いきなり誰?と思われるようなタイトルですが、現実の人ではありません(笑)
本題の前に…
今週末と来月半ばに出かける予定がどんどん入ってきました!
今週末は渋谷→プライベートでは1年ぶりの秋葉原のハシゴ、来月は那須塩原に行ってきます。
ちょっと心配なのは今週末からコロナウイルスが流行りだした中国の春節が始まり、たくさんの中国人が来日するため、秋葉原のメイドカフェのメイドさんは来客者にアルコール消毒をしてもらうことにしたとニュースを見ました。
このようなニュースが流れる前に友人から誘われたのでタイミング悪いなと思いました(汗)たぶんメイドカフェではなく、もう少しR18に近い店にうちらは行くのだと思う(笑)
渋谷の用事はチケット取っているのでやむを得ないけど、秋葉原に行くのは別の機会でもいい気がする。
もしこのブログの更新がしばらく止まったらお察しください…
30歳過ぎてから人生初のインフルエンザにかかったり虫歯になったり悪い方向で初体験をしてきているので、これ以上変なフラグを立てるのはやめておきます。
では本題…
数年前に異性の友人から「ちはやふる」という、かるた(百人一首)をテーマにした漫画が面白いと言われ、少女マンガチックな感じですが、時々ブックオフのような中古本屋で立ち読みしてました。
去年末に急な雨で雨宿りしていた時に店に入って続きを立ち読みしていたら、見た巻ではその漫画の主人公が所属するかるた会の道場主で「原田先生」という先生がいて、名人挑戦をかけた大会で元教え子と決勝戦で戦う様子が描かれていました。
原田先生はいぶし銀の渋いオジサマという感じでとにかく熱い!!どの漫画の登場人物より好きかもしれない(笑)
原田先生の決勝戦の相手は主人公と同級生で男子高校生。元名人の孫で才能・努力すべてを兼ね備えた新進気鋭のサラブレットなのに、原田先生は加齢による膝の痛みと衰えた聴力で必死に食らいついていた。
その先の名人と戦うために原田先生は時には策を弄し、勢い余って体勢崩して対戦相手に体当たりするような感じで札を取りに行くボロボロでありながら必死な姿は、見ている学生の教え子たちにも大きな背中として映り涙しながら応援されて試合をする姿に漫画見ながら私は感動しました。
現名人もその試合を外から見ていて「戦うなら原田先生の方がいい。熱くなれそう」と言わせるほど情熱を感じさせるのがすごいと思った。
そして原田先生が勝ってその試合の読手にも感謝を述べている辺りすごく真摯な姿勢だと思いました。
名人に勝つため自分のためだとして立ち上げた道場でも、教え子の応援があるから試合できるんだと言い、若い人に負けるつもりはないと言いつつ、しっかり若い人にその背中を見せていく人はなかなか現実にはいないと思います。
現実の話に戻しますがなぜこのシーンに感動したかというと私も過去にそのような背中を見て、焦がれて追いかけたことがあったから。
時はさかのぼり私が中学生になりたての頃、小学生の頃から通っていた剣道場で同学年では一番強くなってしまい物足りなさを感じて道場主の先生に、はしごするのでとお願いして紹介してもらった別の道場に通い始めたころ。
補足すると私は体格に恵まれたわけでも才能があったわけでもありませんよ。ただ、中学に上がれば私は部活で平日毎日稽古していましたし、他の道場の同級生は剣道部が無かったり部活に所属してない人が多く単純に稽古量に差がついていただけ(笑)これで3ヶ所はしごしながら稽古する日々が始まったわけです。
その新しく通い始めた道場は地元ではトップレベルの道場で、稽古内容でちょっと変わっていたのは中学生以上は学生同士で稽古をすることなく、先生方が上座に立っての立ち合い稽古オンリー。しかも切り返しや基本打ちなどの準備運動系は一切なし。時間は各先生の配分次第で大体1人5分くらいだと思います。
上座に立てる先生は6段以上の名実ともにハイクラスな先生ばかり5人以上はいたかな。そして私が追い求めた背中は当然道場主の8段しかも範士という最高位の段と称号も持つ先生でした。
範士レベルは剣道人からしたら神クラスですから。理由は昇段試験が厳しいのはもちろんの事、昇段の条件として数字と同年数経たないと次の段を受けられないため、必然的に上段位になればなるほど年を取ることになるから。称号を得るには推薦も必要。
私は当時スタミナオバケだったので、上座の6段の先生から平均より長い10分近くも全力を尽くす指導を受けてへばった所で私が壁に叩きつけられて動かなくなってフェードアウトします(笑)そしてそれを見た範士の先生が私に手招きしてさらにしごかれるという流れが出来ていた(笑)良くも悪くも県外でしかも外部の道場から稽古に来る私が珍しかったからかも。
私としては当時嫌だったけど、後から振り返るととても贅沢な指導受けていたんですよね。背中を追うなんてこともおこがましいくらいに。
でもその範士の先生は稽古は厳しいけどとても熱くて、優しくてすごい人格者でした。それこそ原田先生のように若者には負けんという気概を持ちながらも、背中を見せながら周りに慕われて巻き込んでいく気質でした。それでも老齢だからテーピングなどでガチガチに体固めてたのに、痛みを見せない強さがありました。
範士は学生のプレイスタイルに口を出す人ではなかったのですが、一つ絶対守れと教えられたのは男性に対して道着袴を着る際に下着は一切付けるなと言うもの(笑)二年間お世話になって去った後も私が大学生で引退するまでこれは守り続けました。要はノーパンということですね!!
日本武道館で試合した時は大丈夫だったけど、綾瀬の東京武道館で試合した時は床がツルツルでみんなひっくり返っていたので、私がひっくり返った時は大事な所が見えやしないかとヒヤヒヤしました(笑)
あれ以上大きな背中は今のところ見たことないですね。
今は仕事でも何でも我流でやることが増えたので背中を追うということは無くなりましたが、またそんな背中に出会ってみたいものです。
あなたは目指して追いかけた背中はありますか?今日はこの辺で。
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