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池田大作と暴力団 独占スクープ

とうとう本になったダス

以前からネットではすでに暴露されていた創価の悪事





創価学会と後藤組について。- 2010.05.22




元後藤組組長がつづった、創価学会とヤクザ

本書は、5月29日付で発刊されたもので、元山口組後藤組の組長・後藤忠政氏(現在は天台宗で得度し、得度名は忠叡)の自叙伝です。後藤氏の生い立ちから現在までがつづられる中、「創価学会との攻防」に一章が割かれています。

 後藤組が創価学会から依頼を受けたのは、創価学会がまだ日蓮正宗から破門される前。当時、創価学会は日蓮正宗の本山である大石寺の周辺の土地を買い漁り、正本堂や霊園の建築・造成を進めていました。しかし左翼などの反発にあい、地元で反対デモなどが起こりました。このとき後藤氏は、創価学会の顧問弁護士だった山崎正友氏(故人)から、「何とかならんか」と相談を持ちかけられたといいます。山崎氏は1980年に創価学会から除名されますが、公明党関係者が後を引き継いで、引き続き後藤氏に時もいと対策を依頼。後藤組が反対派と「話をつけた」そうです。

 本書によると、反対派対策が終結した後、創価学会は「山崎とあんたが勝手にやったことで、ウチは一切知りません」という態度になったとのこと。そこで後藤氏は創価学会に内容証明郵便を送ったそうです。一部を抜粋します。

『憚りながら』100ページ

百条委員会に関しては中心人物、河原崎(澄雄)市議を自宅に呼び、説得に説得を重ねました。私は常に物事に対処するときは、自分の生命を賭け、明日を考えずにその一事、一事、に全力をぶつけて力一杯生きています。ですからこの件にしても、もしこれが刑法二二三条に於ける処の強要罪になったとしても、信念を持ち行動して来ました。
(略)
この件に関して私と学会は一心同体のはずです。先にも書いたように、藤桜自然墓地霊園造成問題に関係した、私の若い者が学会のために六年もの刑を受け今だ(ママ)に受刑中です。それを知り、あえて私に百条委調査打ち切り、市民会議解散、山崎正友の証人喚問阻止を依頼して来た事実は拭うことのできない事実であり、私の信念五分、学会側の依頼五分を言うのも分かって頂けると思います。
(略)

 この内容証明で後藤氏は、「池田大作氏の真の声を聞きたい」としています。

 ところが返事は来ず、この3カ月後に、富士宮署に突然「後藤組壊滅対策本部」が開設され、後藤組では「若い衆が片っ端からパクられていった」(本書より)そうです。こうした経緯から、1985年に東京・信濃町の創価学会文化会館で、後藤組系幹部らが発砲事件を起こすに至ります。

 これに対して、学会から「X」なる人物が後藤氏に詫びを入れに来たとのこと。後藤氏はX氏の名を明かしていませんが、編集部の註によると、この人物は藤井富雄・元公明党東京都議会議員とのことです。このときの両者の密会ビデオが、後にメディアで取りざたされました。

 後藤氏が創価学会とのかかわりを語るのは、これが初めて。その理由は、「あいつら(学会)のやっていることが、俺が付き合っていた30年前と同じ、いやそれ以上に悪くなっているから」「創価学会、いや「池田教」が、この日本という国家を乗っ取ろうとしていることが、見過ごせない」からだそうです。

 富士宮市において創価学会が後藤組を利用していたことはすでに知られていましたが、本書は、それについて改めて当事者自らが証言している点で、非常に価値あるものと言えます。

 ただし本書は、創価学会を主題としたものではなく、後藤氏がどういった考え・感覚で生きてきたのかを綴ったものです。実は私は、引退後の後藤氏が天台宗で得度しようとした際のエピソードにも興味を覚えました。後藤氏の友人である住職が支援を約束してくれたものの、「元ヤクザ」ということで、天台宗が難色を示し、住職に対して「もし(後藤に)何かあったら、私は天台宗を辞めます」と念書を書かせたそうです。

『憚りながら』298ページ

「悟りの世界は、すべての生きとし生ける者に平等に与えられている」という教えに基づいて、「多くの人々と共にその世界へ行こうと互いに努める」と謳っている天台宗が、だよ。たかがヤクザやってた男一人が得度するっていうだけで、何をそんなに大騒ぎしなきゃならんのかと思ったよ。
(略)
そもそも俺は、僧籍が欲しいわけじゃなかった。これまでの人生のけじめとして、得度したかっただけなんだ。だから俗世の得度ということで充分だし、天台宗の僧侶としてではなく、住職の弟子として仏門に入れば、それでよかったんだ。それにせっかくヤクザを辞めて、組織というものから自由になったのに、わざわざ僧籍とって、また坊さんの組織に入ることもないなと思ってさ(笑)。

 ヤクザ組織から自由になったはずなのに、今度は宗教組織の煩わしさ……。信仰より組織で動く伝統仏教の悲しい一面が見える気がします。しかし後藤氏は、「私の命に懸けても」という住職の熱意によって、最終的には無事、得度を果たします。後藤氏はこの住職の意気込みについて、「堅気の中にも極道以上に極道らしい人がいるってことだよ」と書いています。自分の信念を貫く“覚悟”の強さについての表現としては、うなずけます。

 創価学会に関する記述が話題になっていますが、全体的に読み応えのある一冊です。


憚(はばか)りながら
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以前からなんども吠えているダス

宗教では人は救われない
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