場所は 世界有数の大都市メキシコシティの北東約50km。
紀元前2世紀から6世紀まで存在したとされる巨大な宗教都市遺跡です。
都市の面積は約20万kuにも及びます。
最盛期には、10万から20万人以上が生活を営んでいたとされ、
下水網も完備されていた形跡があります。
当時のアメリカ大陸では最大規模のものとされています。
同時代のヨーロッパと比較しても、
コンスタンチノープル以外には人口2万人以上に達する都市が見られないことから、
この都市がいかに壮大なものであったかが伺えます。
歴史における都市の発展とは、
何世紀にもわたる長い年月をかけて、次第に整備されていくのが普通です。
中にはモンテ・アルバンのように千年を越す長期間にわたって完成されているものもあります。
ところが、テオティワカンでは、当初に設計された計画に従い、
まず中央をほぼ南北に貫く大通りが建設され、
その左右にあたかも碁盤の目状に、神殿などのピラミッドの建造物が次々と建設され、
わずか百数十年の期間に20万kuにも及ぶ壮大な都市が完成しています。
また、この都市には王や貴族、神官の他に農民、商人,工人などの一般の人々が
ともに住んでいたことが明らかになっており、他の都市との明確な違いを見せています。
文字らしき絵文字模様も幾つか発見されていますが、
その数は非常に少なく解明にはほど遠い状況とのことです。
このため、テオティワカン人がいかなる種族の人々であったのか、
また繁栄を極めた都市がなぜ8世紀頃に突然放棄され、
彼らはどこへ消えてしまったのか。。。
など この遺跡には未解明の謎が数多く残されたままとなっています。
ホントは、一回でまとめたかったんですが、どーやっても無理でした。
あまりに割愛した文章では、私の性格上面白くないもので、
このメキシコ「ティオティワカン」については、数回に分けて書いてみようと思っております。
整然と存在する建造物の位置・向きなどについても、
極めて高度な技術と学識があったものと推察されています。
また 現在の建築技術をもってしても、
建造方法が不明とされているものがあり、興味をそそられます。
次回、このカテゴリ「悠久の太古」を書く際には、これらの謎を扱ってみたいと思います。