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お節介オヤジ
サラリーマン生活で一番長い業界はコンビニ。そのコンビニで商品仕入れ、開発、マーケティングなどを務めてきましたが、コンビニ退職後は、デジタルサイネージの業界にその後は…映像関係の事は多少は知識があると思っています。
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2018年08月08日

津川雅彦さん死去 昭和の名俳優がまた逝ってしまいました。

津川雅彦さん死去。昭和の名俳優が亡くなってしまいました。年齢でいえば亡くなってしまうのは仕方がないとは思いますが…奥さんだった朝丘雪路さんがアルツハイマー型認知症が発祥してから看病をして看取ってから、後を追う様に亡くなってしまいました。ご冥福をお祈りいたします。

津川雅彦さん逝く 妻朝丘雪路さん死去から3カ月余、歯に衣着せぬ発言 実業家の顔も

スポニチアネックス 2018年8月8日配信記事より引用

映画「狂った果実」や「マルサの女」など伊丹十三監督の作品などに出演、また「寝ずの番」など監督としても活躍した俳優の津川雅彦(つがわ・まさひこ、本名加藤雅彦=かとう・まさひこ)さんが4日午後5時45分、心不全のため都内の病院で死去した。78歳。京都府出身。4月に最愛の妻、朝丘雪路さん(享年82)を見送ったばかりだった。葬儀は近親者で済ませた。喪主は女優で長女の真由子(まゆこ、本名加藤真由子=かとう・まゆこ)。

 朝丘さんが亡くなってからわずか3カ月余、津川さんが愛妻を追うように逝った。関係者によれば、最後の仕事は来年2月放送予定のドラマ。一人娘で女優の真由子(44)は、相次いで両親を失いショックを受けているという。後日、両親のお別れ会を開く予定。

 津川さんは、朝丘さんの悲報が明らかになったことを受け5月20日に会見。「彼女を残すよりはいい結果になった」と悼んだ。5年前にアルツハイマー型認知症を患った朝丘さんを、3年前から自宅に引き取り献身的な介護を続けていた。一方で、自身も昨年秋にかかった肺炎の影響で酸素吸入器のチューブを鼻につけ、自身の体調については「大丈夫じゃないね。こんな格好をして大丈夫と言ったらウソになる」と弱気な一面も見せていた。この時が公の場での最後の姿となった。

 津川さんは芸能一家に生まれ、子役として数本の映画に出演した後、石原裕次郎の弟役を探していた原作者の石原慎太郎氏に請われ、1956年の映画「狂った果実」の主役で本格デビュー。一躍、日活のスターとなった。





 朝丘さんとは73年に結婚。おしどり夫婦として知られたが、プレーボーイとしても鳴らした津川さんが97年に不倫が報じられた際には、朝丘さんが「私は空気のような存在。もっと遊んでくれればいい」と寛容な発言。夫婦の絆の深さを感じさせた。 

 兄の故長門裕之さん(享年77)とはデビュー当時から比較されていたが、津川さんが82年「マノン」でブルーリボン賞助演男優賞を受賞。長門さんがその実力を認め、その後は「八代将軍吉宗」などで共演している。映画「マルサの女」、「ミンボーの女」など故伊丹十三監督作品の常連として活躍。NHK大河ドラマ「葵 徳川三代」などで5度も徳川家康を演じるなど歴史上の人物も得意とした。


2006年には日本映画の父とされる祖父・牧野省三監督の姓を冠した「マキノ雅彦」名義で「寝ずの番」を初監督。その後も「次郎長三国志」、「旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ」を送り出した。





 政治的な発言でも知られ、歯に衣(きぬ)着せぬ論客ぶりで議論を巻き起こすこともあった。実業家としても、真由子が誕生した時に木製のおしゃぶりをドイツから取り寄せたのをきっかけに、玩具・絵本販売店「グランパパ」を設立。一時は全国展開するまでに成長したが、その後業績が悪化し6億円を超える負債を抱えた。この時も朝丘さんが返済のために東京都世田谷区の自身名義の自宅を売却して破産を免れた。


津川雅彦 墨東綺譚.jpg



津川雅彦さん78歳=俳優「マルサの女」

毎日新聞2018年8月8日 00時06分配信記事より引用
映画「マルサの女」などの俳優として知られ、監督業も手掛けた、津川雅彦(つがわ・まさひこ、本名・加藤雅彦=かとう・まさひこ)さんが4日、心不全のため死去した。78歳。葬儀は近親者で営んだ。後日、お別れの会を開く予定。
京都市出身。「日本映画の祖」とされる映画監督の牧野省三を祖父に持ち、俳優の父沢村国太郎、母マキノ智子、兄長門裕之をはじめ、芸能関係者のそろう「マキノ一族」に生まれ育った。父主宰の劇団で子役として活動、映画にも出演した。





 1956年、「狂った果実」(中平康監督)に、主演の石原裕次郎の推薦で石原の弟役として本格デビュー、たちまち二枚目スターとなった。役柄を広げようと日活から松竹に移籍、大島渚監督の「日本の夜と霧」など意欲作に出演したものの精彩を欠き、フリーに転じる。テレビや舞台にも進出して進路を模索したが、テレビ時代劇「必殺シリーズ」での悪役が転機となった。独特の風貌も相まって、ふてぶてしい憎まれ役として復活する。







40代になってからは、アクの強い役柄で印象づけた。84年に「お葬式」に出演して以降、伊丹十三監督映画の常連となり、87年の「マルサの女」で、毎日映画コンクール男優主演賞などを受賞。テレビでも2000年のNHK大河ドラマ「葵 徳川三代」で家康を演じるなど、数多く出演した。監督にも進出し、マキノ雅彦名義で、06年の「寝ずの番」など3作を撮った。





 73年に女優、朝丘雪路さんと結婚。翌年長女が誘拐される事件に遭い、78年に玩具販売会社「グランパパ」を設立。英国の古城を日本に移築しようとしたり、サンタクロースのテーマパークを構想したりと、子供の環境に関心を持ち続けた。一方で、テレビの討論番組でリベラルとされる文化人やマスコミを批判したり、靖国神社参拝推進の運動に関わったりと、保守的な言論でも知られた。

 06年に紫綬褒章、14年に旭日小綬章。長女真由子さんも女優。




津川雅彦さんの様な俳優さんはもう出てこないでしょうね。いるだけで存在感の大きい俳優さんはいるとは思いますが色気を感じる俳優さんはなかなかいませんよね。津川さんのご冥福をお祈りいたします。

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