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2016年03月05日
第2回 日清戦争
文●ツルシカズヒコ
野枝が生まれた一八九五(明治二十八)年、辻潤は十一歳である。
ネットサイト「辻潤のひびき」の「辻潤年譜」と『辻潤全集 別巻』(五月書房)の「辻潤年譜」によれば、辻は一八八四(明治十七)年十月四日、東京市浅草区向柳原町で生まれた。
父・六次郎(〜一九一〇)と母・美津の第一子、長男である。
辻は浅草区猿尾町の育英小学校尋常科に入学したが、十一歳のころは三重県津市にいた。
野枝が生まれた一八九五年一月、辻は津市内の尋常小学校四年である。
辻一家が東京から津に移住したのは、父・六次郎が親戚筋の三重県知事を頼り三重県庁に奉職したからである。
辻一家は津には三年ほど滞在したようだが、そのころ辻は賛美歌に惹かれてキリスト教の講義所(教会)に通っていた。
やがて日清戦争というものが始まった。
国民の排外熱は恐ろしく炎え立った。
恐らく自分の中にも愛国的熱情が萌したものか、あるいはクラスメートの迫害が恐ろしくなったのか、いつの間にか私は講義所通いを中止にした。
一家が再び東京へかえったのは、たぶん明治二十七年、戦争中の間だと記憶する。
(「ふりぼらす・りてらりや」/『辻潤全集 四巻』_p271)
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、大杉栄は一八八五(明治十八)年一月十七日、父・東(あずま/一八六〇〜一九〇九)と母・豊(とよ/一八六三〜一九〇二)の第一子として香川県丸亀町で生まれた。
父・東は丸亀十二連隊の陸軍少尉であったが、大杉が生まれた年の六月ごろ近衛三連隊に転属になり、大杉一家は東京市麹町区番町に移り住んだ。
大杉は三歳のころ、東京府立麹町区富士見小学校付属幼稚室に入っている。
『日録・大杉栄伝』(p13)によれば、大杉が富士見小学校付属幼稚室で「六ケ月保育ヲ受ケタルヲ証ス」保育証書が保存されていて、一九八七(昭和六十二)年の同幼稚園創立百周年記念祭で展示されたという。
一八八九(明治二十二)年、大杉が四歳のとき、父・東が歩兵十六連隊へ異動になり、大杉一家は新潟県新発田本村(ほんそん)に移住した。
大杉の父・東は第二大隊副官(中尉)として日清戦争に出征、威海衛攻略で功を収めた。
威海衛での激戦があったのは、一八九五(明治二十八)年一月末〜二月初めであり、ちょうど野枝が生まれたころだったが、大杉はこのとき十歳、新発田本村尋常小学校四年である。
新発田本村尋常小学校は、現在の新発田市立外ヶ輪(とがわ)小学校であるが、ウィキの「著名な出身者」に大杉栄の名前はない。
大杉は父・東から母・豊に宛てた威海衛の激戦を伝える手紙について、こう記している。
或日僕は学校から帰つて来た。
そしていつもの通り『たゞ今』と云つて家にはいつた。
が、それと同時に僕はすぐハツと思つた。
母と馬丁のおかみさんと女中と……長い手紙を前にひろげて、皆んなでおろ/\泣いてゐた。
僕はきつと父に何にかの異状があつたのだと思つた。
僕は泣きさうになつて母の膝のところへ飛んで行つた。
『今お父さんからお手紙が来たの。大変な激戦でね、お父さんのお馬が四つも大砲の弾丸に当たつて死んだんですつて。』
母は僕をしつかりと抱きしめて、赤く脹れあがつた大きな目からぽろ/\涙を流して、其の手紙の内容をざつと話してくれた。
(大杉栄「自叙伝・最初の思出」・『改造』1921年9月号/大杉栄『自叙伝』_p34・改造社/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』_p34 ※引用は改造社『自叙伝』)
ちなみに『日録・大杉栄伝』の著者、大杉豊(一九三九〜)は大杉栄の次弟・勇の子息である。
平塚らいてうは一八八六(明治十九)年二月十日、会計検査院勤務の父・定二郎(一八五九〜一九四一)と母・光沢(つや/一八六四〜一九五四)の間に、東京市麹町区三番町で生まれた。
らいてうは第三子、三女だったが長女が夭折、らいてうよりひとつ年上の次女の名は孝(たか)、らいてうの本名は明(はる)。
天皇崇拝者であった父・定二郎が孝明天皇の名にあやかり、次女に「孝」、三女に「明」と命名したのである。
一八九〇(明治二十三)年、四歳のらいてうは富士見小学校付属幼稚室(幼稚園)に入園しているが、大杉は前年に同園を卒園しているので、らいてうと大杉は一年違いの同窓ということになる。
一八九四(明治二十七)年、平塚一家は本郷区駒込曙町一三番地に移転したので、らいてうは富士見小学校から誠之(せいし)小学校に転校した。
日清戦争が終結したとき、らいてうは誠之小学校尋常科四年だったが、クラス担任の二階堂先生という青年教師が黒板に書いた文字が、忘れがたい記憶として残ったという。
……露、英、仏の三国干渉のため、戦勝日本が当然清国から割譲されるべきであった遼東半島を熱涙をのんで還附したことの次第を、わかり易く、じゅんじゅんと語り、「臥薪嘗胆」を子供心に訴えられたことでした。
教室には極東の地図がかけてありましたが、それはいうまでもなく遼東半島のところだけ赤く塗りつぶしたものでした。
話しながら先生が黒板に、特に大きく書かれた「臥薪嘗胆」の文字は今も心に浮びます。
(平塚らいてう『わたくしの歩いた道』/『作家の自伝8 平塚らいてう わたくしの歩いた道』_p27~28)
誠之小学校は現在の文京区立誠之小学校であり、ウィキの「主な出身者」にはらいてうの名も連なっている。
日清戦争が終結して朝鮮から帰った野枝の父・亀吉は、女児の誕生に喜び、野枝は父親の秘蔵っ子になった。
野枝はやんちゃで元気がよかった。
野枝の三女・野澤笑子(エマ)が書いている。
……自分の気に入らないと大声で泣き喚く。
大きな口を横にひらいて丁度七輪の口のような形になるので、二人の兄は「ほーら、七輪が熾(おこ)ってきたぞ。団扇持って来い」と、泣いている妹の口もとでバタバタと煽いでからかっていた。
(野澤笑子「子供の頃の母」/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』「月報1」)
★『辻潤全集 別巻』(五月書房・1982年11月30日)
★『辻潤全集 四巻』(五月書房・1982年10月10日)
★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16)
★大杉栄『自叙伝』(改造社・1923年11月24日)
★大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』(1925年7月15日)
★平塚らいてう『わたくしの歩いた道』(新評論社・1955年3月5日)
★『作家の自伝8 平塚らいてう わたくしの歩いた道』(日本図書センター・1994年10月25日)
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
2016年03月02日
第1回 今宿
文●ツルシカズヒコ
伊藤野枝は一八九五(明治二十八)年一月二十一日、福岡県糸島郡今宿村大字谷一一四七番地で生まれた。
現住所は福岡市西区今宿一丁目である。
戸籍名は「ノヱ」。
野枝が生まれる直前の伊藤家の家族構成はーー。
祖母(父・亀吉の母)・サト(五十三歳)
父・亀吉(二十九歳)
母・ムメ(二十八歳)
長男・吉次郎(五歳)
次男・由兵衛(三歳)
五人家族だが、野枝が生まれたこのとき、父・亀吉は不在だった。
前年八月に始まった日清戦争に軍夫として徴用され朝鮮にいたからである。
野枝の四女・王丸留意(ルイズ/離婚後、伊藤ルイに改名)は、祖母・ムメから伝え聞いていた話を、井出文子にこう語っている。
母が生まれた夜はとても寒い晩でみぞれまじりの雪がふっていました。
祖父はいなくて産婆さんも呼べなかったので、祖母はひとりで母を産んだそうです。
そのときの産声があまりに大きかったので、祖母はたぶん男の子だろうと思ってほうっておいたのだそうです。
男の子はもうふたりもいましたし、暮しもらくでなかったからどうでもいいという気持ちだったのでしょう。
そのあとで男の子に呼ばれて祖母の姑になる曽祖母がきてくれて、よくみますと赤子は女の子だったので、曽祖母ははじめての女子じゃとよろこび、産湯をつかわしたりして、それで赤子は生命(いのち)をまっとうしたのだそうです。
(井出文子『自由それは私自身 評伝・伊藤野枝』_p12)
野枝の三女・野澤笑子(えみこ/エマ/一九二一〜二〇一三)はこう記している。
母、伊藤野枝が生まれたのは明治二十八年一月、当時でも珍しい大雪の未明であった。
父親は日清戦争に出征中で、びっくりする程大きな産声をあげた。
上に二人の男子がおり、昔の人は暢気なもので祖母のサトは、
「又、男ぢゃろう、夜が明けてから産婆を呼べばいい」
と言う。
それでも母親のムメはそっと蒲団を持上げて見て、女の子であることを告げると素破一大事とばかり、祖母はとび起きて産婆へ走るやら、お湯を沸かすやら大騒ぎを演じたという。
(野澤笑子「子供の頃の母」/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』「月報1」)
野枝の遺児たちが母・野枝が生まれたときのことを知っているのは、大杉栄と野枝が虐殺された後、遺児たちが野枝の今宿の実家に引き取られ、そこで育ったからだ。
野枝が虐殺されたとき、三女・エマは二歳、四女・ルイズは一歳だった。
母・野枝についての記憶がまるでない孫たちに、ムメは野枝の思い出を繰り返し繰り返し語って聞かせていたのである。
それは無意識だったとしても、野枝の記憶を風化させたくないという、ムメの願いがあったからなのだろう。
野枝の父・亀吉と母・ムメの間には野枝の下にも四人の子供が生まれた。
祖母・サト(一八四二〜一九二二)
父・亀吉(一八六六〜一九三六)
母・ムメ(一八六七〜一九五八)
長男・吉次郎(一八九〇〜一九〇八)
次男・由兵衛(一八九二〜一九六七)
長女・野枝(一八九五〜一九二三)
次女・ツタ(一八九七〜一九七八年六月)
三男・信夫(一九〇六/夭折)
四男・清(一九〇八〜一九九一)
五男・良介(一九一六/夭折)
伊藤家は祖母・サトを入れて総勢十人家族ということになるが、三男・信夫と五男・良介は夭折し、長男・吉次郎も野枝が十三歳のときに満州で病死(十八歳)しているので、野枝が成人した後の伊藤家は七人家族であった。
祖母・サトは野枝が虐殺される前年、一九二二(大正十一)年に八十歳で死去。
父・亀吉=七十歳、母・ムメ=九十一歳、次男・由兵衛=七十五歳、次女・ツタ=八十一歳、四男・清=八十三歳。
伊藤家の人々が永眠した年齢を見ると、多産多死時代の「多死」を逃れた面々は総じて長寿だった。
『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』、井出文子『自由それは私自身 評伝・伊藤野枝』、「伊藤野枝年譜」(『定本 伊藤野枝全集 第四巻』)によれば、 伊藤家は海産物問屋・諸国廻槽問屋を営む「萬屋」(よろずや)という屋号の旧家であり、幕末から明治初期にかけての曽祖父・儀八(一八〇六〜)の代に、主要な貢米取扱地だった今宿において家業は最盛を迎えた。
しかし、祖父・與平(一八三五〜一八八四)の頃から没落し始め、父・亀吉の代になってからいよいよ家業は思わしくなくなっていた。
長女に「ノヱ」と命名したのは、伊藤家の家業全盛時に生きた野枝の曽祖母・ノヱにあやかり、家業再興の願いがこめられていたからである。
野枝の曽祖父・儀八は、九州男児の度胸一本で荒海に乗り出し財を成した。
松原に茶室を設けたり、他に土地や船なども持っていた……。
しかし、政治、社会の変革はこの商家の繁栄を奪い、儀八の死後与平が相続し、またその六年後一八九一(明治二十四)年に家督を野枝の父亀吉が継いだときには決定的に家は没落した。
戸籍をみると亀吉の相続と前後して、亀吉の妹マツ、モト、キチの二十歳をかしらにした三姉妹は、熊本、三池などに分家または養女として離籍されている。
これは彼女たちが結婚してのことではなく、おそらく一家の窮乏を救うためのものらしい。
(井出文子『自由 それは私自身 評伝・伊藤野枝』_p14)
亀吉は家督を継ぐとともに、今宿村の農民・若狭伊平(伊六ともある)の次女・ムメと結婚した。
今宿村について、野枝はこう記している。
私の生まれた村は、福岡市から西に三里、昔、福岡と唐津の城下とをつないだ街道に沿ふた村で、父の家のある字(あざ)は、昔陸路の交通の不便な時代には、一つの港だつた。
今はもう昔の繁栄のあとなど何処にもない一廃村で、住民も半商半農の貧乏な人間ばかりで、死んだやうな村だ。
此の字は、俗に『松原』と呼ばれてゐて戸数はざつと六七十位。
大体街道に沿ふて並んでゐる。
(「無政府の事実」/『労働運動』1921年12月26日・3次1号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p654/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p310)
「無政府の事実」冒頭のこの文章の初出は、一九二一(大正十)年発行の『労働運動』なので、野枝が二十六歳のころの今宿である。
街道とは唐津街道のことだ。
野枝は明治維新から半世紀余を経た大正末期に、昔、つまり江戸時代の繁栄のあとなどどこにもない一廃村で死んだよう村だと今宿のことを書いているのである。
ウィキペディア[今宿村(福岡県)]によれば、今宿村が発足したのは一八八九(明治二十二)年四月、今宿村が近隣と合併して糸島郡に編入されたのが一八九六(明治二十九)年四月。
福岡市へ編入されたのは一九四一(昭和十六)年十月である。
野枝の出生地は「糸島郡今宿村」とされているが、彼女の出生時には今宿村はまだ糸島郡に編入されていない。
今宿の没落については井出文子の説明がわかりやすい。
徳川幕藩体制のもとでは、この村は藩内交通の結節点として港を持ち、また唐津、長崎へむかう街道の宿場としても繁盛していたのである(糸島郡教育会編『糸島郡史』)。
だが廃藩置県、経済流通経路の変化、鉄道の開通はこの村の繁盛をおき去りにした。
明治中期にはいり北九州一帯の石炭産業の興隆をそばにみながら、この村はいわば陥没地帯として、今宿瓦などのささやかな産業をのぞいてはなにもない一寒村となっていった。
(井出文子『自由それは私自身 評伝・伊藤野枝』_p12)
岩崎呉夫『炎の女 伊藤野枝伝』によれば、福岡県糸島郡教育会編『糸島郡誌』は一九二七(昭和二)年に発行されているが、今宿村についてはこう記されている。
今宿村は……現在戸数五〇〇、現在人口二、九四五なり。……明治四十三年北筑軌道敷設せられ、また大正十四年四月十五日北九州鉄道開通し交通大いに便なるに至れり。
(岩崎呉夫『炎の女 伊藤野枝伝』_p54)
野枝の生家と育った家の現況(二〇一五年現在)については、田中伸尚『飾らず、偽らず、欺かずーー菅野須賀子と伊藤野枝』(p114~)に詳しい。
同書によれば、野枝の生家は現在「唐津街道……に面した住宅で、そこには製畳店の看板がかかっている。……生家の道路を挟んだ向かい側に役場」があるという。
一九八五年ごろまで、野枝の育った家の木戸近くに「伊藤野枝生誕の地」という標柱があったが、郷土史家・大内士郎の調査により、それは野枝の生家ではなく育った家であることが判明した。
野枝の育った家には現在、伊藤義行(野枝の甥/父は野枝の次兄・由兵衛?)が暮らしているという。
★井出文子『自由それは私自身 評伝・伊藤野枝』(筑摩書房・1979年10月30日)
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』「月報1」(學藝書林・2000年3月15日)
★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)
★『定本 伊藤野枝全集 第四巻』(學藝書林・2000年12月15日)
★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)
★岩崎呉夫『炎の女 伊藤野枝伝』(七曜社・1963年1月5日)
★田中伸尚『飾らず、偽らず、欺かずーー菅野須賀子と伊藤野枝』(岩波書店・2016年10月21日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
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文●ツルシカズヒコ
第450回 大杉栄追想
第449回 女らしい女
第448回 ゴルキイの『母』
第447回 自然女
第446回 本能主義者
第445回 野枝姉さん
第444回 お餅代
第443回 可愛い単純な女性
第442回 今宿の葬儀
第441回 煙草盆
第440回 さよなら!
第439回 遺骨
第438回 葉鶏頭
第437回 大杉外二名
第436回 号外
第435回 梨
第434回 鶴見
第433回 オートミル
第432回 栗鼠
第431回 奇禍
第430回 流言蜚語
第429回 キュウビズム
第428回 最後の写真
第427回 くらちゃん
第426回 ネストル・マフノ
第425回 柏木
第424回 Science
第423回 コケテイツシユ
第422回 和田久太郎
第421回 安成二郎様
第420回 帰朝歓迎会
第419回 有島武郎の死
第418回 白の洋装
第417回 情熱の子
第416回 来神
第415回 姉御
第414回 無産階級独裁
第413回 ポタアジユ
第412回 性教育
第411回 箱根丸
第410回 エリゼ・ルクリュ
第409回 似たもの夫婦
第408回 佐藤紅緑
第407回 ラ・サンテ監獄
第406回 c'est ça
第405回 individualism
第404回 平林たい子
第403回 日本人
第402回 rien á faire
第401回 裁縫の話
第400回 水平運動
第399回 ヤキモチ屋
第398回 足下
第397回 Vous avez une raison
第396回 バル・タバラン
第395回 多数は力だ
第394回 パリの便所
第393回 四平街
第392回 ベルヴィル通り
第391回 おいねさん
第390回 アナナス
第389回 仏歯寺
第388回 アンドレ・ルボン号
第387回 頭脳改造
第386回 フランス租界
第385回 アインシュタイン
第384回 有島武郎
第383回 国際無政府主義大会
第382回 蕎麦喜千
第381回 死刑囚の思い出
第380回 毛皮
第379回 東屋
第378回 黒地の洋装
第377回 求婚広告
第376回 広津和郎
第375回 野坂参三
第374回 コズロフを送る(六)
第373回 コズロフを送る(五)
第372回 コズロフを送る(四)
第371回 コズロフを送る(三)
第370回 コズロフを送る(二)
第369回 コズロフを送る(一)
第368回 二人の革命家
第367回 里見ク(二)
第366回 ルイズ
第365回 科学知識叢書
第364回 見張小屋
第363回 アイスクリーム
第362回 平和紀念東京博覧会
第361回 里見ク(一)
第360回 浅原健三
第359回 猫越(ねっこ)峠
第358回 ヒサイタアマギニシス
第357回 徳富蘇峰
第356回 無政府の事実
第355回 直接行動論
第354回 暁民共産党事件
第353回 ピンポン
第352回 新興芸術
第351回 原敬
第350回 弾丸
第349回 典獄面会
第348回 バートランド・ラッセル(二)
第347回 バートランド・ラッセル(一)
第346回 赤瀾会講習会
第345回 新発田
第344回 百円札
第343回 花札
第342回 男女品行問題号
第341回 赤瀾会(二)
第340回 赤瀾会(一)
第339回 ミシン
第338回 Confidence
第337回 壟断(ろうだん)
第336回 高村光太郎
第335回 聖路加病院(五)
第334回 聖路加病院(四)
第333回 聖路加病院(三)
第332回 聖路加病院(二)
第331回 聖路加病院(一)
第330回 チブス
第329回 新婦人協会
第328回 アナ・ボル協同戦線
第327回 日本の運命
第326回 駿台倶楽部
第325回 週刊『労働運動』
第324回 露国興信所
第323回 日本社会主義同盟
第322回 暁民会
第321回 クロポトキンの教育論
第320回 コミンテルン(三)
第319回 コミンテルン(二)
第318回 夜逃げ
第317回 有名意識
第316回 コミンテルン(一)
第315回 幸子
第314回 航海記
第313回 クロポトキンの経済学
第312回 ローザ・ルクセンブルク
第311回 堺利彦論
第310回 不景気
第309回 大谷嘉兵衛
第308回 入獄前のO氏
第307回 トルコ帽
第306回 自由母権
第305回 出獄
第304回 ロシアの婦人運動
第303回 豊多摩監獄(四)
第302回 豊多摩監獄(三)
第301回 下婢
第300回 教誨師
第299回 山川菊栄論
第298回 豊多摩監獄(二)
第297回 スパイ
第296回 豊多摩監獄(一)
第295回 婦人労働者の覚醒
第294回 労働運動の精神
第293回 婦人労働者大会
第292回 東京監獄八王子分監
第291回 ソシアルルーム
第290回 出獄の日のO氏(二)
第289回 出獄の日のO氏(一)
第288回 外濠
第287回 柿色
第286回 警視庁(三)
第285回 警視庁(二)
第284回 警視庁(一)
第283回 正力松太郎
第282回 築地署(二)
第281回 築地署(一)
第280回 森戸辰男
第279回 トスキナ(二)
第278回 トスキナ(一)
第277回 演説もらい
第276回 おうら山吹
第275回 婦人参政権
第274回 スペイン風邪
第273回 尾行
第272回 山羊乳
第271回 クララ・サゼツキイ
第270回 タイラント
第269回 無遠慮
第268回 無政府主義と国家社会主義
第267回 米騒動
第266回 野枝さん野枝さん
第265回 大杉栄と代準介
第264回 茶ア公
第263回 戯談
第262回 後藤新平様
第261回 MAKO
第260回 東京監獄・面会人控所(六)
第259回 東京監獄・面会人控所(五)
第258回 東京監獄・面会人控所(四)
第257回 東京監獄・面会人控所(三)
第256回 東京監獄・面会人控所(二)
第255回 東京監獄・面会人控所(一)
第254回 カムレエドシップ
第253回 日本堤
第252回 僕の見た野枝さん
第251回 半耄碌(もうろく)のお婆さん
第250回 東洋モスリン
第249回 襁褓(むつき)
第248回 中條百合子
第247回 築地の親爺
第246回 第二革命
第245回 魔子
第244回 世話女房
第243回 第二の結婚
第242回 夫婦喧嘩
第241回 伊藤野枝論
第240回 百姓愛道場
第239回 平塚明子論
第238回 評論家としての与謝野晶子
第237回 三月革命
第236回 自働電話
第235回 特別要視察人
第234回 古河
第233回 菜圃(さいほ)
第232回 田中正造
第231回 廃村谷中
第230回 葦原
第229回 センチメンタリズム
第228回 塩瀬の最中
第227回 宮嶋資夫の憤激
第226回 オースギカミチカニキラレタ
第225回 新婚気分
第224回 第一福四万館
第223回 フリーラブ
第222回 豚に投げた真珠
第221回 短刀
第220回 私は何もしない
第219回 陽が照ります
第218回 お源さん
第217回 キルク草履
第216回 午前三時
第215回 だけど
第214回 寺内内閣
第213回 大崩れ
第212回 抜き衣紋
第211回 菊富士ホテル
第210回 ポワンチュの髯
第209回 霊南坂
第208回 和歌浦
第207回 河原なでしこ
第206回 野狐さん
第205回 スリバン
第204回 ミネルヴア
第203回 二人とも馬鹿
第202回 いやな写真
第201回 ララビアータ
第200回 福岡日日新聞
第199回 私達の関係
第198回 金盞花 (きんせんか)
第197回 カンシヤク玉
第196回 豆えん筆
第195回 青鉛筆
第194回 電話
第193回 パツシヨネエト
第192回 蓄音機
第191回 狐さん
第190回 上野屋旅館
第189回 両国橋駅
第188回 白山下
第187回 桜川
第186回 謡い会
第185回 別居について
第184回 拳々服膺(けんけんふくよう)
第183回 新富座
第182回 福岡の女
第181回 厚顔無恥
第180回 チリンチリン
第179回 日比谷公園
第178回 欧州戦争
第177回 ねんねこおんぶ
第176回 公娼廃止
第175回 婦人矯風会
第174回 御大典奉祝
第173回 戦禍
第172回 早良(さわら)炭田
第171回『門司新報』
第170回 千代の松原
第169回 野依秀市(四)
第168回 野依秀市(三)
第167回 野依秀市(二)
第166回 野依秀市(一)
第165回 フランス文学研究会
第164回 三面記事
第163回 ロンブローゾ
第162回 日常生活の日誌
第161回『痴人の懺悔』
第160回 堕胎論争
第159回 伊藤野枝オタク
第158回『エロス+虐殺』
第157回 マックス・シュティルナー
第156回 同窓会
第155回 婦人の選挙運動
第154回 死灰の中から
第153回 友愛会と青鞜社
第152回『谷中村滅亡史』
第151回 待合
第150回 革命のお婆さん
第149回 羞恥と貞操
第148回 新貞操論
第147回『三太郎の日記』
第146回 中村狐月
第145回 ゾラ
第144回 谷中村(九)
第143回 谷中村(八)
第142回 谷中村(七)
第141回 谷中村(六)
第140回 谷中村(五)
第139回 谷中村(四)
第138回 谷中村(三)
第137回 谷中村(二)
第136回 谷中村(一)
第135回 ジャステイス
第134回 生き甲斐
第133回 タイプライター
第132回 砲兵工廠
第131回 四ツ谷見附
第130回 山田わか
第129回 編輯室より
第128回 思想の方向
第127回 貞操論争
第126回 身の上相談
第125回 引き継ぎ
第124回 平民新聞
第123回 人間問題
第122回 根本の問題
第121回 小石川植物園
第120回 毒口
第119回 自己嫌悪
第118回 義母
第117回 下田歌子
第116回 世界大戦
第115回 ヂョン公
第114回 三角山
第113回 色欲の餓鬼
第112回 妙義神社
第111回 染井の森
第110回 読売婦人附録
第109回 猫板
第108回『婦人解放の悲劇』
第107回 武者小路実篤
第106回 ウォーレン夫人
第105回 羽二重餅
第104回 サアカスティック
第103回 少数と多数
第102回 出産
第101回 エマ・ゴールドマン
第100回 アンテウス
第99回 ジプシイの娘
第98回 生の拡充
第97回 赤城山
第96回 あの手紙
第95回 二通の手紙
第94回 筆談
第93回 絵葉書
第92回 ヴハニティー
第91回 第二の会見
第90回 牽引
第89回 自我主義
第88回 アウグスト・ストリンドベリ
第87回 ピアノラ
第86回 アルトルイズム
第85回 木村様
第84回 ドストエフスキイ
第83回 動揺
第82回 校正
第81回 第二の手紙
第80回 高村光太郎
第79回 文祥堂
第78回 フュウザン
第77回 拝復
第76回 中央新聞
第75回 魔の宴
第74回 堀切菖蒲園
第73回 瓦斯ラムプ
第72回 円窓より
第71回 ホワイトキヤツプ
第70回 荒川堤
第69回 国府津(こうづ)
第68回 枇杷の實
第67回 ファウスト
第66回 上山草人
第65回 平塚式
第64回 神田の大火
第63回 姉様
第62回 女子英学塾
第61回 青鞜社講演会
第60回 相対会
第59回 新らしき女の道
第58回 夏子
第57回 東洋のロダン
第56回 軍神
第55回 メイゾン鴻之巣
第54回 西村陽吉
第53回 玉名館
第52回 阿部次郎
第51回 伊香保
第50回 若い燕(二)
第49回 若い燕(一)
第48回 新妻莞
第47回 モンスター
第46回 ロゼッチの女
第45回 雷鳴
第44回 運命序曲
第43回 南郷の朝
第42回 吉原登楼
第41回 同性愛
第40回 円窓
第39回 青鞜
第38回 椎の山
第37回 野生
第36回 染井
第35回 出奔(七)
第34回 出奔(六)
第33回 出奔(五)
第32回 出奔(四)
第31回 出奔(三)
第30回 出奔(二)
第29回 出奔(一)
第28回 わがまま
第27回 日蓮の首
第26回 帰郷
第25回 抱擁
第24回 おきんちゃん
第23回 天地有情
第22回 仮祝言
第21回 縁談
第20回 反面教師
第19回 西洋乞食
第18回 遺書
第17回 謙愛タイムス
第16回 上野高女
第15回 大逆事件
第14回 編入試験
第13回 伸びる木
第12回 東の渚
第11回 湯溜池
第10回 大人の嘘
第9回 波多江(はたえ)
第8回 長崎(二)
第7回 長崎(一)
第6回 代準介
第5回 能古島(のこのしま)
第4回 ノンちゃん
第3回 万屋がお
第2回 日清戦争
第1回 今宿
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