2009年09月08日
沼津の古墳
毎日jpより「辻畑古墳:道路建設用地、消える運命−−沼津・最古級 /静岡」
「邪馬台国の女王卑弥呼と同時代の3世紀前半に造営された可能性が浮上した沼津市東熊堂(ひがしくまんどう)の「辻畑古墳」。(中略)しかし遺構は幹線道路の計画ルートの真ん中にあり、いずれ消えてしまうことになる。」(同記事)
これが事実だとすると、邪馬台国の時代に沼津を拠点にした一大勢力があったことが証明されたことになります。道路整備で消滅するには惜しい遺跡です。
「市教委は13日午前10時、午後1時半の2回、発掘調査の成果を発表する現地説明会を開く。」そうです。
沼津市にも古墳がいくつかあります。大阪や奈良にあるような巨大なものではありませんが、かなりの人間が生活していたものと考えられます。
沼津の古墳
中学生の夏休み、市内にある加藤学園の考古学研究所が主催する、沼津史跡めぐりに参加したことがあります。縄文時代から奈良時代の頃の遺跡を見学したと記憶していますが、沼津にもこんなに多く遺跡があったんだなあと感心したものです。
余談ですが、この遺跡ツアー、夏休み中の登校日とかち合ってしまい、担任教諭に休む許可をもらって参加したのですが、今ではどんな内容だったかほとんど覚えていません。(^^;
【広告】
「邪馬台国の女王卑弥呼と同時代の3世紀前半に造営された可能性が浮上した沼津市東熊堂(ひがしくまんどう)の「辻畑古墳」。(中略)しかし遺構は幹線道路の計画ルートの真ん中にあり、いずれ消えてしまうことになる。」(同記事)
これが事実だとすると、邪馬台国の時代に沼津を拠点にした一大勢力があったことが証明されたことになります。道路整備で消滅するには惜しい遺跡です。
「市教委は13日午前10時、午後1時半の2回、発掘調査の成果を発表する現地説明会を開く。」そうです。
沼津市にも古墳がいくつかあります。大阪や奈良にあるような巨大なものではありませんが、かなりの人間が生活していたものと考えられます。
沼津の古墳
中学生の夏休み、市内にある加藤学園の考古学研究所が主催する、沼津史跡めぐりに参加したことがあります。縄文時代から奈良時代の頃の遺跡を見学したと記憶していますが、沼津にもこんなに多く遺跡があったんだなあと感心したものです。
余談ですが、この遺跡ツアー、夏休み中の登校日とかち合ってしまい、担任教諭に休む許可をもらって参加したのですが、今ではどんな内容だったかほとんど覚えていません。(^^;
【広告】
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image