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堀江貴文さんら、次はウイスキー醸造 全て地元産で「真の国産ウイスキー」目指す
12/10(火) 16:30配信
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水、原料、全て大樹町産
【北海道大樹町】大樹町にゆかりの深い、実業家の堀江貴文さん(52)=IST・インターステラテクノロジズ創業者=らが、ウイスキー製造販売の会社「Taiki Cosmic Glen Distillery」(タイキ・コズミック・グレン・ディスティラリー)を立ち上げた。原料は全て大樹町産を使い、町内に蒸留所を開設する計画。来年10月にも製造を始め、2028年の発売を目指す。
同社は今年9月6日に設立された。資本金は300万円。蒸留所は町内の晩成温泉周辺での建設を検討しているといい、「大樹町産のローカル原料から蒸留し、『真の国産ウイスキー』づくりを目指す」とする。
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同社によると、大樹町はウイスキーの主原料デントコーン、香りを特徴付けるピート(野草などが堆積し年月をかけて炭化した泥炭)、「日本一の清流」に輝いた実績もある歴舟川の水など、良質な原料がそろう地。「ウイスキーづくりに欠かせない原料は、大樹町で育まれた純国産。世界的にも珍しいローカル原料を全てそろえられる」とする。
国内で製造される「ジャパニーズウイスキー」の多くは、原料の多くを海外からの輸入に頼っている現状という。しかし、大樹町産のローカル原料を使い、長年培われた日本の蒸留技術を融合させることで、「他にはない風味豊かなウイスキーを生み出すことが可能」という。
同社は、「至福のいくら」など、大樹産食材を使用したふるさと納税の返礼品シリーズも手掛ける、水産加工業・ビショクルfrom大樹町の三原一馬代表が代表取締役を務める。堀江さんや、ウイスキー最難関とされるマスター・オブ・ウイスキーの資格を持つ静谷和典さんらが取締役を務める。
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堀江さんは「大樹町の豊かな資源を生かし、原料は大樹産という画期的なプロジェクト。愛好家には『真のジャパニーズウイスキー』づくりに、大いに期待をしていただきたい」とコメント。尾藤雅彦取締役(ビショクルfrom大樹町専務)は、「ジャパニーズウイスキーは3年熟成が必要。28年の発売を目指したい」とする。
同社はたる詰めするウイスキーの第1期オーナーを200たる限定で募集中。1たる(約200リットル)150万円(税別、配送料などは別)。問い合わせなどは同社(050・1722・8990)へ。(松岡秀宜)
<代表的なコメント>
★ホリエモンってライブドア時代から考えてもこれといって大成功したようなビジネスを完遂するまで作り上げたことが無く、基本的には信者ビジネスで食いつないでおる人やから今回のコレもそこそこの物を信者向けに高額販売して、高いだとか不味いだとか言われたら「お前が味を解ってないだけ」とか強弁する光景が今から目に浮かぶわ。
ライブドア時代の右腕だった宮内氏がホリエモンのことを「すぐに飽きて放置する」と評価しておったが、コレもきっとそうなるんやろうな。
とはいえ常に新しいことに挑戦し続ける姿勢だけは尊敬に値する。
★YouTubeでプライベートなBARを作ってそこでゲストとウイスキーを飲んだり希少なボトルをズラリと並べてるのを見たな。
好きが高じてやってそうだね。
今年はウルトラハイボール&ガーリックポテチは販売しないのかな?合わせるとけっこう美味しくて好きなんだけど。
信者とかではないけどこの人の関わるウイスキーは興味あるな。
★もう国産クラフトウイスキーも飽和状態。ジャパニーズであれば売れるという期間は終わった。あとは味とブランディング次第。
⇒わても「山崎」とか好きやからウイスキー醸造はうれしいニュース(^_-)-☆ ホリエモンがどこまで本格的なウイスキーを作り上げることができるか見ものやね〜〜★インフルエンサーを大量導入してCMさせるかもね〜〜★
⇒今日は以上で〜〜す。ほなまた!
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2024年12月10日
「あまたつ〜〜」でお馴染み小倉智昭さん死去 とくダネ!22年 #老々介護 #別居 #キャスター
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小倉智昭さん(77)死去 1ヵ月前の取材で「いつ倒れるかわからない」 別居で“老々介護”妻への感謝も語る 22年務めた『とくダネ!』キャスター時代に膀胱がん手術
12/10(火) 4:53配信
2024年11月8日撮影
フジテレビ朝の情報番組『とくダネ!』などでキャスターとして活躍した小倉智昭(おぐら・ともあき)さんが、2024年12月9日午後に亡くなりました。77歳でした。
小倉さんは2016年に膀胱がんを患ったことを公表し、2018年に膀胱全摘手術。
その後もがんとの闘いが続いていましたが、2024年12月4日に病院で治療の手立てがないとの宣告を受け、12月6日から自宅に帰って妻の看病のもと過ごしていたということです。
2024年11月8日に行われた『小倉ベース』番組収録後のインタビューでは、「いつ病気で倒れるかわからない」と話し、別居しながら“老々介護”をしてくれている妻への感謝の思いを語っていました。
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『とくダネ!』で朝の顔に 膀胱がん公表・全摘手術も肺に転移…
1947年5月25日、秋田市で生まれた小倉さんは、1970年に現在のテレビ東京に入社。競馬実況などで活躍したのち、1977年からはフリーアナウンサーとして数々のテレビ・ラジオ番組を担当します。
1985年に15歳年下の妻と結婚。
1999年4月にスタートした『とくダネ!』では、歯切れのいいオープニングトークが話題に。時には厳しくも愛のあるコメントを発し、お茶の間の“朝の顔”となりました。
2016年には膀胱がんを患ったことを公表。2018年に膀胱全摘手術を受けました。
その後、復帰し2021年3月まで22年にわたり『とくダネ!』のメインキャスターを務めました。
2021年10月には、以前手術を受けた膀胱がんが肺に転移したことを公表。「ステージ4」の宣告を受けたといい、抗がん剤治療を始めていました。
その後、左の腎臓の全摘手術を受けていたことも明かした小倉さん。
2024年11月8日に行われた『小倉ベース』収録後、めざましmediaの取材に「いつ病気で倒れるかわからない」と話し、別居しながら“老々介護”をしてくれている妻への感謝の思いを語っていました。
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『小倉ベース』収録後のインタビュー 別居で“老々介護”妻に感謝
小倉智昭さん:
年を取ったら、余生をゆっくり好きなことに時間を費やしてって思っていたんです。でも、体が弱くなって病院に通うようになって、自分の残された時間がどのぐらいなのかと考えるようになると、そっちに目が向かなくなるっていうことがある。
だからね、「年を取ってからこれをやりましょう」って思ってる人は、絶対に年を取る前にやったほうがいい。お金も老後のためにっていうよりも、若い時や使える時に使った方が僕はいいと思う。残すなんていうことは考えないで、若いうちに遊ばないと。年を取ると、僕みたいに目は見えづらくなってくるし、耳は聞こえにくくなってくるし。もう眼鏡の度数なんか毎月のようにどんどん変わるんだから(笑)。
最後まで自分の好きなものに囲まれて生きていけるようにと、カミさんの協力もあってこういう家を建てたけれど、結局カミさんが住むスペースがなくなっちゃって。ここに住んでいたカミさんの母親と一緒に実家のほうに戻って、母親と僕の老々介護を2ヵ所でやってくれているんです。
「ありがたいな」って思うから、なるべく家のことは自分でやろうと思ってさ。でも、頑張っちゃうとやっぱり体がきついから、家のことをやって疲れたら椅子に座ってドラマを見たり、音楽を聴いたりする時間にあてていて、その他のことまでする余裕がないんですよね。
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――家のことをご自分でされるということですが、生活のルーティンはありますか?
小倉智昭さん:
ルーティンはちゃんとありますよ。カミさんは朝10時頃に来るから、必ず6時半には起きて、ゴミ捨てに行かないといけない。週に5日間、捨てるゴミの種類が違うんですよ。起きてごみ捨てをするのがその日の始まりで、食事を作って食べて、薬を飲んで、それから「さあ何やろうかな」となる。
でも、これまた「病院の日」ってのが多いわけ。ちょっと遠い病院に通っているから、通院日は朝6時に起きる。それが月に7、8回で、近所のホームドクターのところにも週に1回ぐらい行く。だから、仕事のスケジュールを入れるほうも大変ですよ。病院って書いてあるところを避けて入れないといけない。それに、歩くのも疲れちゃって大変だから、仕事は座ってやれるラジオや講演になる。
いまだにラジオはレギュラーでやってほしいとか、週に1回でもやってほしいと言っていただけてありがたいけれども、いつ病気で倒れるかわからないから。ちょっと今はもうレギュラー仕事の保証はできないよね。
――軽快な"小倉節"は健在でした。
小倉智昭さん:
そういう意味では、77歳でもまだまだやれるとは思うんですよ。しかし、物忘れがひどくなった!1日に2回ぐらい、「あれ?何だっけ?」っていうことがある。
――2回で済んでいるところがすごいと思います。
小倉智昭さん:
「小倉さんでも忘れるようになっちゃうのか」と言われてますよ。この前、もう最悪だと思ったのはね、カミさんと一緒に病院に行って待合室で“ある人の名前”を思い出せなくなっちゃって、さすがに大きな声で聞けないから、カミさんに小声で「ねえねえ、あのメジャーで活躍してる彼、名前なんつったっけ?」って。そしたらカミさんが、「大谷翔平選手のこと?あなたそんなことも忘れちゃったの!?」ってびっくりしてた(笑)。
でもさ、突然忘れちゃうんだよな。「いいな」と思う俳優さんを見つけると、すぐその人の作品を探して見ているのに、その俳優さんの名前を忘れるんだよね。大好きな小芝風花さんの名前も出てこなくなっちゃう時がある。
――他に、注目されている俳優はいらっしゃいますか?
小倉智昭さん:
最近は、出口夏希さんと河合優実さん。この2人はいいね、今すごく好きなの。でも名前を忘れるんだよ(笑)。同世代の人と話してると、「あれ!ほら!あれの!」「わかった、あれだろ、あれ!」みたいな会話になって、もうほとんど落語みたいになっちゃう。でも、こういう話をしたほうがラジオなんかではウケるんだよね(笑)。
めざましmedia編集部
⇒また著名な方が亡くなってしまいましたね・・元気のよい姿が目に浮かびます・・ご冥福をお祈りいたします★
⇒今日は以上で〜〜す。ほなまた!
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小倉智昭さん(77)死去 1ヵ月前の取材で「いつ倒れるかわからない」 別居で“老々介護”妻への感謝も語る 22年務めた『とくダネ!』キャスター時代に膀胱がん手術
12/10(火) 4:53配信
2024年11月8日撮影
フジテレビ朝の情報番組『とくダネ!』などでキャスターとして活躍した小倉智昭(おぐら・ともあき)さんが、2024年12月9日午後に亡くなりました。77歳でした。
小倉さんは2016年に膀胱がんを患ったことを公表し、2018年に膀胱全摘手術。
その後もがんとの闘いが続いていましたが、2024年12月4日に病院で治療の手立てがないとの宣告を受け、12月6日から自宅に帰って妻の看病のもと過ごしていたということです。
2024年11月8日に行われた『小倉ベース』番組収録後のインタビューでは、「いつ病気で倒れるかわからない」と話し、別居しながら“老々介護”をしてくれている妻への感謝の思いを語っていました。
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1947年5月25日、秋田市で生まれた小倉さんは、1970年に現在のテレビ東京に入社。競馬実況などで活躍したのち、1977年からはフリーアナウンサーとして数々のテレビ・ラジオ番組を担当します。
1985年に15歳年下の妻と結婚。
1999年4月にスタートした『とくダネ!』では、歯切れのいいオープニングトークが話題に。時には厳しくも愛のあるコメントを発し、お茶の間の“朝の顔”となりました。
2016年には膀胱がんを患ったことを公表。2018年に膀胱全摘手術を受けました。
その後、復帰し2021年3月まで22年にわたり『とくダネ!』のメインキャスターを務めました。
2021年10月には、以前手術を受けた膀胱がんが肺に転移したことを公表。「ステージ4」の宣告を受けたといい、抗がん剤治療を始めていました。
その後、左の腎臓の全摘手術を受けていたことも明かした小倉さん。
2024年11月8日に行われた『小倉ベース』収録後、めざましmediaの取材に「いつ病気で倒れるかわからない」と話し、別居しながら“老々介護”をしてくれている妻への感謝の思いを語っていました。
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『小倉ベース』収録後のインタビュー 別居で“老々介護”妻に感謝
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年を取ったら、余生をゆっくり好きなことに時間を費やしてって思っていたんです。でも、体が弱くなって病院に通うようになって、自分の残された時間がどのぐらいなのかと考えるようになると、そっちに目が向かなくなるっていうことがある。
だからね、「年を取ってからこれをやりましょう」って思ってる人は、絶対に年を取る前にやったほうがいい。お金も老後のためにっていうよりも、若い時や使える時に使った方が僕はいいと思う。残すなんていうことは考えないで、若いうちに遊ばないと。年を取ると、僕みたいに目は見えづらくなってくるし、耳は聞こえにくくなってくるし。もう眼鏡の度数なんか毎月のようにどんどん変わるんだから(笑)。
最後まで自分の好きなものに囲まれて生きていけるようにと、カミさんの協力もあってこういう家を建てたけれど、結局カミさんが住むスペースがなくなっちゃって。ここに住んでいたカミさんの母親と一緒に実家のほうに戻って、母親と僕の老々介護を2ヵ所でやってくれているんです。
「ありがたいな」って思うから、なるべく家のことは自分でやろうと思ってさ。でも、頑張っちゃうとやっぱり体がきついから、家のことをやって疲れたら椅子に座ってドラマを見たり、音楽を聴いたりする時間にあてていて、その他のことまでする余裕がないんですよね。
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でも、これまた「病院の日」ってのが多いわけ。ちょっと遠い病院に通っているから、通院日は朝6時に起きる。それが月に7、8回で、近所のホームドクターのところにも週に1回ぐらい行く。だから、仕事のスケジュールを入れるほうも大変ですよ。病院って書いてあるところを避けて入れないといけない。それに、歩くのも疲れちゃって大変だから、仕事は座ってやれるラジオや講演になる。
いまだにラジオはレギュラーでやってほしいとか、週に1回でもやってほしいと言っていただけてありがたいけれども、いつ病気で倒れるかわからないから。ちょっと今はもうレギュラー仕事の保証はできないよね。
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そういう意味では、77歳でもまだまだやれるとは思うんですよ。しかし、物忘れがひどくなった!1日に2回ぐらい、「あれ?何だっけ?」っていうことがある。
――2回で済んでいるところがすごいと思います。
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「小倉さんでも忘れるようになっちゃうのか」と言われてますよ。この前、もう最悪だと思ったのはね、カミさんと一緒に病院に行って待合室で“ある人の名前”を思い出せなくなっちゃって、さすがに大きな声で聞けないから、カミさんに小声で「ねえねえ、あのメジャーで活躍してる彼、名前なんつったっけ?」って。そしたらカミさんが、「大谷翔平選手のこと?あなたそんなことも忘れちゃったの!?」ってびっくりしてた(笑)。
でもさ、突然忘れちゃうんだよな。「いいな」と思う俳優さんを見つけると、すぐその人の作品を探して見ているのに、その俳優さんの名前を忘れるんだよね。大好きな小芝風花さんの名前も出てこなくなっちゃう時がある。
――他に、注目されている俳優はいらっしゃいますか?
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最近は、出口夏希さんと河合優実さん。この2人はいいね、今すごく好きなの。でも名前を忘れるんだよ(笑)。同世代の人と話してると、「あれ!ほら!あれの!」「わかった、あれだろ、あれ!」みたいな会話になって、もうほとんど落語みたいになっちゃう。でも、こういう話をしたほうがラジオなんかではウケるんだよね(笑)。
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⇒また著名な方が亡くなってしまいましたね・・元気のよい姿が目に浮かびます・・ご冥福をお祈りいたします★
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