2010年08月24日
Koozy写真詞集展”Heart” 〜もう1つの”Heart”のストーリー〜(第1話)
今回のお話は、ちょっと変わったお話です。私が3月に行った個展にまつわる
エピソードですが、本当は個展開催前後にしようと思っていた話でもあります。
しかし、話の内容の関係上、この話を皆さまに公開すべきか、自分の胸の中で
留めておくべきかずっと迷っていて、公開をこれまで見送っていました。
ただ、私なりに色々と考えた末、話してもいいかなと思い、個展から5ヶ月
経っていますが、今回公開する事にしました
今日から3日間、3話に分けて、1話ずつ公開していきます。
私の写真詞集展 "Heart" は、2010年3月20〜24日の5日間、東京・池袋にある
「ORANGE GALLARY(オレンジギャラリー)」にて、開催されました。
写真と作詞を合わせた私の作品のスタイルは、多くの方々にとって、なかなか
目にしないモノでしょうし、私にとって初の個展でもあったため、観て
いただいた方にどのくらい受け入れられるか、全く未知数の部分がありました。
しかしフタを開けてみると、150名近くの方にご来場いただき、私の想像を
遥かにしのぐ、素晴らしい感想や反応をいただく事ができました
特に作品を観て、涙を流される方を目の当たりにした時や、
「本当に今日ここに来て良かった」
などと言ったご意見をいただいた時、私自身も同じく胸に
こみ上げてくるものがありました
また、私の多くの友人たちに色々とお手伝いやサポートをしていただき、
この個展は多くの人々の深い愛情とご厚意と共に、作られたものでも
ありました
しかし、そんなこの個展も、最初からすんなりと開催ができた訳では
ありません。
実はこの写真詞集展"Heart"は、今から7年前になりますが、当初2003年
に開催計画がありました。
当時私は駆け出しのフォトグラファーでしたが、色々と苦労の末、いくつか
自分の仕事を抱える事ができ、何とかフォトグラファーとして食べていけそうな
状態にまでなれました
「そろそろ個展もやろうかな」とも考えていました。
・・・しかしそんな矢先、私は、生命にも関わりかねない大きな交通事故
(バイク事故)に遭い、大怪我を負う事となります
特に左腕に負った怪我は重く、若干麻痺のような症状もあり、1年近く満足に
動かせず、治るまでに数年を要しました。
怪我からしばらくの間は、当然カメラを持つ事もできない状態でした。
駆け出しの立場の人間にとって、それは競争と入れ替わりの激しいフォト
グラファーの世界では「死」を意味するようなものです
結局この怪我は、私からフォトグラファーとしての仕事を奪い、私をフォト
グラファーとしての職から退かせる事となりました。
「もうカメラを持つ事もないだろう」
当時、私は心身共に最悪の状態で、写真の世界とも一旦は完全に決別しました。
そしていつしか写真詞集展の開催も、幻のものとなってしまいます。
その後、私は別のいくつかの世界で紆余曲折しながら生きる事となります。
しかし運命とは不思議な物で、この交通事故から6年後の2009年、1つの
巡り合わせが待っていました。
<第2話に続く>
https://fanblogs.jp/koozy54/archive/252/0
エピソードですが、本当は個展開催前後にしようと思っていた話でもあります。
しかし、話の内容の関係上、この話を皆さまに公開すべきか、自分の胸の中で
留めておくべきかずっと迷っていて、公開をこれまで見送っていました。
ただ、私なりに色々と考えた末、話してもいいかなと思い、個展から5ヶ月
経っていますが、今回公開する事にしました
今日から3日間、3話に分けて、1話ずつ公開していきます。
私の写真詞集展 "Heart" は、2010年3月20〜24日の5日間、東京・池袋にある
「ORANGE GALLARY(オレンジギャラリー)」にて、開催されました。
写真と作詞を合わせた私の作品のスタイルは、多くの方々にとって、なかなか
目にしないモノでしょうし、私にとって初の個展でもあったため、観て
いただいた方にどのくらい受け入れられるか、全く未知数の部分がありました。
しかしフタを開けてみると、150名近くの方にご来場いただき、私の想像を
遥かにしのぐ、素晴らしい感想や反応をいただく事ができました
特に作品を観て、涙を流される方を目の当たりにした時や、
「本当に今日ここに来て良かった」
などと言ったご意見をいただいた時、私自身も同じく胸に
こみ上げてくるものがありました
また、私の多くの友人たちに色々とお手伝いやサポートをしていただき、
この個展は多くの人々の深い愛情とご厚意と共に、作られたものでも
ありました
しかし、そんなこの個展も、最初からすんなりと開催ができた訳では
ありません。
実はこの写真詞集展"Heart"は、今から7年前になりますが、当初2003年
に開催計画がありました。
当時私は駆け出しのフォトグラファーでしたが、色々と苦労の末、いくつか
自分の仕事を抱える事ができ、何とかフォトグラファーとして食べていけそうな
状態にまでなれました
「そろそろ個展もやろうかな」とも考えていました。
・・・しかしそんな矢先、私は、生命にも関わりかねない大きな交通事故
(バイク事故)に遭い、大怪我を負う事となります
特に左腕に負った怪我は重く、若干麻痺のような症状もあり、1年近く満足に
動かせず、治るまでに数年を要しました。
怪我からしばらくの間は、当然カメラを持つ事もできない状態でした。
駆け出しの立場の人間にとって、それは競争と入れ替わりの激しいフォト
グラファーの世界では「死」を意味するようなものです
結局この怪我は、私からフォトグラファーとしての仕事を奪い、私をフォト
グラファーとしての職から退かせる事となりました。
「もうカメラを持つ事もないだろう」
当時、私は心身共に最悪の状態で、写真の世界とも一旦は完全に決別しました。
そしていつしか写真詞集展の開催も、幻のものとなってしまいます。
その後、私は別のいくつかの世界で紆余曲折しながら生きる事となります。
しかし運命とは不思議な物で、この交通事故から6年後の2009年、1つの
巡り合わせが待っていました。
<第2話に続く>
https://fanblogs.jp/koozy54/archive/252/0
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image