2014年07月30日
励ましの言葉をかける罪悪感
私は励ましの言葉をかけるのが苦手です。
罪悪感を覚えます。
私が10代の頃、色々と大変だったときに、
周囲は励ましの言葉をかけてくれました。
けれど、そんな言葉をかけられたところで、
私のその大変な状況は変わらないし、
いったい、この人たちは、私の何が分かるのだろう。
私自身、自分が分からないし、自分のつらさは言葉にできないから、
周囲に話せることが出来ない。
表面的に私を見て、言葉をかけたところで、
その言葉は、私の確信をついていないし。
その言葉に対する反応を考えなくてはならない負担の方がしんどくて。
むしろ迷惑でした。
それでもそういう言葉をかけるって、私はもっとしんどくなるのに、
相手は自己満足なのかな?
と真面目に思ったものです。
それが20代になり社会に出るうちに、
だんだん、それが自分の感覚が違うことに気づきました。
私のように感じるのは少数派。
どうやら、大抵の人は、そういった言葉のやりとりによって交流を深めるようです。
(*それからずっと後になって、アスペルガーなどを知ったときに、
定型の方は、労いの言葉をかけられるとうれしく感じる部分が、そうでない人と比べて、多いらしい、
という文をどこかで読んで、腑に落ちたものです。)
そう気づいてから、そういう言葉をかけられたときは、
しんどくなることはあるけれど、ありがたい、という気持ちを持てるように、徐々になっていきました。
ありがたい、と思っていいんだな、という思考が最初にありました。
なので、そういう場面では「ありがとう」と心から言えるようになりました。
なんというか、、、
社会に出てから、そういう回路がようやく育ち始めた感じです。
しかし、自分から労いの言葉などをかけようと思っても、
そこに罪悪感を抱いてしまいます。
そういう言葉を使っているときは、日本語を間違えてないか、しつれいな態度になっていないか、
相手の背景を無視していないか、など、
あれこれ考えすぎて、気力を消耗。
「そこまで無理して、そういう言葉をかけなくてもいいか」
と
「いやいや、少しずつでも言葉をかけたくなったらかける、の繰り返しで、成長していこう」
の考えが、定期的に変わります。
子供を産んだら、子供に対して、励ましたい、と感じたら、素直に出るようになりました。
まあ、最低限、それでもいいのかな、と思うこともあります。
と、長い前置き^^;
ママ世界は、励ましや労いの言葉の嵐だなあ、、、というのが私感覚の感想です。
ときには、励まされたからうれしい、を通り越して、
励ましの言葉がないからムカつく、みたいな世界もあったりして。。。
そうなると、「私はここまで励ましや感謝などに言葉をかけたんだから文句ないでしょ」
に見えちゃうのです。実際、本人はそう思っていないだろうけど。
そうなったら、もう、心からの励ましや感謝じゃなくなる。押し付けだ。
私感覚だと、そこまで多くの言葉を使うことに、違和感を感じるので、
違和感を感じる→なにか理由がある→多く言葉を使うことである状況を避けたいのでは、
みたいな思考になっちゃうのね。
我ながら損な思考です。
しかし、こういう流儀だ、と思って、
とりあえずママ世界に足を踏み入れた以上、その流儀をある程度理解し、ある程度合わせる。。
この流儀があるのは、それなりに必要だから、ということだし。
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罪悪感を覚えます。
私が10代の頃、色々と大変だったときに、
周囲は励ましの言葉をかけてくれました。
けれど、そんな言葉をかけられたところで、
私のその大変な状況は変わらないし、
いったい、この人たちは、私の何が分かるのだろう。
私自身、自分が分からないし、自分のつらさは言葉にできないから、
周囲に話せることが出来ない。
表面的に私を見て、言葉をかけたところで、
その言葉は、私の確信をついていないし。
その言葉に対する反応を考えなくてはならない負担の方がしんどくて。
むしろ迷惑でした。
それでもそういう言葉をかけるって、私はもっとしんどくなるのに、
相手は自己満足なのかな?
と真面目に思ったものです。
それが20代になり社会に出るうちに、
だんだん、それが自分の感覚が違うことに気づきました。
私のように感じるのは少数派。
どうやら、大抵の人は、そういった言葉のやりとりによって交流を深めるようです。
(*それからずっと後になって、アスペルガーなどを知ったときに、
定型の方は、労いの言葉をかけられるとうれしく感じる部分が、そうでない人と比べて、多いらしい、
という文をどこかで読んで、腑に落ちたものです。)
そう気づいてから、そういう言葉をかけられたときは、
しんどくなることはあるけれど、ありがたい、という気持ちを持てるように、徐々になっていきました。
ありがたい、と思っていいんだな、という思考が最初にありました。
なので、そういう場面では「ありがとう」と心から言えるようになりました。
なんというか、、、
社会に出てから、そういう回路がようやく育ち始めた感じです。
しかし、自分から労いの言葉などをかけようと思っても、
そこに罪悪感を抱いてしまいます。
そういう言葉を使っているときは、日本語を間違えてないか、しつれいな態度になっていないか、
相手の背景を無視していないか、など、
あれこれ考えすぎて、気力を消耗。
「そこまで無理して、そういう言葉をかけなくてもいいか」
と
「いやいや、少しずつでも言葉をかけたくなったらかける、の繰り返しで、成長していこう」
の考えが、定期的に変わります。
子供を産んだら、子供に対して、励ましたい、と感じたら、素直に出るようになりました。
まあ、最低限、それでもいいのかな、と思うこともあります。
と、長い前置き^^;
ママ世界は、励ましや労いの言葉の嵐だなあ、、、というのが私感覚の感想です。
ときには、励まされたからうれしい、を通り越して、
励ましの言葉がないからムカつく、みたいな世界もあったりして。。。
そうなると、「私はここまで励ましや感謝などに言葉をかけたんだから文句ないでしょ」
に見えちゃうのです。実際、本人はそう思っていないだろうけど。
そうなったら、もう、心からの励ましや感謝じゃなくなる。押し付けだ。
私感覚だと、そこまで多くの言葉を使うことに、違和感を感じるので、
違和感を感じる→なにか理由がある→多く言葉を使うことである状況を避けたいのでは、
みたいな思考になっちゃうのね。
我ながら損な思考です。
しかし、こういう流儀だ、と思って、
とりあえずママ世界に足を踏み入れた以上、その流儀をある程度理解し、ある程度合わせる。。
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