桑原通夫です。
日本の半導体はかつて
世界一だったのです。
1980年代には
日本の半導体が、「日の丸半導体」
と呼ばれ、世界を席巻・・
価格競争でも米国に勝利・・
1992年には、半導体分野では
世界トップ10の中に
日本の企業が6社も入っていた・・
↓
米国の半導体業界は事業の専門化が
進んで、世界的な水平分業へ
↓
PC・スマホなどのインターネット革命と共に
米国が再び全世界の上位企業へ・・
米国はインテルのコンスタントな健闘・・
新しいメーカーの出現・・
日本の半導体は・・
NECと日立の半導体事業部が
合併して
エルピーダメモリという新会社設立・・
↓
リーマン・ショックで経営破綻
↓
マイクロン・テクノロジーに買収され
マイクロン・メモリ・ジャパン=MUとなる
そして、現在のMUは世界第3位の
半導体企業になっています。
なぜ今のような形になって行ったのか・・
少し調べて見ると
半導体企業の流れは・・
1980年代まで半導体の世界では、
日本企業が「日の丸半導体」
と呼ばれて世界を席巻していました。
しかし・・
2001年以降はサムスン電子等の
韓国半導体が台頭し
2021年にはインテルを抜いて
世界一の半導体企業に躍進・・
この30年間・・
日本の半導体メーカーは
なぜこうも凋落してしまったのか・・
その原因は・・
一体何だったのでしょうか。
実は‥やはりアメリカでした。
その一番の要因は・・
1986年に日米半導体協定が
結ばれたことにあります。
1985年に日米の政府間協議が
始りましたが、これは
当時あまりにも強い
日本の半導体事業に対しての
嫌がらせのようなものです。
これは米国から日本への言いがかり・・
によるもので、
日本が企業努力により、品質良いメモリーを
安く提供出来ていた・・
そのメモリー半導体に対して米国は
ダンピングによる安売りではないか・・
という疑いをかけて来たのです。
そして、こともあろうに
価格は米国政府が決める・・という
一方的な取り決めを行ったのです。
これは全くの言いがかりで
横暴以外の何者でもありません。
これが日米半導体協定の中身・・
だったのです。
正に言いがかりとしか言えないような
一方的な協定により
日本の半導体メーカーに対して
コストデータの提出を求めて来た・・
その事により日本側のメーカーは
製造の時間を大幅に奪われました。
データ収集に大幅な時間を取られたのです。
それからもう一つあります・・
日米半導体協定には
日本市場に占める外国製半導体の比率を
10%→20%に増やせ‥というものです。
このような、無茶苦茶な要求を米国は
日本に行ったのです。
何か困ったことがあったら・・
日本を叩く・・
日本に圧力をかける・・
というアメリカの常套手段です。
その一方で、韓国や台湾中国は・・
政府の手厚い庇護のもと、
半導体事業を拡大していったのです。
結局はアメリカによる日本潰しが
堂々と行われた‥という事が
日本半導体凋落の原因です。
結果として我が国半導体産業の
復活は・・できなかったのです。
さらに言えば・・
日本の半導体ビジネスには
視野の狭さも指摘されています。
それは、日本では、技術力に拘り
どう作るか、に重きを置き過ぎていた・・
何を作るか・・や
何の目的で造るか・・といった
ビジョンや視点が欠けていた
とも言われます。
しかし‥日本が成長すると
アメリカに頭を押さえつけられる・・
そんな構造はこれからも続くのかも
知れませんね。
正々堂々とした企業間の競争ではなく
政治力の差によって
しわ寄せを受けるのは何時も
企業や民間なのです。
本当の意味で日本は独立国じゃない・・
という事のようですね。
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