2014年04月27日
☆リケジョの先駆けー丹下ウメ博士
最近、理科系を目指す女子が増えているそうです。
また、STAP細胞を発見した理研の小保方研究員が、今、時の人となっていますね。
ところで、鹿児島市の山形屋デパートの表玄関のすぐ左手脇に、鹿児島の理系女子の先駆けとも言うべき丹下
ウメ博士の胸像が設置されています。
胸像があることは分かっていても、その碑文を読む機会はなかなかないのではないかと思います。
そこで、今日は、その碑文の内容を紹介したいと思います。
(碑文)………………………………………………
化学の先覚者
鹿児島市金生町の新町ほか14町の戸長丹下伊左衛門の四女として明治6年(1873)に生まれ、幼時、事故で右
目を失明。
県立女子師範を卒業。18歳で名山小学校の教師。
28歳で日本女子大学家政科一回生に入学、卒業。
女性初の中等化学教員検定試験に合格。
大正3年、東北帝国大学理化大学化学科に女性初の入学。
卒業後、スタンフォード大学などで栄養化学を修め、帰国して日本女子大の栄養学の教授。
昭和15年、「ビタミンB2複合体」の研究で東京大学から農学博士の学位を受ける。
昭和30年(1955)82歳まで独身の血潮を学究一筋に注ぎ、東京の親戚宅で死去。
川越正則 撰
…………………………………………………………………(ここまで)
地元にこのような女傑とも言うべき優れた研究者がいたとは、たいへん驚きです。ハンディを抱えながらも立
派な業績を遺された姿勢にはたいへん感銘を受けますね。
身近にはたくさんの石碑が建てられていますが、その碑文を落ち着いて読むことはあまりありません。
しかしながら、そこにはたいへん貴重な情報が書かれており、そこから非常に多くの示唆を得ることができま
す。
今までそれらのたくさんの宝物をみすごしていたのだなとあらためて思いました。
これから、それらの宝物を一つ一つ拾い集めてご紹介できたらと思っています。