2018年07月27日
空の巻 第8帖
衣類、食べ物に困った時は、龍宮の乙姫様にお願い申せよ。五柱の生神様にお願い申せば、災難逃らせて下さるぞ、岩、荒、地震、風、雨、の神様なり。いろはに泣く時来るぞ、いろは四十八ぞ、四十九ぞ。神示はその時の心にとりて違わん、磨けただけにとれて違わんのであるから、我の心通りにとれるのであるから、同じ神示が同じ神示でないのざぞ。
悪の世が廻りて来た時には、悪の御用する身魂をつくりておかねば、善では動きとれんのざぞ、悪も元ただせば善であるぞ、(その働きの御用が悪であるぞ、)御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、憎むと善でなくなるぞ、天地濁りて来るぞ。世界一つに成った時は、憎むことまずサラリ捨てねばならんのぞ、この道理、肚の底からわかりて、ガッテンガッテンして下されよ。
三月の三日、ひつ九のか三。
岩、荒、地震、風、雨の五柱の生神様にお願いすれば、災難から逃れられるというのは合点がいきますが、なぜ、「衣類、食べ物に困った時は、龍宮の乙姫様」なのでしょうか。まるで、保食(うけもち)の神や豊受大神のお仕事のようです。食べ物は「魚」がありますのでまだ理解できますが、「衣類」というのはどうしてでしょう。貿易(特に海運)の神様だからでしょうか。
いろはに泣く時来るぞとは、簡単なことで困るという意味もありそうですが、「いろは四十八ぞ、四十九ぞ」ということですから、ひふみ四十七と違うぞ。つまり、仏教にあまりこだわり過ぎると神を見失うぞということのようです。
悪の世では悪の身魂で良いようです。悪も元ただせば善なのですが、その働きの御用が悪なのだそうです。悪を憎むと善でなくなるので、悪を憎んではいけないそうです。悪も「御苦労の御役」だそうです。
結局、憎むということはメグリとなって来世での仕返しとなり、また、その仕返しと延々と続いてしまうからということでしょう。しかし、現実に被害に遭われた方のご家族のご心情を察するに、「そんなに簡単に憎まないですませるということは出来ない」というのも理解できますね。
悪の世が廻りて来た時には、悪の御用する身魂をつくりておかねば、善では動きとれんのざぞ、悪も元ただせば善であるぞ、(その働きの御用が悪であるぞ、)御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、憎むと善でなくなるぞ、天地濁りて来るぞ。世界一つに成った時は、憎むことまずサラリ捨てねばならんのぞ、この道理、肚の底からわかりて、ガッテンガッテンして下されよ。
三月の三日、ひつ九のか三。
岩、荒、地震、風、雨の五柱の生神様にお願いすれば、災難から逃れられるというのは合点がいきますが、なぜ、「衣類、食べ物に困った時は、龍宮の乙姫様」なのでしょうか。まるで、保食(うけもち)の神や豊受大神のお仕事のようです。食べ物は「魚」がありますのでまだ理解できますが、「衣類」というのはどうしてでしょう。貿易(特に海運)の神様だからでしょうか。
いろはに泣く時来るぞとは、簡単なことで困るという意味もありそうですが、「いろは四十八ぞ、四十九ぞ」ということですから、ひふみ四十七と違うぞ。つまり、仏教にあまりこだわり過ぎると神を見失うぞということのようです。
悪の世では悪の身魂で良いようです。悪も元ただせば善なのですが、その働きの御用が悪なのだそうです。悪を憎むと善でなくなるので、悪を憎んではいけないそうです。悪も「御苦労の御役」だそうです。
結局、憎むということはメグリとなって来世での仕返しとなり、また、その仕返しと延々と続いてしまうからということでしょう。しかし、現実に被害に遭われた方のご家族のご心情を察するに、「そんなに簡単に憎まないですませるということは出来ない」というのも理解できますね。
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