2016年05月18日
第190回 上野屋旅館

文●ツルシカズヒコ
御宿に滞在中の野枝は、一九一六(大正五)年四月三十日、大杉に手紙を書いた。
かうやつて手紙を書いてゐますと、本当に遠くに離れてゐるのだと云ふ気がします。
あなたは昨日別れるときに、ふり返りもしないで行つてお仕舞ひになつたのですね。
ひどいのね。
早くゐらしやれませんか。
お仕事の邪魔はしませんから、早くゐらして下さいね。
四時間汽車でがまんすれば来られるのですもの、本当に来て下さいね。
五日も六日も私にこんな気持を続けさせる方はーー本当にひどいわ。
私はひとりぼつちですからね。
この手紙だつて今日のうちには着かないと思ひますと、いやになつて仕舞ひます。
(「書簡 大杉栄宛」一九一六年四月三十日・一信/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p348/「恋の手紙ーー伊藤から」/『大杉栄全集 第四巻』)

この日、御宿はひどい嵐で外出もできなかったが、野枝は大杉への手紙(一信)を書いた後、幸福感に浸って暮らした。
野枝は大杉の著作を持って来ていて、朝からそれを読んでいたのである。
その書名を野枝自身は明かしていないが、大杉が書いた「一情婦に与えて女房に対する亭主の心情を語る文」(『女の世界』一九一六年六月号・第二巻第七号/安成二郎『無政府地獄ーー大杉栄襍記』新泉社・一九七三年十月)によれば、『生の闘争』と『社会的個人主義』だった。
『生の闘争』の中の「羞恥と貞操」、『社会的個人主義』の中の「男女関係の進化」と「羞恥と貞操と童貞」は、大杉の男女関係に関する論文であり、野枝は大杉の考えを確認するために『生の闘争』と『社会的個人主義』を御宿に持参したと思われる。

あんなに、あなたのお書きになつたものは貪るやうに読んでゐたくせに、本当はちつとも解つてゐなかつただなんて思ひますと、何んだかあたなに合はせる顔もない気がします。
今は本当に分つたのですもの。
そしてまた私には、あなたの愛を得て、本当に分つたと云ふ事はどんなに嬉しい事か分りません。
これからの道程だつて真実たのしく待たれます。
一つ一つ頭の中にとけて浸み込んでゆくのが分るやうな気がします。
何だか一層会ひたくもなつて来ます。
本当に来て下さいな、後生ですから。
(「書簡 大杉栄宛」一九一六年四月三十日・二信/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p349~350/『大杉栄全集 第四巻』「恋の手紙ーー伊藤から」)

野枝が御宿に滞在中、および金策のために大阪、福岡に滞在中に、野枝と大杉が交わした書簡は「恋の手紙」として大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』に初収録されたが、編者「はしがき」にはこう書かれている。
書いたのはおそらく近藤憲二であろう。
これは嘗つて、謂はゆる葉山事件の裁判の参考として、横浜地方裁判所で押収した事のある手紙だ。
悉く其の封筒に、「押収第何号」の札が貼られたままになつてゐる。
其後返されたが、「自叙伝」を書く参考に、大杉君が保存してゐたのである。
大杉の発信地は東京市麹町区三番町六四第一福四萬館、伊藤の発信地は千葉県夷隅郡御宿上野屋旅館である。
封筒の中の宛名は、大杉からのには「野枝さん」「可愛いい野枝子へ」「狐さんへ」などと書いてある。
伊藤からのには「大杉様まゐる」「栄さま」「私のふざけやさんに」などと書いてある。(編者)
(『大杉栄全集 第四巻』「恋の手紙ーー大杉から」)
★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)
★『大杉栄全集 第四巻』(大杉栄全集刊行会・1926年9月8日)
★安成二郎『無政府地獄- 大杉栄襍記』(新泉社・1973年10月1日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index

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