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2018年06月25日

梅の巻 第4帖

この神示食い物にしようとて出て来る者だんだんあるなれど、皆当て外れてしまうぞ、当て外れてΘの目的成るぞ、役員殿不調法(ぶちょうほう)ないように気つけてくれよ、まつり結構、Θが預けてあるものは、預かった人民よきに取りはからえよ、大き小さいの区別ないぞ、塵一本でもΘのものざと申してあろうが、塵一本動かすに、いちいちΘの心聞いてやっているとは言わさんぞ、預けるには預けるだけの因縁あるのざぞ、預かった人民よきにせよ、奥山何処に移ってもよいと申してあろうがな、Θの道弥栄。
十月十三日、ひつ九のか三。


ちょっと、支離滅裂な文章に見えますが、その意を解いてみたいと思います。

まず、「この神示食い物にしようとて出て来る者だんだんあるなれど」⇒「皆当て外れてしまうぞ」⇒「当て外れてΘの目的成るぞ」ですが、これは「神示食い物にできない」⇒「神の目的成る」となります。要するに他の宗教のように神示を利用して利益を得たり、食い扶持を得るための手段だけにはさせないぞという意味でしょう。

次に、「神が預けてあるものは、預かった人民よきに取りはからえよ」⇒「大き小さいの区別ないぞ、塵一本でも神のものざ」⇒「塵一本動かすに、いちいち神の心聞いてやっているとは言わさんぞ」⇒「預けるには預けるだけの因縁あるのざぞ、預かった人民よきにせよ」です。これは、神示の取次が「神の心聞いて」預けたものとは言わせないぞ。神が人民に預けているのだぞ、商売にするなよということでしょう。

最後の「奥山何処に移ってもよいと申してあろうがな」というのも、これまでは「世の元の真清水湧きに湧くところ、やがて奥山遷さなならんぞ」(まつりの巻 第6帖)などのようにある程度の指定があったように思われます。「富士と鳴門の仕組」では、富士の奥山は帯那山、海の奥山は印旛沼、穢土の奥山は岡本天明氏となっています。従って、この帖の「奥山」は「岡本天明氏」その人のことと考えられます。即ち、岡本天明氏の居場所は何処でも良いけど、「世の元の真清水湧きに湧くところ」なのでしょう。岐阜へ移住し大病を患ったそうなので、この辺に理由があるのかもしれません。最終的には伊勢の至恩郷に移られたようです。


posted by mydears at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 梅の巻
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