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2018年09月02日

海の巻 第8帖

せっかくΘが与えたお蔭も、今の人民では荷が重いから、途中で倒れんように、神示を杖として下されよ、息切れんようになされよ。一つでも半分でもΘの御用務めたら、務め得ざぞ、何と申してもΘほど頼りになるものはないとわからんのか、お蔭取り得。破れるは内からぞ、外からはビクとも致さんぞ。天では月の大Θ様、道開かすΘ(「ミヤカラス」との訳もあります)、出て来るぞ、始末よくして下されよ、始末よく出来れば何事も楽になって来るぞ、火の焚き方から水の汲み方までが変わるのであるぞ、大切なことであるぞ。嘘はちっとも申されんこの方ぞ。神示通りに出て来るのぢゃ、先の先の先までも見通しつかんようなことでは、こんなタンカは切れんのぢゃぞ、お蔭はその心通りに与えてあるでないか。下のΘが上のΘの名を語って来ることあるぞ、それが見分けられんようでは取り違いとなるぞ、十人位は神示が宙(そら)で言える人を作っておかねばならんぞ。
八月二十三日、一二Θ。


神が与えて下さったお蔭は、現生ご利益ではなく、成長のための試練です。苦しいことがあっても、楽と感じ、喜びと感じること、そのための心の支えがこの日月神示です。

本当の崩壊は心の中からです。外部環境からの障害にはビクともしなくなるそうです。

天では月の大神様、道を開く神が出て来られるそうです。さて、ここで「道を開く神」が「ミヤカラス」であった場合の解釈についてですが、「宮烏」は一般には「神主」のことです。普通に解釈すれば、「月の大神様とその道を開かす人物=伝道師が出て来る」ということです。

深読みすれば、「烏月=鴉月」ということで、これは「闇夜」のことを指しますから、これは逆に邪魔をしている存在ともとれます。

また、以前にも触れましたが「八咫烏=三足烏」のことかもしれません。これは須佐鳴大神の関係の深い熊野神社の神使ですから、この八咫烏のことであれば、月の大神様の先導役となります。


以上を踏まえ、次く文脈「始末よくして下されよ、始末よく出来れば何事も楽になって来るぞ」から判断すると、始末とは物事のしめくくりを付けることですから、「月の大神様が何かに導かれてお出ましになられるので、最後のしめくくりをしっかり果たされよ」ということになります。

火の焚き方から水の汲み方までが変わるというのは、火(エネルギー)と水(物質)の仕組まで変わってしまうということでしょうか。大切なことだそうです。日月神示の神は、先の先の先までも見通し、おっしゃっているそうです。

下級の神が、高級な神のお名前を騙って出て来ることもあるそうです。それが見分けられないようでは、取り違いとなるそうです。

神示をそらで言える人が十人位は必要だということですが、これだけのボリュームですから、難しいですね。まあ、それくらいになるまで繰り返し読めよということでしょう。



posted by mydears at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 海の巻
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