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2019年11月05日

THE FOURTH STORY 真と梨央 <7 約束>

約束

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退院してからは、本当に梨央の話し相手以外のことはできなくなっていた。少し動くと息切れがする。
風呂は梨央と一緒に入るが浴槽に入れてもらえない。梨央が丁寧に洗ってくれる。浴槽に入りたいと駄々をこねると怖い顔をして「ダメ!」という。

梨央は自分も浴槽には入らない。「梨央は入ればいい。俺は梨央の入浴姿を楽しむよ。」と多少卑猥な言い方で進めてみるが、「お婆ちゃんなんだもの見られるなんて嫌よ。」と答えた。「ごめんな。」というと「あら、可愛い!」という。老齢になってこんなに濃密な時間が過ごせるとは思ってもみなかった。

そして2回目の発作が起きた。気絶はしなかった。救急車で運ばれたが手術室にはいかず、個室で機械につながれて過ごすようだ。義母の姿を思い浮かべてなんとなく自分の答えも見えた気がした。

「梨央、そろそろ俺も休憩してもいいかな?」と聞くと、「ダメよ、誰が梨央婆ちゃんのお守りをするのよ。あなた結婚してから去年までずっと働いてたのよ。梨央婆ちゃんはいつだって寂しかったのよ。もっといっぱい話すことがあるのよ。私の愚痴を全部聞かなきゃダメよ。」という。それでも、息切れとけだるさが交互にやってきて、とても疲れる。寝ているだけでこのありさまだ。

ある夜、梨央は大胆にも俺が寝ているベッドにもぐりこんできた。普段穏やかで、どちらかと言えばおとなしい梨央にもぐりこんでこられて俺は舞い上がった。

「これはこれは、びっくりしちゃうじゃないか。ホントならしっかり抱きしめて喜ばしてあげなきゃいけないんだけど、もうその体力はないなあ。」というと、「あなた、あなた、私言ったはずでしょ。離れたら生きていけないって。ねえ、迎えに来て。どこにいればいい?ねえ、私どこにいればあなたと一緒に逝ける?」

梨央はあの日と同じように俺の背中に顔をうずめたまま聞いた。そうだった。真は梨央のたった一人の男だった。梨央を連れて逝っても誰にも叱られることは無いだろう。

「そうだなあ、場所は家のベッドだ。梨央、来たくなったらウィスキーを飲めばいい。俺のあのタンブラーにウィスキーを注いで、結婚指輪をはめた手でタンブラーをコン、コンってたたくんだよ。そしたら一番おいしい飲み方をさせてあげるよ。」

「素敵ね。了解!絶対聞き逃しちゃダメよ。」

「いつも一緒にいるから絶対聞き逃さない。寂しくないよ 梨央。あっ、そうだ聞き忘れたことがあるんだよ。俺、ハワイで梨央に魔法の言葉を言ったんだろ?梨央はその言葉で俺を好きになっちゃったんだろ?俺、何を言ったの?」

「あのね、あなた、ごめんなって言ったの。割と何度も行ったの。その言葉にとろけっちゃったわよ。」

「え〜、そんな言葉がそんなに好きだったのか?」

「そう、あなた、気持ちを込めるときには「ごめんな」って可愛い顔でいうの。」

「俺、可愛い?」

「そうあなたは、何だか可愛いのよ。普段はちょっと冷たい感じなのに、ときどき、とっても可愛いの。とってもセクシーだわ。」といってうしろから強くだきしめてきた。この感じ、あの時と似てる、気持ちよくて頭が真っ白になるよ。思わず、梨央、梨央と名前を呼んだ。

梨央がベッドから降りて、しばらくして看護師が「お変わりありませんか?」といいながら様子を見に来た。まさか妻がいままで一緒に寝ていたとは夢にも思わないだろう。

真也や由梨の声が聞こえる。梨央は、いつかのように俺の手の甲を自分の瞼に宛てた。手の甲に梨央の涙がにじんでいるのが分かる。梨央、大丈夫、俺が迎えに行くって約束したら必ず迎えに行くんだよ。わかってるだろ?


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2019年11月04日

家族の木 THE FOURTH STORY 真と梨央 <74 発作>

発作
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娘の由梨はバレーだダンスだと騒いだ割には勉強好きだった。特に語学に堪能で英国に1年留学した。やっと帰ってきたと思ったら商社に就職してシンガポールに赴任している。親を寂しがらせる娘だった。

親としてはそんなに大活躍しなくても、日本にも語学を生かせる仕事はあるだろうにと思うのだが、本人はとにかくキャリアがキャリアがとうるさい。まあ、安全な場所で機嫌よく働けるならどこでもいいとあきらめるしかなかった。

昼間は真也の家族の出入りがあって騒がしい。それでも孫たちが大きくなるにつれて、俺たちは二人の時間が増えた。夜は静かなものだった。梨央の関心は俺の健康状態に移ってきた。

相変わらず横並びで食事をするのだが、「お醤油かけすぎよ。お酢にして。」「脂身は外した方がいいのよ。」とうるさい。基本こういうことで梨央に逆らうことは無かった。ただ、梨央が席を立ったスキに醤油をたっぷりかけたり、脂身にかぶりついたりした。

ある朝、とても気分が悪い。どう気分が悪いと聞かれると、言葉で言い表せないように気分が悪い。と思っていたら突然胸が苦しくなった。それからは何も覚えていない。気づいたときにはベッドに寝ていた。

梨央が顔のマッサージをしている。「あなた乾燥肌だからすぐ荒れるのよ。」といいながら、手のひらで俺の顔をゆっくりさすっている。俺は何か言いたいが何も言えない。唇がかすかに動くだけで言葉にならない。

梨央が「はっ、あなた、あなた、ああ、あなた、あなた」と何度も呼ぶのだが他のことばが出ない。「あの、あの、今動きました。動いたんです。唇が少し。」と大声を出した。

それから、徐々に意識がはっきりしてきた、と同時にものすごく嫌な感じがした。何も動かなかった。
それなのに梨央は「よかった。よかった。」と何度も言った。看護師も、「これで一安心ですよ。今晩ゆっくりしたら、病室へ移りましょう。」といった。聞こえているのに、何もわからない。何が起きたのかわからない。梨央がいなかったら不安で叫びだしていたかもしれなかった。しかも体中が痛かった。

個室に移ってから、梨央に説明されて状況が呑み込めた。発作を起こしてそのまま手術を受けていた。心筋梗塞だ。梨央は毎日朝から夕方まで病院に居た。ここでも看護師に「奥様、私たちが要るからだ丈夫ですよ。奥さまも少しゆっくりなさらないと。」といわれた。「そうですね。」といった梨央は俺のベッドにうつぶせになってうたた寝をした。

手術の傷が治ってくるとリハビリが始まった。これがけっこうな苦痛だった。二か月半寝ていた体にとっては、ただ歩くだけのことが大仕事だった。だが、このころから入院生活にリズムが付いて気持ちが楽になった。梨央に「退院したら正式に退職してね。ずっと家に居てね。」と頼まれた。

「梨央、病気の年寄りが一日家に居たら大変だろう。」というと「甘やかさないわよ。退院したら庭の手入れ、掃除、色々することはあるのよ。料理は許してあげる。その代り梨央婆ちゃんのお守りをしてもらいます。やっと、独占できるんだから、いっぱい話し相手してもらうわよ。」と楽しそうに言う。

しかし、俺は知っていた。もう一度発作がおきたらもうダメだろう。梨央は医者にくぎを刺されているはずだ。

続く

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2019年11月03日

家族の木 THE FOURTH STORY 真と梨央 <74 嫁の事情>

嫁の事情

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嫁が梨沙ちゃんにひどく叱られた夜、真也がうちに来た。「ママ、ごめん。疲れてるんだよね。ホントに世話になって申し訳ない。あいつ、ホントに反省してるんだよ。だけど、仕事セーブするわけにいかないんだよ。あいつ、親に仕送りしてるんだ。」真也は嫁の立場を初めて話した。

とにかく、式もなければ親との顔合わせもなかったので、話は聞いているがよく知らないというのが現実だった。

「あいつのお父さんあいつが11歳の時に亡くなったって知ってるだろ?言わなかったんだけど自死なんだ。事業に失敗して大きな借金残して亡くなってる。

だから、そのあとは小さな借家で暮らしてたんだ。それでお義母さんが再婚して妹が生まれたんだ。あいつ高校も奨学金で出たんだ。大学も大学院も奨学金なんだ。それを返してるんだよ。そこへお義母さんが病気になったんだけど、妹、まだ学生なんだ。新しいお義父さんて人があいつに仕送りしろって言うんだ。親でもないのに育ててやったって。それで、奨学金と家の仕送り、必死で稼いでるんだ。」真也から事情を聴いてびっくりした。

「どうしてそれを言わないの。あなた、うちで何とか協力できないの?」梨央のお人よしな性格はすぐに反応した。

「いや、あいつ隠したいんだよ、自分の家の事情。恥だと思ってるんだ。ママはあいつから見たら、凄い上品でちゃんとした人なんだよ。どうしても、自分の母親と比べちゃうんだ。だから、あいつママの前で虚勢張るんだ。ごめん、ママに負担ばっかりかけて。」真也は自分の家庭のことで初めて梨央に頭をさげた。

「いいわよ、ひっくり返ったのはママの不注意なのよ。もう年なんだから。今は真司がうちへ来てくれるんだから楽なもんよ。ねえ、あなた。」

「そりゃ、解決しなきぃかん問題じゃないか。いつまで、そんな無理させとくんだ。もし、佐知子さんんが病気でもしたらどうするんだ?真司はまだ小学生だぞ。」梨央も俺も事情を聴いて驚くと同時にとてもイライラした。

「でも俺もわかんないんだよ。あいつは内緒にしたがるし、あいつの実家の先は見えないし。お義母さん年金とかなんもないらしいんだ。お義父さんていう人が好きになれなくてさ。なんか佐知子をいじめてたみたいなんだ。」

「一度佐知子さんとうちに来い。きちんと話し合おう。真司は大きくなって手がかからなくなった。それに、真司が来てくれると俺達は楽しいからそれはいいんだ。うちの中は梨央の努力でうまく回ってる。でも佐知子さんだって、いつまでもそんなことしてられんだろう。解決方法を話し合おう。」

その週の金曜日に真司夫婦がやってきた。その前には梨央とある程度の話はしていた。

「お母様のことはうちの榊島の施設でお預かりできる。もちろん、無料というわけにはいかないがそこはうちの方でも援助できる。お義父さんは普通に収入のある人だろう?妹さんと二人なら問題なく食べていけるんじゃないのかね。」と話すと嫁はひどく泣いて「そんなわけにはいかない。人様にそんなにご迷惑をかけるわけにはいかない。」といった。

俺は自分の若いころを思い出していた。いつも肩ひじ張って誰にも頭をさげずに生きていた。この若い女もそうだろう。家族の中で孤独をかみしめてひとり肩ひじを張っているのだ。

こんな時梨央は不思議だった。「めっ、パパにもっと甘えなくちゃ。パパは、甘えられるとなんでもしてしまう甘ちゃんなのよ。甘えられて伸びるタイプなの。意地張っちゃダメ!」と嫁を抱きしめてしまった。梨央の胸に顔をうずめたら誰だってプライドが消える。

「そうなんだ、私、甘えられると伸びるタイプなんだ。それにね、佐知子さんには健康でいてもらわなくちゃ。爺さんと婆さんの面倒見てもらわんといかん。」と説得した。

嫁はそれでもうんと言わなかった。何かほかの事情があるのかと真也が問い詰めた。「実は父には愛人がいて、そっちにも子供がいます。だから妹の学資の出所がないんです。でも、ちゃんと学校卒業して働いて収入を得られるようにしてやらなくちゃ、母みたいに男の人に頼って裏切られて働いて体壊して、そんな人生歩ませたくないんです。」と泣いた。頑固な意地っぱりがゆっくりほどけてきた。

「じゃあ、学資は佐知子さん頑張りなさい。うちは今まで通り家事協力するわよ。だってこっちは終わりのある話だもん。真也協力しなさいよ。」という梨央のことばで話が決まった。

俺はそれでも納得がいかなかった。その父親という男は何なんだ。妹は、またもう一つの家庭の犠牲になるんじゃないのか?姉がしてくれたことを自分も自分の兄弟にするんじゃないのか?それが気になっていた。



続く


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2019年11月02日

家族の木 THE FOURTH STORY 真と梨央 <73 高学歴嫁>

高学歴嫁

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真也は会計学を専攻して大学院まで進んでそのまま監査法人に就職した。そして就職したと同時に父親になった。相手も会計士だ。結婚式も披露宴もなし。手間いらずなのか雑なのかとにかく、あっさりと夫になり親になってしまった。

梨央は最初は寂しがったが孫ができてみると共働き家庭に協力して忙しそうだった。真也夫婦はうちから車で20分ぐらいのT・コーポレーションのマンションに住んでいた。嫁さんは頭がよさそうで梨央は押されっぱなしだった。立派な学歴と資格を持った嫁さんは、社会経験一切なし、女子大を卒業しただけの梨央を軽く見ることもあった。

しかし、梨央は4代続いた不動産会社のオーナーの娘だ。見た目よりもずっと商売の話や不動産関係の話に詳しい。それに頭も悪い方ではなかった。がそれが表面に出ないタイプで「自分だけでは何もできない」と自分で思い込んでいた。

一生懸命家事協力をして、嫁さんに軽くあしらわれる梨央を見ているとかわいそうになった。「もう手伝わなくてもいい。」と何度か言ったが「手伝ってやらなきゃ、あの家は家庭崩壊よ。しわ寄せを食うのは子供なのよ。」と言って黙々と家事をこなした。

「真也は梨央の味方になってやらないのか。」と腹が立った。時々、嫁さんに直接文句を言いそうになったが梨央が止めた。「さっちゃんも今は必死なのよ。余裕がないから言葉がきついの。今は夫婦仲よく。それが一番なのよ。夫婦仲が悪いと子供がかわいそうなのよ。」と言われて、自分のことに思い当たった。

俺はいい年をしてまだ会社に出ていた。「梨央、俺の世話は手抜きで行け。夕飯なんて作らなくても何とでもなる。」と言っては待ち合わせをして外食をした。掃除機もかけたし風呂掃除もした。会社では会長として結構厳しいことも言った。それが家ではズボンのすそをまくって風呂掃除だ。これはこれで楽しかった。

そんな日々の中で梨央がけがをした。どうしたはずみか家の玄関前で転んでしまった。梨央は運動神経がよくて転ぶということがない。それが玄関前のステップにつまずいてそのまま膝小僧を打ち付けていた。ちょうど俺が帰ってきたタイミングだった。まるで小学生のように膝小僧を血まみれにして、荷物を玄関前にばらまいて涙ぐんでいた。

玄関前のステップは家を建てた当時からのもので、もう40年ぐらい前からあるものだ。なんで今頃つまずくのかわからなかった。真也に梨央がけがをしたので、しばらくそちらの家には行けないと連絡した。それを聞いてすっ飛んできたのは嫁さんだった。

「ごめんなさい。玄関前って昔から同じですよね。つまづいて転ぶなんて、きっとお疲れだったんですよね。いつも甘えっぱなしでホントにごめんなさい。」と責めてもいないのに平謝りだった。「おや、わかってたのか?」と意外に思った。

「さっちゃんお仕事大丈夫?」梨央は嫁の仕事を心配した。「ええ、大丈夫です。とりあえずは後輩に全部頼んできました。それよりお義母さん、骨折とかされてません?年を取ると骨がもろくなってるそうですよ。」と余計な一言もついてきた。

嫁さんは、その日から2日間休暇を取った。真也は鬼の霍乱だといって驚いていた。「佐知子に限って、計画外休暇をとるなんてことは無い。」と思っていたらしい。しかし、「うちはお義母さんなしでは回らない。」と言って急きょ休みをとった。事実、その二日間を過ぎると今度は真也が休暇を取った。

それを契機にして真也がT・コーポレーションに入社することになった。俺は「親の会社だから休みやすいと思われても困る。」ときつく釘を刺した。「近いだけでも大きなメリット」と言って転職してきた。もちろん、一営業員としての採用だ。

それよりも何よりも驚いたのは佐知子という嫁だ。「お義母さんに申し訳ない。お義母さんに楽してもらわなきゃ。」というので、自分の仕事をセーブするのかと思ったのだが、何のことは無い、近所に引っ越してきてしまった。孫は、まるで我が家の子供のように学校からうちへ帰ってきた。夕方自分の家に帰るときには、梨央が作った家族分の夕飯を持って帰った。

口を開けば「お義母さんのおかげで我が家は回っています。」という。ある日梨沙ちゃんの前で「お義母さんに、うちの状態を理解していただけてうれしい。本当に快く家事を引き受けていただけている。」と話して大目玉を食った。

「理解なんてしてないわよ。何勘違いしてるの。やらなきゃ真司がかわいそうだからしてるんじゃないの。都合のいいことぼんやり思いこんでるんじゃないの!」と一喝された。梨央がいない席で起きた大事故だった。

梨沙ちゃんは現役の社長業をこなすビジネスウーマンだ。さすがの高学歴嫁も歯が立たなかったようだ。梨央と嫁の間を壊すまいとした梨沙ちゃんの心遣いだ。それからというもの。嫁は梨央になにかとプレゼントをするようになった。

続く

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2019年11月01日

家族の木 THE FOURTH STORY 真と梨央 <72 休憩>

休憩

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食事は近所の蕎麦屋からの出前を取った。皆食欲がなかった。義父が皆を前にして、ぽつんと「延命は止めてやってくれないか?」と言った。皆「えっ」と驚いた顔をした。「でも、多少不自由なところが出てきても私達が頑張るから、大丈夫だから」と梨央は老いた父を励ました。

「梨央、ありがとう。でも、ママはあの通りの美貌だろ?子供の時からキレイだキレイだといわれてきたんだ。あのままキレイに逝かせてやりたいんだ。僕の身の回りを清潔に、おしゃれな服を買い揃えてきたのも全部ママだ。ママがパパをきれいにしてきたのは、そういう暮らしが好きだからなんだ。パパにはママをきれいに暮らせるようにしてやる力はないんだよ。

それにね僕の脚が不自由になった時みんなが助けてくれて、余り不便を感じずに暮らしてきた。それでも、時々とても辛くなった。忙しい日々から突然何もすることがなくなるんだ。皆が僕の顔を立てていろんな相談事を持ってきてくれるんだが、現実は僕の助言なんてなくても立派にやっていける。そういうことを考えると辛くなることがあったんだ。ママはパパの面倒を見られなくなった自分に絶望するんじゃないかと思うんだ。」

「お義父さん、それは違いますよ。どうしても不安な時にお義父さんに話して意見を聞くと自信が持てた。助言が聞きたいから相談してました。」おれは結構大きな声で言ってしまった。

「ありがとう、真。君が梨央の夫でよかったよ。でも、僕も絵梨ももういい年だ。ここらで休憩してもいいと思うんだよ。」みんな義父に返す言葉を知らなかった。

俺は義父は死にたがっていると感じた。いいんじゃないかと思った。要するに長年一緒に暮らした妻ときれいに終わりたいんだ。そういう気持ちをわかる年になっていた。

3日後、義母は集中治療室から出て個室のベッドで眠っていた。皆意外に早かったと喜んだ。意識を取り戻したがしゃべれる状態ではなかった。ただ涙を浮かべてこちらを見るだけだった。義父が手を取ると握り返した。ああ、愛し合っているんだと思った。

義父が指で涙をぬぐうと少し微笑んだような気がした。それが義母の意識のある最後の姿だった。その夜静かに息を引き取った。延命するもしないもなかった。

無事に葬儀や法要を済ませたころから義父に認知症の症状が出始めた。よく、「絵梨、絵梨靴下はどこかな?」とか、「お茶にしてほしいな」と言っている。梨央や梨沙ちゃんが行くと、「おや今日も来てるのか?真を放っておいていいのか?」とか「詩音も呼んでおいで」といって、また絵梨、絵梨と呼ぶ。

梨央は、「パパは受け入れてないのよ。ママがいないことを。だから寂しくないのよ。いると思ってるんだもの。」と言って涙ぐんだ。俺はできたら早く義父を義母のそばに行けるようにしてやりたかった。義母は義父より4歳上の姉さん女房だ。「早くいらっしゃい」と呼んでいるのかもしれなかった。

義父の家は義父の脚が悪くなってから1階に寝室を増築していた。しかし、その日は2階の寝室に眠っていた。

梨央が夕食を作っている30分ぐらいの間だった。上機嫌で「いつも悪いね。僕は幸せ者だよ。詩音君も真も理解があっていい男だ。梨央がこんなに僕の面倒を見てくれるのもあの男たちのおかげだね。」と言ってちょっと横になるといって寝室に行った。

一階の寝室にいると思ったら二階の寝室で眠っていたらしい。一人で二階に上がるのは大変だっただろうに。それでも、義母と過ごしたその部屋を選んで義父は生涯を閉じた。穏やかな死に方だった。義母と同じ、脳卒中だった。計算したのではないかと思うぐらい静かで自然な最期だった。


続く


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