日本の裁判は証拠主義。
袴田事件でも証拠が根拠となっていた。
無罪になった元妻だが、証拠がないのなら、疑わしきは罰せずと当然なる。
注目された事件だけに、証拠が結果としてなかったということだろう。
Yahoo!より、
「報道でみる事件と裁判員としてみる事件全然違う」裁判員が会見 “紀州のドン・ファン”元妻に無罪判決
12/12(木) 16:25配信
関西テレビ
https://news.yahoo.co.jp/articles/ea01fb4a544ff27b3cd88a6ffca76fe91039a1c5
記事より、
「紀州のドン・ファン」と呼ばれた資産家・野崎幸助さん(当時77歳)に対し、何らかの方法で覚醒剤を飲ませて殺害した罪に問われた、元妻・須藤早貴被告(28)の裁判員裁判。
和歌山地方裁判所は、「第三者の他殺や自殺の可能性は考えられない」と判断したうえで、「自殺や野崎さんが誤って覚醒剤を多量摂取した可能性はないとはいいきれない」などとして、須藤被告に無罪を言い渡しました。
この裁判の裁判員1人が記者会見し、「ニュースや報道でみる事件と裁判員としてみる事件では全然違うので、先入観は怖いなと思った」と感想を述べました。
裁判員が語った内容は以下の通りです。
(Q.判決出すうえで難しかった点、悩んだ点はなんですか?)
今回の裁判は期間が長いというのと証人の数も証拠の数も多いので、それをすべて吟味した上で判決を出すというのは苦労した点。
(Q.裁判は長期に及んだが、気持ちの面は?)
期日が長いので、初公判だったり証人1人目っていうのは、だんだんと時間が流れるにつれて、「どんなことを言っていたかな」っていう記憶として薄れていくっていう不安はあったが
裁判員・裁判官の人数も、それなりにいたので、みんながみんなメモをして情報を出し合って共有出来たっていうのはすごく良かったかなと思う。
(Q,須藤被告のイメージは、裁判の最初と最後で変化あった?)
初めてと終わりで変化なかったが、ずっと真摯に裁判を受けている印象。
(Q,難しい裁判といったが、判断の際に気を付けたことは?)
直接的な証拠ないところで、有罪の目で見ると有罪、無罪の目で見ると無罪に見えてくるので、判決が出るまでどっちかという、中立の立場で証拠だけを見て、感情で見ないようにした。
(Q,裁判所から推定無罪や、中立にという説明はあったか?)
中立的な立場で見なさいという指摘はなかったが、マスコミ報道や、証拠として見てはならないものは見ないでといわれた。
(Q,悩みは?)
協議の中でしっかり話し合っての答えなので、自分としては悩むとかはない。
コメント
裁判員制度は日本独自の仕組みであり、陪審員制度とは異なり、評決だけでなく裁判官と共に判決を下す役割を担います。「紀州のドン・ファン」事件における裁判員の証言からも分かるように、日本の裁判は証拠主義が基本であり、感情や先入観を排除し、証拠を中立的に評価することが重要とされています。
今回、被告に無罪判決が下された背景には、直接的な証拠の欠如がありました。裁判員が「感情で見ないようにした」「中立の立場で証拠だけを見る」という言葉通り、疑わしきは罰せずという原則が適用されたのでしょう。証拠の多さや裁判の長期間にもかかわらず、確たる有罪の証拠が示されなかった以上、この結果は法的には当然の帰結と言えます。
袴田事件など過去の冤罪事件を考えれば、証拠に基づく慎重な判断がいかに重要かが分かります。一方で、報道が先行し、世論が事件を断定的に捉えがちなことも、裁判員にとって大きな課題です。裁判員の言葉にある「報道で見る事件と裁判で見る事件は違う」という指摘は、司法制度が公正を保つための大切な視点を提供しています。
English Comment
Japan’s lay judge system differs from a jury system, as lay judges participate alongside professional judges in reaching both a verdict and a sentence. The testimony of a lay judge from the "Kishu no Don Fan" case illustrates the foundational principle of Japan’s judicial system: evidence-based judgment. Emotions and preconceived notions must be set aside to maintain neutrality and fairness.
In this case, the absence of direct evidence led to a not-guilty verdict for the defendant. The lay judge's comments, such as "I avoided looking at this emotionally and focused solely on the evidence," highlight the application of the principle of in dubio pro reo ("when in doubt, for the accused"). Despite extensive evidence and a lengthy trial, no conclusive proof of guilt was presented, making the verdict legally sound.
Cases like the Hakamada case, which highlight the dangers of wrongful convictions, underscore the importance of basing decisions strictly on evidence. However, public perception shaped by media reports can create challenges for lay judges. The statement, "The case as seen through the media and the trial itself are completely different," is a reminder of the essential balance between public opinion and judicial impartiality.
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