネルを採用する。 「写真フレーム(picture frame)」をイメージした 狭額縁のデザインを採用し、 壁掛けすることでインテリアとの調和を図れるとしている。 また、壁掛け写真としての利用も提案しており、 専用のピクチャーフレームモードを用意。 好みのデジタル写真や絵画を表示するフレームとして利用可能で、 ゴッホの「Wheatfield with Cypresses」やポップアートの傑作など、 6種類の作品をテレビのメモリにプリインストールしている。 なお、ピクチャーフレームモード時は 消費電力を通常のテレビ視聴時より35%低減。 任意の時間に自動的に電源をOFFにする機能なども備えている。 待機時の消費電力は0.19W。 全モデルで3系統のHDMI入力を装備、 24p入力にも対応する。 40型のみ10bitパネルを採用し、 x.v.Colorにも対応する。 映像エンジンは「BRAVIAエンジン 2」。 ヨーロッパで発表されたということは 日本発売はもうすぐのはず。。。 もしかしてX5000の後継はこれか! □Sony Europeのホームページ(英文) http://www.sony-europe.com/ 2008年04月14日
VAIO 2008年夏モデル情報
VAIOの2008年夏モデル情報を
いろんなサイトから引っ張ってきました。 他のメーカーが夏モデルを発表しているので SONYもそろそろだと思います。 VAIOは必ず火曜日にプレス発表します。 まずはtypeCとtypeNが発売されるようなので こちらの発表は4/15(火)と予測されます。 しかし春モデルとほとんどかわりはないようです。 続いてtypeTとtypeG、typeLそしてtypeRが 5月ぐらいに出るようです。 こちらも5月中旬発表、 おそらく5/13(火)あたりの発表でしょう。 情報がなかなかないのはtypeFとtypeSとtypeBXそしてTP1です。 店頭で生産完了の話を聞きましたので 新モデルが出るのは間違いないです。 なんと、これらは新しい筐体で出ると以下のサイトにありました。 http://sonyfun.so-net.ne.jp そしてさらにこのサイトには驚くべき情報が載っていました!! 2008年秋冬モデルでは VAIOのフルモデルチェンジがはかられるそうです!! typeT、typeA、typeN、typeC、typeR、typeLと ほとんどのモデルで新しいボディが披露されるそうです。 ここまで読んでtypeUはもう次のモデルを出さないのか? と思われた方もいるでしょう。 typeUファンの方、喜んでください。 2009年春にtypeGとともに新筐体が出る予定だそうです。 最後に、これらは予測と推測と噂を元に文章にしたものです。 このとおりにならなくても一切責任は取りませんのであしからず。 2007年10月05日
不倫は文化である
先日、職場の歓送迎会があった。その時に出た話題が「浮気」である。相手が浮気することを許せるか、もしくは自分は浮気をすると思うか、どこまで行ったら浮気なのか・・・等々の話だ。
そういえば、昔「不倫は文化である」と言って物議を醸した石田何某という俳優がいた。「文化」であるかどうかはわからないが、石田何某の言っていることに当時から反発を感じなかった私なのである。というか「結婚」という制度自体に「なんだかなぁ」と思っているのだ。最も身近なところにいる夫婦が幸せそうに見えず、しかし制度や世間体に縛られて別れることもできず・・・という状況を目の当たりにしていたからかもしれない。
以前、アメリカかどこかの学術論文で、人間は一生の間に4〜5人くらいのパートナーを取り替えていくのが、最も生理に合っている・・・という説が発表されたのを新聞で見た時「それだったら、私も理解できるなぁ」などと思ったものだ。
25歳くらいで結婚して、死ぬまで・・・寿命が80歳だとしたら55年もある・・・同じ人を好きでいられる自信が私には全くないのだ。
しかし、そういう考え方が大多数の善男善女には支持されないこともわかっている。というわけで、本日のエントリーは、世の善男善女が読むと不愉快かと思うので、以下、あぶり出し仕様である。間違ってもPCを火で炙らないように。
そもそも「結婚」なんて制度は、誰がいつ考え出したのだろう?。「結婚」という制度がなければ「戸籍」という制度も成り立たなくなるだろうが、近親婚を避ける以外の利点があるのだろうか?。IT技術者としては、「戸籍システム」がなくなれば、わけわからん外字の作成が減って、少しは業務がラクになるんでは・・・などと思うが。
何かの雑誌で立ち読みしたコラムの中に、「かつての日本は、恋愛や性に、今よりもずっとおおらかだった」と書いてあった。
源氏物語の時代のように、心の向くまま、気にいった女のところに通い、気持ちが離れたら通わなくなる・・・というのが、一番正直な生き方・愛し方である気がする。源氏物語は男が主人公の話だが、男だけでなく女も同様でいいのではないかと思うのだ。
ただ一人の人だけを一途に思い続けることが悪いとは思っていないし、そういう人にめぐり合えれば幸せだろうと思うのだが、そうじゃなくてもOKだろう。社会的に生活していく中で、心を動かされる異性が一人だけなんて(もしくは一人だけにしか心を動かされてはならないなんて)、とてもやりきれないと思うのだ。もちろん結婚してしまっていれば、気持ちの赴くままに行動したくても、背負っている様々な事象やしがらみを考えると、気持ちに正直になるのが難しいことはわかるのだが・・・。
実際のところ、結婚という契約を交わしたことで、相手の心を独占できるわけでもないし、移ろいやすい人間の心を制度で規定する法律自体が欺瞞に満ちたものなんではないかと思う。
情報処理技術者試験という国家試験があるが、これは一度取ってしまえば、生涯その肩書きを葵の印籠のように振りかざせる種類のものだ。失効ということがないのだ。
しかしMCP(Microsoft Certified Professional)やDTPエキスパートなどは違う。一定期間が過ぎたら再試験もしくは最新バージョンでの試験合格が要求される種類のものだ。
結婚という制度は、一見、情報処理技術者試験のように、「取ったら(結婚したら)それでゴール」のように見えるが、本当はMCPのように更新するための努力をお互いにしなければ関係継続は難しい種類のものだと思う。愛し愛される努力を怠れば、気持ちが離れて行っても仕方がない。また努力だけではどうしようもないことも起こるだろう。それも仕方のないことだ。
・・・と諦めのよさそうなことを言いながら、源氏物語の中で一番共感するキャラクターは六条の御息所だったりするのだが。(六条の御息所は、源氏の心が葵の上にあることがわかった時、心を病み、葵の上を呪い殺す役回りの女性である。)
後世の人間が無理矢理作り上げた“結婚制度という倫理観”に縛られるのは、人間を不自由にしている気がしてならない。
なんだかんだと理屈をこねくりまわしたが、一言で言っちゃえば、相手が独身だろうと彼女や彼氏がいようと結婚していようと「好きになっちゃったらしょうがないよ」なのだよなぁ。
できれば結婚している相手とはそうならないようにとブレーキはかかるが、気持ちが動いてしまったら、どうしようもない。
2007年10月03日
不倫は悪なのか?
かつて「不倫は文化だ」といった芸能人がいた。
残念ながらおいらは不倫をしたことがないので、文化かどうかに関してはよく
分からないのだが、不倫というのはそもそもなんなのだろうか?と考えてみた。
簡単に言えば、妻や夫がいながら別の異性と付き合ってしまうことなのだが、
問題は言葉の意味である、「不倫」というのは現在は一般的にそのような意味
で使われているが言葉そのものの意味としては「不道徳」だったり、またはそ
のものズバリ「悪」であったりする。
つまり「不倫」とは「倫理に反する」という意味なのである。
ではどうして、夫や妻のいる人間が別の異性と付き合うことが「倫理に反する」
のか?
そんなことは当たり前じゃないか、と思うかもしれないが、道徳だとか常識だ
とかいう言葉が理由として出てきた場合は一度は疑ってみる必要がある。
道徳や常識というのは、誰かの都合によって作られたものである場合が多いか
らで、多くの場合現在では既に合理的ではないことが往々にしてあるからだ。
日本には戦前まで姦通罪という罪が存在した。
これは、夫のいる女性が別の男性と関係した場合に適用される法律で、2年以
下の懲役と定められている。
少なくとも戦前においては不倫は確かに罪だったのだ。
明治以前には「不義密通」という名前でやはり存在しており、内容は「姦通罪」
と同じ、ただし、この場合は死罪が適用される。
つまり、夫を持つ女性が他の男性と関係すれば、最悪死刑ものだったわけであ
る。
では、妻を持つ男性が別の女性と関係した場合はどうなるのか?
これは何のお咎めもないのだ。
江戸時代には政府が認めた公娼遊郭として吉原が存在し、この遊郭は明治・大
正を経て戦後も赤線区域と名前を変えて昭和33年まで残っていた。
つまり、昭和33年に売春禁止法が制定され赤線がなくなる迄は確かに合法的
に存在していたのだ。
勿論、妻帯者は客にしないなどという決まりは存在しなかったのだから、妻を
持つ男性が別の女性と関係することは社会的に「不倫」ではなかったわけであ
る。
つまり、戦前においては女性の不倫は社会的に許されないものだったが、男
性の不倫は昭和33年迄許されていたわけだ。
「最近の若い女性は慎みがない」とかそれこそ「ふしだらだ」という人の多く
はその時代を知っている人や、またその時代の残り香を嗅いで育った人々がで
はないかとおいらは思っている。
また、妻帯者が別の異性と関係することを「不倫」と呼ぶことの裏にもこの辺
の事情があるような気がする。
不倫もそうだが、同時に、では、なぜそもそも昔の日本女性には「慎みがなけ
ればいけなかった」のか?ということを考えてみたい。
日本という国は1945年8月15日までは封建国家だった。
明治以前の江戸時代も当然封建国家だし、遡れば4世紀中ごろといわれる大和
朝廷の成立以来ずっと封建国家だったわけである。
政治上の重要な役職は能力よりも世襲制度によって決められており、江戸時代
には、武士・町民の身分制度も確立している。
つまり「血」によって、世の中がまわっていたのだ。
だから、もし、身分ある殿様の奥方が町民と不倫をして子供を作り、なおかつ
旦那には「この子はあたなの子供ですよ」と嘘をついたりした日には、DNA鑑定
も無い当時としては、それを信じるしかなく、「血」によって人間の価値を決
めていた当時の社会システムそのものが根底から破壊されかねないのだ。
妻の不倫は勿論、そうなることを未然に防止する為に「女性は慎み深く」とい
う常識が必要になったのである。
逆に、殿様が町人の娘に産ませた子供は庶子として本妻の子供より一段下に
おかれることはあったが、社会的には殿様の子供として認められた。
例えば、徳川八代将軍吉宗の母は農民である。
これが、男性の不倫は良くて、女性の不倫は駄目、という「常識」の出発点で
ある。
他に例をあげるとキリスト教の禁止というのもこれと同じで、身分制度によ
って機能していた社会を保つ為には、人間は皆平等であるという考え方のキリ
スト教を容認するわけにはいかなかった。
だから、江戸時代においてキリスト教徒は隠れ切支丹と呼ばれ、改宗しなけれ
ば死罪が適用されていたが、これは何も当時キリスト教を信仰した人たちが悪
いのではなく、社会システムを維持するためにそれが必要だったから、に過ぎ
ない。
話を元に戻すと、この考え方がそのまま、不義密通という罪を生み、姦通罪
として残ったのだ。
しかし、考えてみればこれは単に男社会をうまく機能させるために生まれた社
会常識、道徳であり、戦後の日本にはあてはまらない。
少なくとも表向きは、身分がどうの、家柄がどうのという社会ではないし、戦
後日本はそういった封建社会を否定したところからはじまっているので、妻帯
者が別の異性と関係するということは、単に家庭内におけるルール違反に過ぎ
ず、社会的に、不道徳的だと糾弾されるべきものではないとおいらは思うのだ。
ただし、だからといって、おいらが個人的に不倫はしても良いものだ、とか、
するべきものだ、と思っているわけではない。
仮に自分が結婚したとして、何かの拍子に美人とお近づきになる機会があった
としたら、それはまあ、よりお近づきになりたいと思うかもしれないが、おい
らの場合、そういうことをして後でおしおきを受けるのが怖いのできっとしな
いと思うのだ、もしかするとするかもしれないが、一応、まだ婿入り前の身体
なので、しないということにしておきたいのだ。
特に不倫をして遊んでいるうちはいいが、子供ができたとしたら、やっぱり
その子供がちゃんとした環境で育っていけるか?というようなことを考えた場
合、できればしない方がいいと思う。
おいらが言いたいのは、こういった実害以外の部分で、単に常識だから不倫は
悪いことなんだ、と思ったり、妻帯者が別の異性と関係することを「不倫」と
呼ぶのはいかがだろうか?ということであり、たとえ最近の若い女の子に慎み
がなかったとしても、赤の他人の生き方が自分の嗜好と合わないなどというバ
カげた理由から文句を言うのはおかしいのではないか思っているのである。
ちなみに個人的に慎み深い女の子とそうでない女の子のどっちかが好きか?
といわれれば、おいらは圧倒的に慎み深い女の子を支持する。
何故かといえば、慎み深い女の子の方が付き合った後もあまり相手の浮気の心
配をしなくて良さそうだし、こちらの言うことも素直に聞いてくれそうだから
だ。
実に打算的だが、所詮この程度のものなのだ。
2007年09月27日
不倫は悪いことか?
わたくし「不倫」という言葉に違和感を覚えます。
更に「不倫」が法的に罰せられるということにはもっと違和感を感じます。
実におおきなお世話だと思います。もともと「不倫」という概念はキリストから来ているように思います。
つまり「汝姦淫すべからず」ですね。
それに背く者は「罪人」であって、神の「罰」を受けなければならない。
そういったことが「不倫」という概念のルーツではないでしょうか?
結婚制度も万国で様々なわけです。
日本はアメリカに占領されたから、キリスト的概念を押しつけられました。
なんだか「べつにキリスト教徒でもないのに、なんでそんな概念を持たなきゃいけないの?」って気がしますね。
ましてや法律であれやこれやと定められているとなると「なんじゃそれは?」と思う次第です。
結婚してる人間が他人とどこまで行けば不倫と言うのか?私にはよく解りませんが、まあセックスでしょうね。
私は思うわけです。
結婚する相手が100%であることなど有り得ないのではないかと。
例えば価値観はとてもよく合う人だけど、その人が必ずしも「セックスの対象としても完璧である」なんてこと現実にあるのでしょうか?
ましてや一生涯。
セックスの対象として完璧だし、好き好き大好き!って結婚したって、恋愛期間とは違って、その人のあからさまな日常を互いに全てさらけだすのが結婚生活ですよね?
そしたら「あれ?思っていたのとぜんぜん違う・・」ってなことがあっても当然だと思うのです。
なんだか実に狭い結婚制度とかに、がんじがらめにされているような気がしてなりません。
互いにたった一人の異性を選択し合い、そして、互いにすきすき大好き〜って死ぬまで一生涯行けるなんて、むしろ奇跡なのではないでしょうか?
幻想だと思います。
浮気も本気になっちゃうとまずいと思います。
でもあくまで浮気なんだったら、それはそれで結婚生活の一部のような気がするのです。
足りないものを外でちょっと満たしてくるって、しゃ〜ないことだと思えるのです。
って言うか、
一匹の雌にはらませたら、その雌への関心は失せ、他の雌を探しに行く。
そうやって自分のDNAをなるべく多く残そうとする。
これが雄の本能です。
ただし、自分のDNAを残す為に、他の雌に走る方が合理的か、それとも自分の子を他の生き物から守り、大人になって自活できるまでしっかりと育てはぐくむことの方が合理的なのか?
これはちょっと解りません。
まあ、野生を考えた場合、そんな雄の本能があることは確かです。
人間だって当然動物なのだから、そこんとこが難しいと思います。
男性はいつも性欲を抑制しコントロールして社会生活を送っている生き物です。
そういった意味では、キリスト教も過酷なルールを押しつけてくれたものだと思います。
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