当時、ニューヨークのウォール街に端を発した世界恐慌のあおりを受けて日本も輸出が伸びず、企業が倒産し失業者があふれるありさまだったそうな。この不況下で人々が苦しんでる時に政府は有効な対策をしない。という事で日本の軍隊の中でも一部の軍人は”政界と財界が癒着してて国民の事を考えてないのが原因だから、軍隊の力で天皇を中心に日本という国をもう一度作り直そう”と唱えた”皇道派”という派閥と、”ソ連やアメリカの外敵と対するのに政界や財界と組んで総戦力体制を整えるべきだ”という統制派という派閥に各々分かれて反目しあってた。そして2月26日に皇道派の軍人が政府中枢を襲撃したクーデター未遂事件が2.26事件。結局、昭和天皇が「反乱は許さん」と言ったことで皇道派は鎮圧された。と自分は認識している。
明治憲法の第11条に”天皇は陸海軍を統帥する"とあるが、結果的に統帥できてなかった。というか、その仕組みが機能してなかった!?というか日本の軍隊そのものが憲法発布後41年も経って日清、日露、第一次大戦と負け知らず出来てたので条文が形骸化してたのかも知れない。最初の頃は国を壊さない様に皆で気を使い仕組みの不備を補い合ってたのが、組織が大きくなると特権階級(利益を得る者)とそうでない者に分かれる。そうでない者の中から「こんなのおかしい。」と思った人が次の教義を思いつき新たな宗派となるという、旧日本軍の皇道派と統制派への分裂も宗教の宗派の分裂と似ている。結局は自分の立ち位置しか考えてない。
上に立つ人は、「皆の事チャント判ってまっせえ。こんな段取りで進めるのでちょっと待ってて。」と多数のコンセンサスを取らなければならない。さもなくば歴史に示される様に暴発する人達が出てくるかも知れない。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image