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GONZA 通りは鹿児島市天文館の東千石町と
中町の境目にある通りです。
ゴンザは18世紀にロシアに連れ去られましたが、
その非凡な語学の才能で、ロシア語と薩摩言葉
の辞書を20歳そこそこで作り上げた天才です。
この通りをゴンザに因んでGONZA 通りと名付け
たと掲示されています。
この通りには過日いろんな体験をしたお店がたくさん
あって、たいへん思い入れのある通りです。
まず、このGONZA 通り由来を記した掲示板のある
建物には、1970年代にその2FにALTECというジャズ
喫茶がありました。初めて出会ったジャズ喫茶でした。
よく平凡パンチを読みながらジャズを聴いていました。
また、浜田ビルの1Fには、鹿児島でのロック喫茶の
草分けとでもいうべきCORONETがありました。
1971年の4月にオープンして2008年まで37年間も
営業し、若者たちのメッカともなっていました。
またそのビルの2F奥にはCORONETが経営する
RIVERSIDEというジャズ喫茶もありました。
2Fの手前には、みそラーメンのおいしいマリモが
ありました。10年以上前に大口に移転していきました。
かつて東京食堂のあったところには、以前は蓬莱飯店
という中華料理屋さんがあって何十年も営業を続けて
いました。そこの娘さんがすごく美人で、個人的に
勝手に中町小町と名付けていました。
今、adidasのあるところには、かつては餃子とラーメンの
おいしい天津軒がありました。
また、CORONETのあったところは、かつてピーター
池畑慎之介氏のお母さんが淀川という割烹を営んで
おられたらしいです。
GONZA通りは、ジャズとロックに入り浸っていた青春
時代の忘れられないたいせつな思い出の場所です。
Подмосковные Вечера(モスクワ郊外の夕べ)
https://www.youtube.com/watch?v=KairmsARpyo……………………………………………………
GONZA 〜ゴンザ通り由来記〜
ゴンザとは船乗りの息子、1728年藩命により大阪向け出港
したが、約半年後にカムチャッカに漂着、父を含む15人が殺された。
11歳のゴンザと35歳のソウザのみ助かり、2年間の奴隷と3年間の
シベリア横断の末、女帝の謁見に対し、ロシア語で答えるゴンザの
才能を見込まれ、日本語学校の先生に任命された。
ソウザ没後、12000語の薩摩弁を6冊の辞典にまとめ、21歳で没
した。その業績は天才的と各国の学者から絶賛されている。
昔この通りは市内で最初に栄えた所で御着屋という迎賓館があり
僧俊寛もこの付近から出港したという。ゴンザ達も大阪見物の晴着
などをこの通りで買い揃えたと推定される。
この由来から世界に誇るべきゴンザの業績を永く後世に残したく
「ゴンザ通り」と改称いたしました。
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