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2018年08月04日

青葉の巻 第2帖

玉串として自分の肉体の清い所、供え奉れよ、髪を切って息吹きて祓いて紙に包んで供え祀れよ、玉串は自分捧げるのざと申してあろうがな。お供えの始めは△(ム)とせよ、△は∇(ウ)ざぞ、誠のキ供えるのざぞ、餅(かがみ)は三つ重ねよ、天地人一体ざと申してあろうがな。御神前ばかり清めても、マコト成就せんぞ、家の中皆御神前ぞ、国中皆御神前ざぞ、わかりたか。
夜寝る前に守護神の弥栄ほめよ、至らざる自分悔いよ、修業出来た信者の守りのΘ、道場に祀れよ、万霊道場に祀れよ、役員の守りのΘは本部に祀れよ、ΘΘ様本部に祀れよ。外国とは幽界のことぞ、外国と手握るとは幽界と手握ることざぞよ。
五月十二日、ひつ九のか三。


玉串は「神の依代(よりしろ)」を表すものですから、髪の毛を依代として神に捧げることは理にかなっているような気がします(以前、タレントの方が神社に行くと髪の毛一本を抜いて捧げるとおっしゃってました。なるほどという感じです)。紙を△の形にして供えよということでしょうか。

鏡餅は三段にせよということです。天地人だそうです。鏡餅は蛇がとぐろを巻いている姿だといわれています。また、餅はユダヤ教の新年過越(すぎこし)祭のパンに符合するとの説もあります。

神前ばかり清めるのでなく、家の中、国の中も清める必要があるそうです。

夜寝る前は、守護神の弥栄を誉め、至らない自分を悔いなさいということです。

外国と手握るとは幽界と手握ることだそうです。しかし、国際社会で生きるためには、外国と手を握ることはとても大切なことです。もっとも、手を握る相手を間違えたり、手の握り方を間違えたりすれば「幽界と手握る」ことになるでしょう。下つ巻 第22帖には、「アイガギ ✓〇Θ コノカギハ イシヤト シカ テ ニギルコトゾ」ともあります。時と場合によっては、幽界と手を握ることも必要なのでしょう。



参考
下つ巻 第22帖 
原文
二三三二二 ✓〇Θ 二五五五二一二二六一 一二三二八一四五 三二三四四五二 二二九三二五四 五三五

対訳
二三三二二(月満つぞ富士)✓〇Θ二(神身魂に)五五五二一二二六一(真中奥に一つ不死結ぶ人)一二三二八(ひふみには)一四五三(始め死出ずぞ)二三四四五二(月満つ夜死後に)二二九三二五四(不死ことごとく道に出ずる世)五三五(真中道出ず)

ひふみ 
月満つぞ富士神身魂に、真中奥に一つ不死結ぶ人。ひふみには、始め死出ずぞ、月満つ夜死後に、不死ことごとく道に出ずる世。真中道出ず。

どうして「アイガギ ✓〇Θ コノカギハ イシヤト シカ テ ニギルコトゾ」となるのかは不明ですが、書籍の記載を尊重しました。


posted by mydears at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 青葉の巻
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