2016年05月15日
空気の読み方 無意識に反射的にしてしまう振る舞い
反射的にしてしまう振る舞い
私の場合、
最初は、自分が発した言葉で、なんとなく周囲が凍り付く感じを受け、
後になって自己嫌悪。
なんであんなこと言ってしまったのだろう。。。
頭の中でぐるぐるぐる。
当時の場面をなんども反芻していくうちに、
どうも、反射的に言葉を口走っているよな、と気づく。
たとえば、、そうねえ、例えばの話
過去に、私がAというものに関連したドジをして。
その話をほかの人にしたら、ウケてその場が盛り上がった。
という経験があったとして、
その後、全く違う場で、Aに関する話題が出てきたとする。
すると「A」というキーワードに反応して、
すかさず、、自動的に自分はそのドジ話を一方的に話し出す。
それは「Aについてこの話をすれば場が盛り上がる」という思い込みと、
なじめない場にいる緊張感やてんぱりから、冷静な判断力がなくなっていて、
それで「A」というキーワードにくいついて、暴走してまったく場違いな話をしてしまう。
けれど、場違いだから、周りの反応は微妙だし。
ときには話しながら、そんな周囲の冷めた反応に気付くこともあるけれど、
話し出した口は止まらない。途中で止めるのももっとおかしい。
さらに焦りながら、さらにわけのわからない言葉で暴走してしまう。
そんな傾向がある。
なので、「反射的に行動する」ということの危険性を意識するようになった。
しかし、、、人は何かを感じて、何かを判断して、言動をとる。
その「何かを感じて、何かを判断して」が、
きちんとした考えによるものなのか、何も考えない反射的なものなのか。
その見極めが難しい。
なので、「反射的な行動」をとにかくしないようにしよう。
と心がけたところ、私は無口な人間になった。一時期ね。
だって、自分が発しようとする言葉すべてが疑わしくなってしまって。
「結局、人に会ってもロクにしゃべれなかった。つまらない人間と思われたかも」
となるか。それとも話すよう心掛けても
「ああ、失言してひんしゅくかってしまった・・・」
となるか。
私は後者のほうが怖くなっていた。
なので、会話中でも、無口にな自分を感じつつも
「下手に話すよりは、無理をしない!」と自分に言い聞かせ、
よほど「この発言は大丈夫」と強く確信できるものでないかぎりは、発言を控えた。
また、大勢いるときは、変に発言しようとせずに
無口路線で、、、すると周囲の会話が良く見えるようになってきた。
すると、そこで対人データベースが少しずつ充実しだした。
「この場面でこういう発言をしても大丈夫」みたいな感覚が育ちだした。
無口路線になって、今のようにそこそこ話せるようになったのは
3年くらいかかったかなあ。。どれもママになった後の話だけど。
無口路線になる前は、ほんと、今思いだしても落ち込むほど、
てんぱりすぎて、失言だらけ。
3年。。。無口路線の間は、終わりのない迷路のように感じられたし、
もうあきらめてたけれど、、、脳内の回路は遅くても育つときは育つ(こともある)
なんというか、数か月がんばっても成果が得られないとしても、あきらめなくてもいいのかな、
とも思えるようになった・
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私の場合、
最初は、自分が発した言葉で、なんとなく周囲が凍り付く感じを受け、
後になって自己嫌悪。
なんであんなこと言ってしまったのだろう。。。
頭の中でぐるぐるぐる。
当時の場面をなんども反芻していくうちに、
どうも、反射的に言葉を口走っているよな、と気づく。
たとえば、、そうねえ、例えばの話
過去に、私がAというものに関連したドジをして。
その話をほかの人にしたら、ウケてその場が盛り上がった。
という経験があったとして、
その後、全く違う場で、Aに関する話題が出てきたとする。
すると「A」というキーワードに反応して、
すかさず、、自動的に自分はそのドジ話を一方的に話し出す。
それは「Aについてこの話をすれば場が盛り上がる」という思い込みと、
なじめない場にいる緊張感やてんぱりから、冷静な判断力がなくなっていて、
それで「A」というキーワードにくいついて、暴走してまったく場違いな話をしてしまう。
けれど、場違いだから、周りの反応は微妙だし。
ときには話しながら、そんな周囲の冷めた反応に気付くこともあるけれど、
話し出した口は止まらない。途中で止めるのももっとおかしい。
さらに焦りながら、さらにわけのわからない言葉で暴走してしまう。
そんな傾向がある。
なので、「反射的に行動する」ということの危険性を意識するようになった。
しかし、、、人は何かを感じて、何かを判断して、言動をとる。
その「何かを感じて、何かを判断して」が、
きちんとした考えによるものなのか、何も考えない反射的なものなのか。
その見極めが難しい。
なので、「反射的な行動」をとにかくしないようにしよう。
と心がけたところ、私は無口な人間になった。一時期ね。
だって、自分が発しようとする言葉すべてが疑わしくなってしまって。
「結局、人に会ってもロクにしゃべれなかった。つまらない人間と思われたかも」
となるか。それとも話すよう心掛けても
「ああ、失言してひんしゅくかってしまった・・・」
となるか。
私は後者のほうが怖くなっていた。
なので、会話中でも、無口にな自分を感じつつも
「下手に話すよりは、無理をしない!」と自分に言い聞かせ、
よほど「この発言は大丈夫」と強く確信できるものでないかぎりは、発言を控えた。
また、大勢いるときは、変に発言しようとせずに
無口路線で、、、すると周囲の会話が良く見えるようになってきた。
すると、そこで対人データベースが少しずつ充実しだした。
「この場面でこういう発言をしても大丈夫」みたいな感覚が育ちだした。
無口路線になって、今のようにそこそこ話せるようになったのは
3年くらいかかったかなあ。。どれもママになった後の話だけど。
無口路線になる前は、ほんと、今思いだしても落ち込むほど、
てんぱりすぎて、失言だらけ。
3年。。。無口路線の間は、終わりのない迷路のように感じられたし、
もうあきらめてたけれど、、、脳内の回路は遅くても育つときは育つ(こともある)
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