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2018年11月07日

【刀剣乱舞考察】長船派の刀剣男士と前の主達【都市伝説】

こんにちはりいなです
今回は趣味+仕事の商品にも取り扱っている、刀剣乱舞についてのお話です

※閲覧注意

刀剣乱舞(とうらぶ)と天華百剣(天華百剣‐斬‐)に実装されている日本刀のキャラクターや

世界観についての考察です。

刀剣にまつわる都市伝説や、刀剣の持ち主、歴史、現代社会、進化する未来技術テクノロジーの実現予測の要素を含みます。

公式設定ではありません、ご理解の上で楽しんでください♪

燭台切光忠と伊達政宗


燭台切光忠と言えば、伊達政宗。伊達政宗の三日月の兜や片目についての逸話があります。

妙見信仰
当時は「妙見信仰」というものが武将達に広まっていました。「妙見信仰」というのは、星や月を信仰するものです。もともとは周りが動いても動かず、目印となる北極星を神格化し「妙見菩薩」として武運を祈願したのが始まりです。
それが応用されたのか、月に対しても信仰があったようですね。月というのも神秘的な対象とされていたようですが、「妙見信仰」によって月への信仰も加速したといえます。
ですので、戦国武将はよく星や月を兜のモチーフに取り入れたようです。
政宗の三日月も、この「妙見信仰」に由来すると思われます。

伊達者と言うのは「派手な装いを好み、それを着こなす人」のことを言うようですが、もともとは「黒い中に一点だけ赤を入れて目立たせる」という着こなしを言ったのだ、との説もあります。
伊達家の甲冑は足軽にいたるまで全身黒ですし、後者の説がもともとあったのかもしれませんね。ただ全身黒だったのは、頭上の月を目立たせるためともいわれます。

独眼竜政宗
政宗は幼いとき、天然痘(てんねんとう)という伝染病にかかり、右目の視力を失ってしまいました。
病気の右目をずっと気にしていた政宗は、わずか9歳のとき、家臣の片倉小十郎に「おれの右目をくりぬいてくれ」とたのみます。
片倉小十郎は小刀で、政宗の右目をくりぬいたのです。

これをきっかけに、内気だった政宗の性格は明るくなり、積極的に活躍。「独眼竜」と名を轟かせるまでになったのです。
片倉小十郎は、政宗の一生の親友となり、死ぬまで信頼し合いました。

正宗の相手になったと記録に残っているのが、二代目片倉小十郎を名乗った片倉重長。
父の初代片倉小十郎は、正宗の傅役として幼い正宗の教育をし、政宗が家督を相続した後はその右腕として辣腕を振るい、豊臣秀吉に「日本三大陪臣のひとり」とまで呼ばれた有能な武将。
その嫡男である重長に政宗は手を付けていたのだ。

このふたりの逸話として伝わるのが、大坂の陣出陣前の出来事。重長にとっては病に臥している父に代わり出陣する大坂の陣が初陣となる。
片倉の名を汚さぬためにも、先鋒となることを望んだ。

出陣の準備に大忙しの政宗を廊下で捕まえ、先陣を賜ることを願い出た。
それを聞いた政宗は、重長に濃厚なキスをし、

「お前以外の者に誰が先陣をやらせるものか」

と涙を流しながら語ったという。

伊達政宗は現在でも特に人気の武将ですので、この他にも生い立ちや人間関係など、色々と諸説あります。

 大般若長光の名前の由来


ゲーム内にて「室町時代での俺の値打ちである銭六百貫と、六百巻ある大般若経をかけたものなのさ」と本人が話しています。当時の銭六百貫は今でいうところの6千万円相当。

当時国綱、吉光が百貫、正宗が五十貫という代付( 格付け)であるところ、この長光は他に類をみない銭六百貫という破格の代付がされた。 「銭六百貫」から大般若経の経典の数字「六百巻」を掛けて「大般若」と名付けられた。

名前の由来である大般若経について

大般若経とは、正式な名前を「大般若波羅密多経だいはんにゃはらみったきょう」といいます。
今から1300年以上前に中国の僧侶の三蔵法師 玄奘(げんじょう)が16年の旅をして、経典をインドから持ち帰り、その後4年を費やして翻訳したという様々な経典の大全集で、その数は600卷もあります。

般若経典は150年頃に現在の形の原形が成立し、サンスクリット文字にて文書化され、以後長短様々な般若経典へと発展していった。630年頃、玄奘がインド等からそれらの般若経典群を中国へ持ち帰り、更に玄奘自ら翻訳の指揮を取って4年の歳月を掛けて漢訳し、663年『大般若波羅蜜多経』が完成した。 この漢訳は広く日本にも伝えられており、現在日本国内の各寺院に保存されている大般若経はこれである。

小竜景光・楠木正成のゲリラ戦とは


「俺が覚えてるのはゲリラ戦でね」というセリフがありますが、楠木正成とゲリラ戦について、面白い説があります。

『太平記』では、楠木正成が、四天王寺で『未来記』を見たと記されています。

『未来記』には、楠木の軍勢が勝利し、鎌倉幕府が倒れ、後醍醐天皇が復帰するという内容が書かれていたため、そこで己の天命を知り、その後、後醍醐天皇、足利尊氏、新田義貞らとともに、鎌倉幕府を倒したといわれています。

「楠木正成」ときけば「武士」としてのイメージが強いと思いますが…
河内・和泉を本拠地とする「悪党」であったという説が有力です。
鎌倉幕府の傘下に属さない野党集団。
その多くは野伏やあぶれ者で、強盗、ばくち、押買いなどを常習としており、幕府には手におえぬ存在だったよう。
楠木正成は、そういった「あぶれ者たち」をまとめ上げたリーダーでした。

1331年。力を弱めていく鎌倉幕府を打倒するため、後醍醐天皇は挙兵します。
二度目の打倒幕府のための挙兵に呼応したのが楠木正成でした。

笠置山に陣をおく後醍醐天皇に呼応して、正成は河内赤坂に城を築きます。
集めた兵は悪党わずか500人。
これに対し幕府は、数万(一説では20〜30万人)にも及ぶ大軍を派遣します。

しかし、正成は幕府軍相手に、“なんでもあり”のゲリラ戦を展開。
できる限りの、数々の奇想天外な戦術を繰り出し続けました。

結果、正成軍は20日で兵糧は尽きてしまいます。そして、その日、正成は城に火を放ち、自害したと見せかけるのです。
普通は城を焼いたら降参の印で、自害するものなので、幕府軍の多くの武士は騙されました。
そのスキをついて、正成は城から逃げ出すことに成功したのです。

聖徳太子の『未来記』など、都市伝説として気になるキーワードが出てきましたね。

長船派は上記3振り以外にも追加実装刀剣がいますが、最初はこの3振りのみが実装を設定されてたので、その選別には何か意味があるのかもしれませんね。

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過去にストレス性の精神病で、薬物依存症の経験あり。 断薬、離脱症状を克服し、脱サラして起業。 無理なく自然体で、健康的に生きる、ナチュラリスト。
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