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2018年02月11日

障害者としての就活〜2次面接編〜

こんばんわ。更新が遅れてしまいましたが、前回の予告通り、2次面接以降の流れを書きます。


まずは、東京本社での2次面接です。


緊張しながら、新幹線に乗って東京本社にたどり着きました。
コンビニでおにぎりを買って、簡単に昼食を済ませ、午後からの面接に備えました。

いよいよ2次面接が開始です。
面接に同席したのは、各部門の管理職が5名ほど、人事の障害者採用担当が1名でした。



私は大変緊張しておりましたが、面接の雰囲気は和やかで、苦痛ではなかったです。
最初は、各部門の管理職が簡単に自己紹介をし、部署の仕事の説明をしてくださいました。


面接の内容そのものは、1次面接とほぼ同じでした。
これまでの経歴を私が説明し、それに基づいて質問がなされ私が返答する。


やってみたい仕事内容を答える。また、障害の内容や配慮する点、通院の頻度などでした。


もちろん、やりたい仕事内容は労務管理で、社労士の資格を取得したいとアピールしました。
前回同様、これがかなり高評価だったようで、一気に内定に近づいたと実感しました。


最後は定番の逆質問でした。


ここで私は前回の面接では聞かれなかったことを質問しました。


それは、障害をどこまでオープンにできますか、ということです。
私は、なるべく多くの方に自分の障害を知ってもらい、自分から挨拶に行きたいことまで
伝えました。


人事の方は、実はこちらから聞こうと思っていたことなのですが、と前置きをして
障害をオープンにしていただけるのは非常にありがたいと仰いました。


ただ、中には障害を他人に知られたくないという人もいるとも言われました。



以上で面接は終了です。

時間は50分くらいでした。


面接の出ごたえは、悪くありませんでした。
それに各部門の管理職が複数人同席することは、もしかしたら採用したい人材として
取りあいになっているのではないかとさえ思っていました。



さて、東京から帰って、1か月後、最終面接の案内メールが届きました。
場所は1次面接と同じ地元の支社です。



面接が通過できて嬉しかったのですが、最終面接で不採用になったらどうしようという不安もあり
複雑な気分でした。


次回、いよいよ最終面接と内定までのお話しをいたします。







posted by sam at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 就活の経験

2018年02月08日

障害者としての就活〜実際の面接編〜

それでは、書類選考通過後の面接がどのようなものだったか書いていきます。


まずは、一次面接です。



面接時間は1時間ほどだったと記憶しています。
面接に同席したのは、50代の管理職(男性)と役職不明の女性の二人でした。


面接の雰囲気はとても穏やかで、質問内容もごく普通でした。



まずは、これまでの学歴と職歴について自分で説明し、気になった点を質問されました。
時間はおおよそ30分くらいでした。





私の場合、大学や大学院での生活と専門分野の話が多かった気がします。


その後は、志望動機を聞かれました。


これについては、一般的な健常者の就活よりも甘かったです。
単に会社の事業内容に興味があるとか言えば良い程度でした。






また、やってみたい職種や仕事内容を聞かれました。
これもそれほど突っ込まれることはなかったです。




私は、労務管理をやってみたい職種にあげ、社会保険労務士の資格取得について
勉強中であることをアピールしました。




このアピールが面接担当者にかなり高評価だったようです。




次に、私の障害についての質問です。



どのような障害なのか、配慮することは何か、どのようなことがあると具合が悪くなるかでした。





一応、職務経歴書には障害とその配慮については記載していたので、話はスムーズにいきました。




最後は定番の逆質問の時間でした。



私は、その会社での障害者の活躍状況について質問しました。


返答として、身体障害者が割合としては多いが、これからは精神障害者の雇用に力を入れるそうで、
実際に精神障害者の方を採用しており、主に事務職として働かれているとのことでした。




以上で、面接は終了でした。
私の個人的な感覚としては、手ごたえはありました。


緊張はしていましたが、なるべく明るく、前向きに努力する姿勢は理解してもらえた気がしたからです。



それから2週間後、人事から一次面接通過のお知らせと、二次面接の案内メールがきました。



場所は東京本社です。


往復分の交通費を支給するので、新幹線の領収書を持参してくださいとありました。



次回、東京での二次面接と最終面接について書いていきます。









posted by sam at 16:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 就活の経験

2018年02月06日

障害者としての就活〜エントリーと面接対策編〜

やっとの思いで履歴書と職務経歴書を作成できたのなら、実際に求人にエントリーしていきましょう。



求人への応募方法として



@ハローワークの障害者求人から応募

A障害者求人に特化した求人サイトから応募

B転職エージェントから応募

C自分でネット検索をして応募



以上の選択肢が考えられます。


私はAの自分でネット検索をして応募をまずは試みました。


実際に求人を見ていただければ、分かる通り事務職が非常に多いです。


人事、労務、総務、経理などが中心になるでしょう。


この中で私は人事、労務に絞ってエントリーをしていきました。



理由は、人事、労務関連の場合、労働法など法律論をベースに業務を進めていく職種なので
仕事に直結する知識を事前に独学できるからです。


もちろん、人事、労務にはとても興味があり、是非やってみたい仕事ではありました。


人事、労務に関する書籍を読んで勉強するのは不可欠です。
また、社会保険労務士の受験に対応した参考書も読んで、実務の全体像を把握しました。


資格取得に向けて勉強していますというのは、面接で非常に大きなアピールになります。
後々、この要素が内定に大きく影響することになりました。



このような準備をしていく中で、ある求人に目が留まりました。


ある東証一部上場企業の求人です。
職種には人事、労務での一般事務と書いてありました。



その会社の事業内容は私の専門とは全く別でしたが、とりあえずエントリーしました。



エントリーしてから一か月ほどして、書類選考通過のメールが入りました。


障害者採用の場合、選考期間が非常に長いので注意が必要です。
これはどこの会社でも同じような傾向があります。


次はいよいよ一次面接です。


私は地方在住なので、現住所から最寄りの都市の支社での面接となりました。


障害者採用での初めての面接となり大変緊張しましたが、とりあえず明るく振る舞うことを考え
面接にチャレンジすることにしました。








posted by sam at 12:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 就活の経験

2018年02月05日

障害者としての就活〜職務経歴書の作成編〜

こんにちは。今日は特に寒い日ですね。


私の住んでいる所では、雪が積もっています。


さて、今回は私が障害者としてどのように就活をしたのか綴っていきます。


健常者であろうが障害者であろうが、就活そのものの流れはさほど違いがありません。


まずは、履歴書・職務経歴書の作成が第一関門になります。


障害者採用でも新卒採用もありますし、中途採用もあります。
私の場合、既卒で職歴ありなので中途採用での応募となりました。


まずは、履歴書の作成です。

これに関しては特に苦戦する人はいないかと思います。

記入漏れがないように至ってシンプルに作成していけばOKです。



障害者採用の場合、アルバイトの経験も記載したほうがいいです。
少しでも社会と接点をもって就労したのなら、それは立派な経験なのですから。





ただ、職務経歴書は形が定まっていないので、自分で1から作らなくてはいけません。



職務経歴書だけで、その人の文章作成能力を中心とした事務処理能力が非常に良くわかるのです。




もっと言うと、職務経歴書の出来具合で書類選考の通過率が決まります。


普通の人は年齢だったり職歴だったり学歴を気にするでしょうが、そんなことはありませんので要注意です。



職務経歴書の作成ポイントとして、まずはわかりやすさと見やすさです。
以下のように記載するのが良いと思います。





                   職務経歴書 ←実際には大きく太い字で書きましょう
                     (日付)平成××年×月×日 ←履歴書が和暦なら合わせる
                     (氏名)〇〇 〇〇

       【職務経歴1】                 
        就業先:株式会社〇〇〇〇
        就業形態:正社員 ←障害者雇用で働いている人は(障害者採用)と書いたほうが良い
        就業期間:平成〇〇年〇月〜平成〇〇年〇月 ←就業中の人は右側は空白に
        勤務地:〇〇県
        職種:営業職

       <職務内容>
        ・病院を対象にした医療機器のルート営業
        ・〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
        ・〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
             ↑
        箇条書きにして、短めに書く

       <勤務状況>
       ここの欄には、日常の業務で大切にしたことや得たことなどを3行以内で書きましょう。
       また、障害者雇用だった人は通勤や体調などについても書いた方が良いです。   

       【職務経歴2】←職歴が複数ある人は全て書きましょう
       以下、同じように繰り返す。    
        

       <自己PR>
       自分の長所やスキルを書いていきましょう。できればそれらを発揮した場面や体得したエピ        ソードを載せるとさらに良いです。目立ったスキルがないと思う人は相手に対する思いやり
       など自分の人柄についてアピールしても全く問題ありません。ここも4行以内で書くこと。


       <障害と配慮について>
       障害名:広汎性発達障害(精神障害3級) ←精神障害の場合、具体的な障害名を書くと良い
       以下、自分の障害の特徴や配慮して欲しいことを書く。例えば、注意欠落・多動性の傾向が
       あるので、気になった場合は声をかけてください。耳からの情報処理が苦手なので、絵や図を
       描いて何度も説明してください。メモを取る時間を多くとってください。などです。
       4行以内で書くようにしましょう。



以上のように作成していってください。

枚数はA4用紙で2枚に抑えましょう。


アルバイト経験しかない人でもアルバイトも立派な社会経験なので、
職務経歴書に記載してアピールしてください。












posted by sam at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 就活の経験

2018年02月04日

障害者雇用で働くまで〜病院受診編〜

病院では、仕事で困ったことや発達障害の特徴に一致していることを医師に伝えました。



すると医師から、一度、発達検査をしてみようということになりました。




ここからは臨床心理士とWAISVという検査をしました。




検査そのものはIQを図るものですが、かなり詳細に検査結果がでるもののようで

言語性IQと動作性IQがわかるらしいのです。



実際の検査では、一般常識を問うもの、暗算や暗記を試すもの、理由や原因を答えるものなどがありました。

これらは言語性IQ(理論や表現能力など学力に直結する力)を測定する質問です。


一方、パズルを組み立てたり、絵を見て足りないものを答えたり、同じ記号を紙に書いて処理速度を

図ったりする作業もありました。


これらは、動作性IQ(視覚情報処理能力)がわかるものらしいです。



検査は4回くらいに分けて行われました。




結果は総合のIQ105、言語性IQ116、動作性IQ84だったと記憶しています。




臨床心理士からは、言語性IQと動作性IQの差が激しく、発達障害の可能性が極めて高いと言われました。


しかも言語性IQでも短期記憶能力が極めて低くいのに、理論的な表現能力は非常に高く
同じ言語性IQのカテゴリーでもここまで落差があるのは珍しいそうでした。




その後、医師に検査結果が伝えられ、その検査結果と幼少期から現在までの状況から
広汎性発達障害と正式に診断されました。







医師から診断結果を告げられた時、ショックどころかむしろホッとするような納得するような気分になりました。


今迄の生き辛さや仕事での失敗など、自分が持って生まれた障害によるものなどで仕方がないですし
むしろ障害を受け入れて、自分のできることを模索しながら生きていこうと決心しました。




障害を受け入れて生きるため障害者手帳を取得しました。





障害者手帳を取得するということは、企業の障害者雇用枠にエントリーするためです。



ここから、障害者雇用枠での就職を目指すため具体的に行動していくことになりました。









2018年02月03日

障害者雇用で働くまで〜初めての就職編〜

生まれて初めての正社員での就職。


仕事の内容は医療機器メーカーでの営業職でした。



まずはOJTからスタートしたのですが、ここからが悪夢は始まりです。


1.相手の話を聞きながらメモがとれない。

2.相手の言ったことをただオウム返しするだけ

3.PC操作が遅すぎておぼつかない

4.やることの優先順位がつけられない

5.電話の対応や取次が極端にゆっくりで相手がしびれを切らす

6.業務内容がさっぱり理解できない




でした。これは本当に自分でもびっくりしましたね。


これは何かの病気かと疑ってしまうほどでした。


こんなことが毎日続くのですから、OJTをやってくれた先輩の対応が
かなり冷たくなっていきました。



私も精神的に参ってきてしまい、もう何を教えられてもまるでダメというところまで
追い詰められていきました。





ついには上司から、君にはうちの仕事に向いてないじゃないかとさえ言われる始末です。



毎日、ショックの連続でした。


ここでふと発達障害のサイトを目にしたのですが、発達障害の特徴が
現在の自分に見事に当てはまっているのです。



もしや自分は発達障害ではないのだろうか?
だんだんとそう思い始めたのです。



会社に入って2ヵ月が経とうとする頃には、ついに退職勧奨を受けてしまいました。



ここまで来たらもう、終わりです。
私は失意のどん底で、会社を去っていきました。






この時に思ったのは、かかりつけの精神科医に出来事を話して
発達障害ではないか診察してもらおうということでした。




会社を退職してから再度、病院を受診しました。








障害者雇用で働くまで〜ニートから大学院再受験編〜

働きもせず、家に引きこもってニート生活をしていましたが、
自分の専門に関する本は、いろいろと読んで勉強していました。



発達障害の人間は、興味を持ったことをとことん追求したり
驚異的な集中力と能力を発揮するパターンがあります。





自分の場合、興味追求の傾向が強いのです。




体調もだんだん回復する中、また大学院で研究したいと思うようになりました。



一度は退学してしまい、中途半端に投げてしまったことです。


死ぬまでにもう一度しっかり勉強をしたいと強く思うようになったのです。



以前在籍していた大学とは異なる別の国立大学を受験する決心をしました。


3カ月くらい英語と専門科目の勉強をして、合格できました。



親からとても喜ばれ、これから心機一転で新しいスタートを切ろうと決心したんです。



その頃、体調そのものは回復していたこともあって、大学院には順調に通えました。


しかし、教授からの口頭での指示が理解できなかったり、研究室の規則が理解できなかったりと
苦労することは、相変わらず消えませんでした。



そんな状況ではありましたが、何とか修士論文を作成・提出し大学院を修了することができました。


そして、新卒採用で東証一部上場企業の営業職に内定が決まりました。



しかし、喜びの期間はわずかで、自分が発達障害だと確信する出来事が起こります。








障害者雇用で働くまで〜大学院生と退学後編〜

大学を卒業し、新たに大学院生として国立大学に入学しました。


これから大学院を退学するまで、非常に辛い日々を送ることになります。


まずは、今までとは違った環境での研究活動になるわけです。


私立大学と国立大学ではこんなに雰囲気が違うのかっていうくらい落差があり、
研究室に全く馴染めませんでした。



精神科に通院は続けていましたが、環境の変化に対応できずうつ状態となってしまいました。




その後、大学院は休学することにしました。




とても嫌な思い出なので、書いているのがしんどいのが本音です。




翌年、体調はそこそこ回復したので、とりあえず復学することにしました。
ただ、意欲低下ややる気低下が著しく、何をするにも億劫で、大学に顔を出しても
他の学生や教員とコミュケーションが上手くいきません。



復学とは名ばかりで、結局まともに登校することなく、翌年の3月で退学することになりました。




退学後、しばらく引きこもりをしていましたが、なんとなくまたバイトをしたくなり
地元の食品工場で働くことにしました。



食品工場というと大学時代に失敗を重ねた職場であるため、嫌な予感はしていましたが
とにかくお金を稼がなくてはならないと思い応募したんです。





さて、嫌な予感は的中することになります。



まず、流れ作業についていけない、説明が理解できない、目の前の情報が多すぎて
何をしていいのかさっぱり分からないという状態です。



大学時代と同じように精神的追い詰められ、ついにバックレを果たします。





正直、耐えられませんでした。




ここでも、自分はダメな人間なんだとか、メンタルが弱いからなんだと思い続けていました。



病院でもまだ発達障害との診断は下っていない状態で、医師からはうつ状態と言われました。



働くことは自分には無理だと悟り、完全なるニート生活に突入していきます。







2018年02月02日

障害者雇用で働くまでの話

さっきの話の続きを少しします。


結局、休職期間を経て12月末で会社を退職しました。


年明けに社宅を退去し、完全に実家に帰ったのですが、やっぱり実家はよいと思いました。


今回のように突発的な体調不良に襲われると、本当に辛いことになります。



広汎性発達障害の場合、特定のストレスに弱い面があるので、うつ病などの二次障害を引き起こしやすいのです。






それでは、今後は私が障害者雇用で働くまでの話をしていきます。



私は高校を卒業したあと、実家を離れて、神奈川県にキャンパスがある大学に進学しました。


初めての一人暮らしで期待していた面もありましたが、食事や身の回りのことがちゃんとできるか
本当に悩んでいました。



一人暮らしを始めた当初は、ホームシックとなり夜は泣いていたことを覚えています。


ただ、3ヵ月もすればすっかりなれて、キャンパスライフを楽しんでいました。



しかし、お金の面できつかったのでアルバイトを経験しました。



最初は大学生の定番の家庭教師でした。


家庭教師のバイトは問題なく続けられましたね。
ただ仕事の依頼が少なかったので、稼げお金は少なかったです。



家庭教師を辞めたあと、食品工場のアルバイトをしましたが、これには大変に苦戦しました。



食品工場だとひたすら流れ作業をしたり、同じような単調な作業を繰り返すのですが
何かよくわからないけれど、じっとしていられないし、集中できませんでした。



作業工程を社員から指示されるのですが、何を言っているのかわからないという具合です。


何度もミスを繰り返しては社員に叱られを繰り返し、だんだん精神的に追い詰められていきました。



本当に嫌気が差したので、バイトをバックレてしまいました。




当然のごとく、携帯には着信の嵐です。



それはそれで怖かったのですが、嫌なバイトから解放された安堵感がこみ上げてきて
スッキリしたのを覚えています。



その後、いろいろなバイトをしましたがどこも長続きせず、仕事も覚えられませんでした。


精神的に辛くなったら、バックレを繰り返し、それだけで大学4年間が終わっていました。




まだ、自分が広汎性発達障害だと夢にも思っていなかったので、単に適性がないとしか思いませんでした。




ちなみに自分は、大学卒業後は就職せず、大学院入試を受けて大学院生となりました。
おそらく、潜在的に自分は社会人に向かないとか、働きたくないという気持ちもあったと思います。



ただ、経済的な事情があり、神奈川には残らず、地元の国立大学の大学院に合格し、入学することにしました。


大学卒業前の1月には、アパートを引き払って実家に帰っていましたが、何か具合が悪く
不安感に襲われるようになりました。


そう、バイトでうまくいかなかったときと同じような感覚と精神状態です。



流石に自分で何か精神的な病気ではないかと思い、地元の精神科クリニックを受診しました。


それが人生初めての精神科受診でした。



医師からは、小さい頃の様子、学校での成績、大学での一人暮らしやバイトのこと
具体的にどんな状況が辛かったのが詳細に聞かれました。



その医師は、私の性格的な面が原因の神経症だと診断しました。



その日から、あとで発達障害と診断されるまで、数年間の通院が始まりました。












休職中の過ごし方A

休職中の最大のメリットはしっかり休めて、自分の時間が取れることです。




だだ、デメリットとして今まで毎日会社へ通勤し、人と関わり会話をしていたのが
その日を境に切れてしまうことです。





私も最初はしっかり療養出来て助かったと思いましたが、一週間もすれば
今迄の生活との落差が激しく、人と会話をしないのが苦痛になっていました。




なので、それを解決するために毎日、母親と電話をしました。

電話でも人と話すことで、精神的な安定は得られます。



休職して2週間ほどで、だいぶ体調も回復してきました。


でも、今から会社に行って仕事ができる所までには程遠いレベルでした。


天気の良い日は、なるべく外出しましたね。


メトロの乗り放題の券を買って、普段行ったことのない場所へ行きました。



食欲も回復してきたので、外食も積極的にしました。

ただ、ヘビーなものはまだ食べられないので、ラーメン屋巡りをしました。



そうやって日中に太陽の日差しを浴びて、ウォーキングをしたことで
精神的な回復が早かったのだと思っています。



そうやってセロトニンの分泌を促していくことが回復への近道だそうです。



ただ、休職中だからといって昼まで寝ていたり、全く外出しないのはやめた方がいいです。




もしかしたらこの中にも休職中の人もいるかもしれませんが、体調がいい日は外出してみてください。



朝起きた時のだるさが緩和されていたり、憂鬱な気分がくる頻度が減ったりします。
自分は身をもって経験したので、断言できます。



うつの時は、漠然とした不安に襲われたり、何をしても楽しくなかったりします。



そんな時は、自然に身を委ねてみましょう。




辛いときでも時間は常に過ぎていきます。



時間が経つことで、辛いという気持ちや感情が過去のものになるのです。










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広汎性発達障害と診断された30代男です。今までいろいろな仕事(アルバイト)を経験するなかで違和感がありました。うつ病も経験しました。大学で一人暮らしをしたり、大学院生をやったり、中身の濃い人生を歩んでます。同じような境遇の人、今まさに仕事をしながら違和感を感じている人、障害者雇用で働いている人のためにブログを書いていきます。
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