つまり、借家の大家が判断すれば済む話多かったといういことと、資力のある大家に対応することで復興が行われたということだ。
今は持ち家ばかりで、自分の家を管理できない人が大勢いるため、復興に時間がかかってしまう。
能登半島もこの際、国有地化(自治体が持つのが本来)することが有効だろう。
政府が持つ土地であれば、借家人は安心して暮らせる。
自治体は固定資産税とともに借地料、借家料を徴収すればいい。
イギリスの土地は女王様の持ち物と言われる。
100年リースの定期借地を基本とするのが日本の土地を海外からの買収にも対抗するためにもいいのではないか?
Yahoo!より、
耐震化を考える 小説「細雪」に描かれた木造住宅
1/25(木) 20:00配信
産経新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/3a4b7caee518a69d78ea236bd20ff68f73ea9d94
記事より、
大正時代に入ると、大阪と神戸の中間に位置するエリアが郊外住宅地として注目されだした。日本人の生活スタイルが変わってきたことに呼応し、住環境の変化が求められ、交通機関や生活に必要な電気・ガス・水道など都市生活に必要なインフラ整備が郊外にも波及してきたのである。
旅行好きの田山花袋が「六甲越え」の印象を「気候の好い、暖かい、金持ちの多い、例の灘の酒造家の多い所だけに、何処となく、気分がゆったりとして、感じがゴタゴタしていない」と書いている(「温泉めぐり」大正7年)。
六甲山から瀬戸内海に向かっては多くの川があり、中でも住吉川と芦屋川は比較的大きな川であり、六甲山麓の山側に阪急電車(大正9年開通)、瀬戸内海に近い海寄りの阪神電車(明治38年開通)が走り、その中間にJR東海道線(明治7年開通)の鉄道大動脈が住吉川と芦屋川の下をトンネルで潜って大阪と神戸を結んでいる。
この阪神間を舞台として昭和初期の出来事を描いた小説が谷崎潤一郎の「細雪」であり、 谷崎一家は大正12年の関東大震災以降に関西へ移り住み、昭和 11年から7年間、住吉 川のそばに建つ「倚松庵」と自ら名付けた借家に暮らした。
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