2019年09月08日
「孫ハラ」問題について、、、ちょっと独り言
先日たまたま目にした「孫ハラ」に関する記事、、、たまたま読んだのですが、色々と考えてしまったものですから、ちょっと独り言を書きたくなりました。
この可愛らしい「猫の小銭入れ」は、数年前、母の日に次男からプレゼントしてもらった「宝物」。子育ては大変な事もありますが、こうして時々ご褒美があります。
似たような「猫の小銭入れ」はお金を出せばどこかで買えるでしょう(全く同じものを見付けるのはちょっと大変かもしれませんが、、、一応革製品で、ホック式)。
でも「息子からの母の日のプレゼント」は、いくらお金を出しても自分で買う事は出来ません。ですからこれは本当に私だけの「世界にたった一つの宝物」です。
他人からしたら大した物ではないでしょう。だから今まで誰にも自慢したりしませんでした。でも、時にはこんな風にちょっと自慢したくなったりします。
「孫」と「猫の小銭入れ」を同列にしてはいけませんが、、、私にはまだ「孫」は居ません。でも、きっと気持ち的には似てるのかなぁって思います。
「ねぇ、可愛いでしょ?」って、お友達だからこそ、ちょっと自慢したくなっちゃう時ってあると思うんです。だから、微笑ましく思って流して欲しい、、、。
「猫の動画」は皆好きでしょ?頼まれなくても見たくなるでしょ?どうして他人の「孫写真」を微笑ましく見れないのでしょう、、、。
大変な事を乗り越えた後にやっと授かったご褒美。ちょっと自慢したくもなりますよ、、、。「孫ハラ」なんて考え方は悲し過ぎる、、、世知辛過ぎる、、、。
ここまで来ると「ハラスメントハラスメント」です。「相手が嫌と感じたらハラスメント」だとしたら、「ハラスメントと思われた事が嫌」ってなって堂々巡りです。
「孫写真」を見せる人は、この可愛さを、この癒しを、多くの人と共有したいと思って見せているのだと思います。だから、微笑んで流して欲しい、、、。
ちょっとうっとうしくても「はい、はい、、、」って、適当にあしらって流して欲しい、、、。ちょっと共有したいだけなんだと思うんです、、、。
子供は社会の「宝」です。個人の所有物ではないです。皆の「宝」です。人類の明るい未来のために大切に育てるのです。少なくとも私はそう思ってます。
だから、本来「子育て」は重要な仕事です。一歩間違えると、様々な意味で大変な結果、残念な結果、そして犯罪者になる等の最悪の結果にだって成り得るのです。
「子供が欲しいのに授かれない」のは辛いと思います。それは充分に理解出来ます。ですが、子供を持ったからこその困難や我慢や心配事も沢山あるのも事実です。
それに、子供はいつか巣立って行ってしまいます。「子宝」は「天からの預かり物」なのです。だからこそ、大切に大切に育てるのです。
長男が生まれた時、親戚の方から「子供はお餅を撫でる様に育てると良いよ」と言って頂きました。良いアドヴァイスを貰えて良かったです。
もしも「子宝」に恵まれたのに「子供と過ごす事」が幸せと感じられないとしたら、それは本当にお互いにとってとても残念で不幸な事だと思います。
「子宝」に恵まれたとしても「子供と過ごせる時間」は実は長い様で短く、その時は大変だったとしても、後から思い返すと「素晴らしく幸せな時間」です。
子育ては「一大事業」です。「子供を持つ事」「子供と過ごす事」は幸せな事ですが、子供を持ってみて初めて遭遇する、数々の「困難」や「悩み」もあります。
「子を持つ親の悩み」は、持ってみないと理解出来ないと思います。子供を持つと、まず様々な意味での「心配」が爆発的に増えます。
私は自分に子供が生まれた時、天にも昇る程嬉しかったです。でも、我が子を抱きながら可愛い寝顔を見ていた時「爆弾を抱えている」と思った事さえあります。
それはつまり、可愛さ故の「心配」が頭をよぎるからです。「(病気や事故で)この子を失ったらどうしよう」「大きくなって虐められたら可哀想」etc...。
心配で心配で、テレビで「遊びに来ていた友人に赤ちゃんをマンションの窓から落とされる」というニュースを見た時は、友人を家に呼ぶのも怖くなりました。
私自身も出産直後に「まさか!」という相手から「あり得ない!」と思える仕打ちをされた経験があったので、ニュースは現実なのでリアルに怖かったです。
人間の「嫉妬心」は時として狂気と化すので恐ろしいです。「そんなに嫉妬する気持ちが抑えられないなら、その人の家に行かなければ良いのに」と思うのですが、、、。
もしかすると最初から赤ちゃんに何かするつもりで遊びに行ったのかと思うと、しかも、決してそんな事をする人には見えなかったのかと思うと、尚更ゾッとします。
「嫉妬心」は、いつ何時どういう形で爆発するか想像も出来ません。人間の「嫉妬心」は本当に恐ろしいです。これはもう、自衛するしかありません。
ですから長男が乳飲み子の頃は人に預けるのも心配で、主人以外の人に自分の子供を託した事はありません。主人が子供好きな人で本当に良かったと感謝しています。
後から振り返ると「ちょっと育児ノイローゼ気味だったかも、、、」と思ったりもしますが、正直当時は自分を客観視する余裕も無かったです。
そういう経験があるからこそ「ワンオペ育児は如何なものか?」と疑問視する気にもなるのです。でも、他人に預けるのもやっぱり心配ですし、、、ジレンマです。
そんなこんなで私の場合、子育て中は何よりも子供を優先して生活していました。「子供が生き甲斐」だったのです。あくまでも私個人のケースですが、、、。
そして「心配」なので、極少数の気心が知れた友人や親戚以外には子供の写真を見せた事がありません(それでも、色々ありました、、、)。
ですから将来孫を授かったとしても、恐らく写真は特に誰にも見せないと思います。家族だけで微笑んで、そして静かに幸せを噛み締めたいと思います。
「心配」ですからね、世の中には色々な立場の方や考え方の方がいらっしゃいますからね、その方達に自分の考えを押し付けるのは傲慢ですから、、、。
「自衛」するしか無いです。一歩引いて、自分達で自分達の家族を守るしか無いです。幸せは「自慢」する物ではなく、静かに噛み締める物だと感じます。
「嫉妬心」の強い人は、その人が客観的に見て恵まれているかどうかはあまり関係無い様な気がします。「人間の欲望」は、時として限りの無い「底なし沼」の様です。
子供が少し大きくなると、今度は「ちゃんとした社会人になれるかしら」とか「社会に役立つ人に成長して欲しいけれど、、、」といった「心配」が多くなります。
お陰様で長男は本当にスクスクと、数々の私の「心配」をまるで「無駄な心配」だったかの様に、立派に社会の大海原に泳ぎ出せる大人に成長してくれています。
それも、あくまでも「今の所」です。まだ油断は出来ません。まだまだ「道半ば」です。これからは遠くから祈りを込めて見守り続けたいと考えています。
次男はまだまだ未知数です。なんてったって二浪中ですから。受験生3年目ですから、、、。それでも「今の所」心身共にスクスク育ってくれてますよ。
子育ては、もちろん大変な事も沢山ありますし、我慢しなければならない事や想定外のショックな事、そして時にはちょっと辛い事もあったりします。
だから、子育て真っ最中の頃は「これは人生の修行だ」等と、大げさな事を考えたりした事すらあります。そりゃ独り身の方が色んな意味で「楽」に決まってます。
でも、よく考えると「修行」と思える「困難」って「子供が居るか居ないか」に関わらず、全ての人に様々なパターンやケースで与えられるのではないでしょうか?
人が人として生きている以上、何の「困難」も無いという事はあり得ません。「困難」は様々な形で必ず訪れます。問題は「困難にどう向き合うか」だと思います。
「嫉妬心」を抱いてしまう事も、克服すべき人生の「困難」の1つだと思います。「嫉妬心」は誰にだってあります。問題は「嫉妬心とどう向き合うか」です。
「嫉妬心」の暴走は、メンタル的にもフィジカル的にも、本人にとって良い事は何も無い、まるで「煙草」みたいな物だと私は考えています。
「煙草」って「百害あって一利なし」ですよね。エイジングケアの大敵ですよね、私は「嫉妬心」もエイジングケアの大敵だと思っています。
しかも「煙草」は「受動喫煙」の方が害が大きいという事が問題になってますよね、同じく「嫉妬心」も本人にとっても有害で、相手にとってはもっと有害です。
私、50年以上生きてるじゃないですか、そうすると今までの経験上、人生には何か「幸せの法則」の様な物がある様な気がしています。
と言っても、偉そうな事を言うつもりはないですし、私自身まだまだ「道半ば」の身ですから、あくまでも「そんな気がする」レベルなのですが、、、。
読んで下さっている皆さんのために、特別に私の「幸せの法則」をお伝えします。あくまでも「私の」ですが、、、説得力無くて申し訳無いですが、、、。
< 私の中の「幸せになるための3つの法則」>
1.人を妬まない。羨ましく思ったら「いいなぁ、私もあんな風になりたいなぁ、、、」と憧れる。
2.どんな人に対しても常に「感謝の気持ち」を忘れない。
3.自分の置かれた環境で現実的で可能な「楽しい事」「前向きになれる事」は何かを考えて実践する。
シンプルですが自分にとっては結構効果あると思っています。我が家は大した事ない普通の家族なのであまり説得力がありませんが、、、。
でも、東京パラリンピックの期待の星「江崎駿」選手一家はかなり凄くて説得力がありますので、ちょっと皆さんにご紹介します。
「江崎駿」選手は「ボッチャ」という競技の選手で、日本選手権個人戦第1位の実力の持ち主。東京パラリンピックでの活躍が期待されています。
「ボッチャ」という競技は、リオデジャネイロパラリンピックで日本代表チームが「銀メダル」を獲得して以来、注目されています。
「江崎駿」選手は3歳の時「筋ジストロフィー」である事が分かったそうです。「筋ジストロフィー」は進行性の筋疾患で、徐々に筋肉が衰えて行く病気です。
成長期は筋肉を作るスピードの方が衰えるスピードより速いため、小5までは普通に歩けたそうですが、小6からはずっと(現在18歳)車椅子生活だそうです。
そして実は、弟の匠さんも同じく「ボッチャ」の選手で、悲しい事に、駿選手と同時に、同じ「筋ジストロフィー」であることが分かったそうです。
私だったら「絶望」してしまいそうです。でも「江崎駿」選手のご家族はとても前向きで、幸せそうです。「幸せは自分達で掴む」を実践していらっしゃいます。
「江崎駿」選手のお父様は、未だ治療方法が無い「筋ジストロフィー」でも可能な「ボッチャ」のルールを1から覚え、自らコーチとなって一緒にトレーニングしたそうです。
家族で前向きに「ボッチャ」を楽しんだ結果、息子さんは「日本の期待の星」になったのです。本当に「奇跡の物語」です。素晴らしいとしか言いようがありません。
2歳年下で同じく「筋ジストロフィー」である弟の匠さんも、実はお兄さんに負けず劣らず素晴らしく正確な投球センスの選手なんだそうです。
ところが弟の匠さんは国際大会に参加する資格を持っていません。理由は、とても皮肉な事に、まだ障害が「重度」ではないからだそうです。
「ボッチャ」という競技は、元々重度障害者のためにポルトガルで考案された競技なので、基本的に重度障害者だけしか国際大会に参加出来ないのだそうです。
きっと匠さんは、少なからず複雑な心境でしょう、、、。本当に神様は様々な形で「試練」を与えるものだなぁ、、、と思います。
ご両親も、将来の事等、実は色々とご心配であろう事は容易に想像出来ますが、でも「今」を大切にしながら、しっかりと生きてらっしゃいます。素晴らしい!!
「江崎ご一家」なら、これからも沢山の家族の思い出を作りながら、前向きな素晴らしい人生を謳歌し続けて行く事は間違い無いでしょう。
人生色々ありますが、、、「江崎駿」選手一家の事を考えれば、全ての事が大した事ではありません、、、これからも「ガンバ!」と思います。
他人を「嫉妬」する気持ちが湧いて着たら、とりあえず直ぐに実現可能な「好きな事」「楽しい事」を楽しんじゃいましょう!!
でも、くれぐれも「溺れない」様に気を付けて下さい。あと、その事が長い目で見て自分にとってプラスになるかどうか、良く考えてから楽しみましょう!
何だかちょっと長くなっちゃいました、、、ゴメンなさい!
最後まで読んでくれてありがとうございます!また読んで下さいね!
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