2017年04月09日
執着を捨て、与えられた環境に感謝・満足して過ごす
若いころの私は
頑張れば、報われると思っていました。
頑張れば物事の流れを変えられるつもりでいました。
そして、
自分の心身は自分の物で、どう扱っても良いと思っていました。
年齢を重ねるにつれ、
それは違う様だ・・・と感じることが増えてきていました。
どう見ても
人のため、自分の身体のため、心のためになることをやっているつもりなのに、
うまくいかない、ちょっとツライ・・・
そんなつもりではなかったのに・・・
そんな中で、
来たものを受け入れ、持っていたものを手放した方が
長い目で見て良い結果につながっていくことが
多い様に思えてきたのです。
どうして?と思っていたところ・・・
ヨガ哲学を学び、ヨガ・スートラの
「無知と、そこから生まれるエゴ・溺愛・憎悪・生への執着を減らすことの必要性」や
「八支則(ヨガの八つの段階)の中の、すべきではないこと(ヤマ)、すべきこと(ニヤマ)」
について聞いた時、ああ、これだったんだとカチッとはまった気がしました。
それは、行動、思考などさまざまなレベルで
怒りや暴力に訴えず、人の物を奪わず、足るを知り、執着しない。
どうすることもできないことは受け入れ、身を委ねる。
今ここに置かれている状況は必ず先に何か原因があり、必然である。ということ。
全ては大河の流れの様なものなのかもしれません。
今、日々の暮らしにちょっと大きめの変化が起きようとしています。
ここ数年で一番かもしれません。
するべきことをした上で、流れを受け入れ、身を委ねてみようと思っています。
頑張れば、報われると思っていました。
頑張れば物事の流れを変えられるつもりでいました。
そして、
自分の心身は自分の物で、どう扱っても良いと思っていました。
年齢を重ねるにつれ、
それは違う様だ・・・と感じることが増えてきていました。
どう見ても
人のため、自分の身体のため、心のためになることをやっているつもりなのに、
うまくいかない、ちょっとツライ・・・
そんなつもりではなかったのに・・・
そんな中で、
来たものを受け入れ、持っていたものを手放した方が
長い目で見て良い結果につながっていくことが
多い様に思えてきたのです。
どうして?と思っていたところ・・・
ヨガ哲学を学び、ヨガ・スートラの
「無知と、そこから生まれるエゴ・溺愛・憎悪・生への執着を減らすことの必要性」や
「八支則(ヨガの八つの段階)の中の、すべきではないこと(ヤマ)、すべきこと(ニヤマ)」
について聞いた時、ああ、これだったんだとカチッとはまった気がしました。
それは、行動、思考などさまざまなレベルで
怒りや暴力に訴えず、人の物を奪わず、足るを知り、執着しない。
どうすることもできないことは受け入れ、身を委ねる。
今ここに置かれている状況は必ず先に何か原因があり、必然である。ということ。
全ては大河の流れの様なものなのかもしれません。
今、日々の暮らしにちょっと大きめの変化が起きようとしています。
ここ数年で一番かもしれません。
するべきことをした上で、流れを受け入れ、身を委ねてみようと思っています。
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