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2016年04月28日
ちょっと毒を吐かせていただきますと
前記事の続きね。
ちょいと毒を吐かせていただきますが、
Yさんからmixi申請があったとき、
ほんの少しはその申請を受けようか、という気持ちはあった。
それは人恋しさ、ちょっとでも内容は良し悪しあっても、人とつながっていたい、という気持ちから。
しかし、それと同時に、これまでYさんに振り回されまくった9年間がよみがえる。
そっちは抑えに抑えまくって、固まって、カチコチのトラウマになってしまったようだ。
そのトラウマを感じると
「いや、変につながりをつくって、さらにトラウマを強化させる方がしんどい」
という考えに至り、
承認するのをやめて、とりあえず放置にした。
その瞬間、今度は優越感が私の心に生まれた。
「これまでさんざん振り回された相手を、今度はこっちが振り回している…」
そんな錯覚に陥ったのだ。
ああ、相当、私の中に毒が溜まっているわねえ。。。
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ちょいと毒を吐かせていただきますが、
Yさんからmixi申請があったとき、
ほんの少しはその申請を受けようか、という気持ちはあった。
それは人恋しさ、ちょっとでも内容は良し悪しあっても、人とつながっていたい、という気持ちから。
しかし、それと同時に、これまでYさんに振り回されまくった9年間がよみがえる。
そっちは抑えに抑えまくって、固まって、カチコチのトラウマになってしまったようだ。
そのトラウマを感じると
「いや、変につながりをつくって、さらにトラウマを強化させる方がしんどい」
という考えに至り、
承認するのをやめて、とりあえず放置にした。
その瞬間、今度は優越感が私の心に生まれた。
「これまでさんざん振り回された相手を、今度はこっちが振り回している…」
そんな錯覚に陥ったのだ。
ああ、相当、私の中に毒が溜まっているわねえ。。。
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【オチのないはなし】子どものマウンティングって1
大人になって、社会に出て、
仕事をして、、、いくつか転職もしたり、仕事上、いろんな職場を回ったりしたけれど、
そこで特に感じず、ママ社会に出て強く感じたのが
「マウンティング」
たまたまかもしれないが、職場でマウンティングをあまり感じたことがない。
みなそれぞれ、役割が合って、仕事があって、
自然とそれがマウンティングだったのか。
あえて、マウンティングするヒマがあるなら、仕事したほうが良い、というのもあったのか。
んで、今思えば、長女妊娠したときに初めて病院の母親教室へ行ったとき。
そこがもう、ママたちのマウンティングの場になっていた。
あ、ママたち全員がマウンティングしていたわけじゃない。
一部のママだけだったとは思うけど、
そのマウンティングぶりは、理由はわからないが私の心に重い感じを与え、
その雰囲気に触れただけでブルーになって、途中から母親教室へ行かなくなった。
私、別にオーラが分かるとか、そういう感覚はないが、、
なんでしょうね、あのマウンティングが発する独特な空気は。
もしもオーラや気みたいのが分かる人がいれば、
ああいった場を視たらどんなもんだろう?なんて、考えたことがある。
「きっと、黒くてどんよりしているにちがいない。あ、それとも攻撃的な色とか?」
なんて、妄想して、
そういった場になじめない自分を慰めていたっけ。
そんな私のほうが、黒くどんよりしていたのかもしれないが。
初対面マウンティングがどうも苦手で。
でも、初対面マウンティングをやることで、相手の対応が変わるのも実感した。
マウンティングが日常的なママ社会では、
マウンティングされたほうも特に気にせず、むしろ相手を認めたりして。
んでもって、ときにはお互いのマウンティングで
相乗できる部分を取り入れ合う仲になったりして。
マウンティングって、威嚇や攻撃性があると思っている。
そうすることで、相手を上から押さえつけて、、、
などなど、苦手意識を感じている私だが、
ママ社会では、マウンティングはごくふつうの交流の一つなのかもしれない。
とはいえ、マウンティングにも種類があって、
相手をあまり不快にさせないマウンティングもあれば、
どんよりもやもやを残すマウンティングもあるのかも。
ああ、タイトル通り、子供たちのマウンティングについて書こうと思ったのに、
話が変わってしまったなあ。
とりあえず、続きにしよう。
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仕事をして、、、いくつか転職もしたり、仕事上、いろんな職場を回ったりしたけれど、
そこで特に感じず、ママ社会に出て強く感じたのが
「マウンティング」
たまたまかもしれないが、職場でマウンティングをあまり感じたことがない。
みなそれぞれ、役割が合って、仕事があって、
自然とそれがマウンティングだったのか。
あえて、マウンティングするヒマがあるなら、仕事したほうが良い、というのもあったのか。
んで、今思えば、長女妊娠したときに初めて病院の母親教室へ行ったとき。
そこがもう、ママたちのマウンティングの場になっていた。
あ、ママたち全員がマウンティングしていたわけじゃない。
一部のママだけだったとは思うけど、
そのマウンティングぶりは、理由はわからないが私の心に重い感じを与え、
その雰囲気に触れただけでブルーになって、途中から母親教室へ行かなくなった。
私、別にオーラが分かるとか、そういう感覚はないが、、
なんでしょうね、あのマウンティングが発する独特な空気は。
もしもオーラや気みたいのが分かる人がいれば、
ああいった場を視たらどんなもんだろう?なんて、考えたことがある。
「きっと、黒くてどんよりしているにちがいない。あ、それとも攻撃的な色とか?」
なんて、妄想して、
そういった場になじめない自分を慰めていたっけ。
そんな私のほうが、黒くどんよりしていたのかもしれないが。
初対面マウンティングがどうも苦手で。
でも、初対面マウンティングをやることで、相手の対応が変わるのも実感した。
マウンティングが日常的なママ社会では、
マウンティングされたほうも特に気にせず、むしろ相手を認めたりして。
んでもって、ときにはお互いのマウンティングで
相乗できる部分を取り入れ合う仲になったりして。
マウンティングって、威嚇や攻撃性があると思っている。
そうすることで、相手を上から押さえつけて、、、
などなど、苦手意識を感じている私だが、
ママ社会では、マウンティングはごくふつうの交流の一つなのかもしれない。
とはいえ、マウンティングにも種類があって、
相手をあまり不快にさせないマウンティングもあれば、
どんよりもやもやを残すマウンティングもあるのかも。
ああ、タイトル通り、子供たちのマウンティングについて書こうと思ったのに、
話が変わってしまったなあ。
とりあえず、続きにしよう。
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