2016年05月25日
前より人の顔を名前を覚えられるようになってきた
人の顔を覚えられない、という気持ちが、
さらに人を避ける要因になっていた私。
「これではイカン!」と
苦手なりにも人に接する回路を育てようと思い立って、
5年が経った。
(震災がきっかけなので)
最近、思った。
前よりは人の顔を覚えられるようになった。
んでは、この5年、何をしたっけ?
とここで振り返ってみる。
当時はツイッターで、発達障害系の人とつながっていて
(今はツイッターしていませんが、別の形でつながっています)
その人たちは、長いこと通院して躁鬱を繰り返していて。
けれど、日々、丁寧に自分の調子をチェックしていた。
その「丁寧な姿勢」がとても参考になった。
「ああ、ここまで自分のチェックをしていいんだね」みたいな基準ができて。
昨日できたことでも、今日の自分はちょっと調子が悪くてできない。。
そういった見極め方ができるようになってきた。
そして発達障害系の情報が入りやすくなり、
発達障害者を考慮した対人ワークの存在を知り、
そこへ何度か参加した。
ゲーム感覚でテーマを与えられて
それに対して思い浮かんだ内容を人前で言う。。そういったパターンが多い。
ワークの良さは、対人苦手前提だから、
そこで変なこと言ってしまったり、無言になったりしてもいいのだ。
少しずつ少しずつ、、対人回路を育てるつもりで
地道にワークした。
そのあたりで、長女が卒園し、次女が入園。
長女と次女で同学年というママさんと会話するようになってきた。
そして次女と同級生かつ、第一子ママさんからすると
私は先輩ママさんになるので、
相手から質問されて答える、という場面も。
その時点では、人の顔を覚える回路はさほど育っていないけど、
少しだけ対人慣れしていったように思える。
そして、幼稚園の写真の保護者の顔をじっくり見れるようになった。
ネットから園写真を購入できるのだが、
それまで園写真の保護者の顔を見るのも怖くて見れなかったのだ。
でも、写真なら、まじまじ見れるようになり。
「えーっと、この人はAさん、あ、この人はBさん」
と予習復習を地道にした。
そのため、園クラスの保護者はだいぶ覚えた。
顔と名前を覚えれば、園で会った時に「○ちゃんママ」と声かけられる。
たったそれだけのことだけど、そこから会話が膨らむこともあるし、
なにより、私の中の不安が少し薄らいだ。
そして、頑張って園手伝いに参加した。
長女が一年生の時には学校の委員に参加し、
次女年中のころには役員にも参加した。
長女1年の委員では、、、はっきりいって私は存在がかなり薄かった。
でも、仕方ない。
新しい環境に対する回路ができるのに人一倍かかる。
知り合いもほとんどいないし、、
ただ、同じ委員を2年続けた、
するとその委員の流れを把握でき、1年のころよりは行動できた。
次女園でくじけることがあれば、長女学校で委員を細々でもやっているからいいか、と思い、
長女学校でくじければ、次女園で慣れたママの安心感をよりどころにしたり
などなど、、、偏りがちな自分の視点をできるだけ分散させた。
そして気づいたら、
初対面でも、なんとなく顔を覚えていることが増えてきた。
少し覚えてちょっと安心感→
対人恐怖がちょっとだけ和らぐ→
ちょっとだけリラックスしてさらにまた少し覚える
のループだ。
それぞれはほんの数ミリ程度の進歩だし、
最初のうちはその進歩に気付けないし、
進んだと思った矢先に大失敗もあるけれど、
それでも地道に地道に、、
可能な範囲で人馴れするよう、人と接して、
あ、そういえば、区の講習会にも参加したことあったな。
区なので安いし、ちょっとマイナーで私より高齢の方が多かったけど、
「知らない人ばかり」という気楽さの中、
また、高齢の方だから、先生が書類配るとか席並べるとかしだしたら、
中でも若い方の私が動く。
そこで自分の役割のようなものも感じつつ、
一時的な場だったけど、自分にとっての人とのつながりの擬体験というか。
ああいう経験は、意外と気力的に消耗しにくいし、
地道に培うのには、自分に向いていた。
そんなこんなで5年過ぎ。。。
たしかに5年前よりは、人の顔を覚えて反応しやすくなったと思う。
ブログ村参加中。ぽちっと押していただけると大変励みになります
さらに人を避ける要因になっていた私。
「これではイカン!」と
苦手なりにも人に接する回路を育てようと思い立って、
5年が経った。
(震災がきっかけなので)
最近、思った。
前よりは人の顔を覚えられるようになった。
んでは、この5年、何をしたっけ?
とここで振り返ってみる。
当時はツイッターで、発達障害系の人とつながっていて
(今はツイッターしていませんが、別の形でつながっています)
その人たちは、長いこと通院して躁鬱を繰り返していて。
けれど、日々、丁寧に自分の調子をチェックしていた。
その「丁寧な姿勢」がとても参考になった。
「ああ、ここまで自分のチェックをしていいんだね」みたいな基準ができて。
昨日できたことでも、今日の自分はちょっと調子が悪くてできない。。
そういった見極め方ができるようになってきた。
そして発達障害系の情報が入りやすくなり、
発達障害者を考慮した対人ワークの存在を知り、
そこへ何度か参加した。
ゲーム感覚でテーマを与えられて
それに対して思い浮かんだ内容を人前で言う。。そういったパターンが多い。
ワークの良さは、対人苦手前提だから、
そこで変なこと言ってしまったり、無言になったりしてもいいのだ。
少しずつ少しずつ、、対人回路を育てるつもりで
地道にワークした。
そのあたりで、長女が卒園し、次女が入園。
長女と次女で同学年というママさんと会話するようになってきた。
そして次女と同級生かつ、第一子ママさんからすると
私は先輩ママさんになるので、
相手から質問されて答える、という場面も。
その時点では、人の顔を覚える回路はさほど育っていないけど、
少しだけ対人慣れしていったように思える。
そして、幼稚園の写真の保護者の顔をじっくり見れるようになった。
ネットから園写真を購入できるのだが、
それまで園写真の保護者の顔を見るのも怖くて見れなかったのだ。
でも、写真なら、まじまじ見れるようになり。
「えーっと、この人はAさん、あ、この人はBさん」
と予習復習を地道にした。
そのため、園クラスの保護者はだいぶ覚えた。
顔と名前を覚えれば、園で会った時に「○ちゃんママ」と声かけられる。
たったそれだけのことだけど、そこから会話が膨らむこともあるし、
なにより、私の中の不安が少し薄らいだ。
そして、頑張って園手伝いに参加した。
長女が一年生の時には学校の委員に参加し、
次女年中のころには役員にも参加した。
長女1年の委員では、、、はっきりいって私は存在がかなり薄かった。
でも、仕方ない。
新しい環境に対する回路ができるのに人一倍かかる。
知り合いもほとんどいないし、、
ただ、同じ委員を2年続けた、
するとその委員の流れを把握でき、1年のころよりは行動できた。
次女園でくじけることがあれば、長女学校で委員を細々でもやっているからいいか、と思い、
長女学校でくじければ、次女園で慣れたママの安心感をよりどころにしたり
などなど、、、偏りがちな自分の視点をできるだけ分散させた。
そして気づいたら、
初対面でも、なんとなく顔を覚えていることが増えてきた。
少し覚えてちょっと安心感→
対人恐怖がちょっとだけ和らぐ→
ちょっとだけリラックスしてさらにまた少し覚える
のループだ。
それぞれはほんの数ミリ程度の進歩だし、
最初のうちはその進歩に気付けないし、
進んだと思った矢先に大失敗もあるけれど、
それでも地道に地道に、、
可能な範囲で人馴れするよう、人と接して、
あ、そういえば、区の講習会にも参加したことあったな。
区なので安いし、ちょっとマイナーで私より高齢の方が多かったけど、
「知らない人ばかり」という気楽さの中、
また、高齢の方だから、先生が書類配るとか席並べるとかしだしたら、
中でも若い方の私が動く。
そこで自分の役割のようなものも感じつつ、
一時的な場だったけど、自分にとっての人とのつながりの擬体験というか。
ああいう経験は、意外と気力的に消耗しにくいし、
地道に培うのには、自分に向いていた。
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