2011年02月01日
今日の社説。
日曜の夜に読売の勧誘が来たので、おまえは読売読んでるのかと聞いたら読んでないと言っていた。
読売のどこがいいのか説明しろと言ったら、読売は最も多くの読者に支持されているとか言われたので、じゃあ読売は、自民が多い時は自民が正しいって言って、民主が多い時は民主が正しいって言うのかと言っておいた。
さらに話すと僕は難しいことはよく分からないんですが熱意で新聞売っていますと言っていたので、俺は熱意では新聞を買わないと言っておいた。
これは読売に限った話じゃなく、どこの新聞も、新聞販売員として食っていくには何が何でも新規購読者を増やさなきゃいけないのは分かるんだけど、熱意とサービスぐらいしか売るものがない新聞が偉そうに幅を利かせている社会は、個々の国民が何が正しいか判断できてないわけで、民主主義のレベルが低いと思う。
昔、天声人語に、先輩記者に「おまえは新聞を売っているのか、新聞紙を売っているのか」としかられた、というのがあったと、自分はなぜかよく覚えているのだが、現実に、新聞紙とサービスを熱意で売り込んでいる。
さて、
今日は各紙小沢氏強制起訴の社説を書いている。
文章としてまとまってないから何言いたいかよくわかんないけど
どこも、政治家としての道義的責任は重いと書いている。
自分たちがちゃんと事実関係を洗い出しもしないで怪しげな捜査情報をもとにさんざん煽ってきた新聞としての道義的責任をどうするのか、そもそも村木さん事件の反省をしたのか、まず聞きたい。
報道を見直したうえで、やっぱり問題があるなら、政治家としての道義的責任を問うてもよいと思う。ただし、同じことをした他の議員を見逃して、一人を叩くのは許されない。
あと、各紙について補足すると、
読売は「各種世論調査で、多くの国民は強い疑問を示している。」と書いてるけど、多いのがいいって言ってたあの販売員は読売らしかったんだな。
朝日と産経は検察が信頼できない中での市民感覚に喝采を送っているが、今回に関しては、検察が証拠がそろわないから起訴しないと言ったんだから、検察が間違っているとしたら、捜査がいい加減で本来得られるはずの証拠を得られなかったとか、もみ消したと批判するべき。それができないなら、ただの言いがかり。起訴するかどうかの判断は、市民感覚とは関係ない。それに、市民感覚を無批判に持ち上げてはいけない。
何か五十歩百歩だなあ・・
全部まとめてごみにしようか。。
各紙の社説のてきとー抜粋
読売新聞
現職の国会議員が法廷に立たされることは重い意味を持つ。刑事被告人が政権党の中で、隠然と影響力を行使することが果たして許されるのか。各種世論調査で、多くの国民は強い疑問を示している。
特に小沢氏の場合、石川議員を含む元秘書3人が政治資金規正法違反で起訴されている。その政治的かつ道義的な責任は重い。
朝日新聞「小沢氏起訴―市民の判断に意義がある」
起訴の権限は検察が長く独占してきた。足利事件のような大きな過ちもあるものの、有罪が確実に見込まれるものだけを起訴する運用により、有罪率99%という刑事司法を作りあげた。
それは一定の評価を得る一方で、裁判の形骸化をもたらした。検察が強大な権限をにぎることになり、独善的な体質を生む素地ともなった。
検察審による強制起訴はこれに風穴を開けた。検察がとってきた起訴と不起訴とを分ける基準や個々のケースへの対応は、一般の感覚と正義感に沿うものか。問い直す機会を市民が初めて得たと言っていいだろう。
<中略>
法廷で争うことと、政治家として責任を果たすことは別問題である。国会での説明すらできないのなら、自らしかるべく身を処すのが筋ではないか。
毎日新聞
民主党の小沢一郎元代表が政治資金規正法違反で強制起訴された。刑事責任は今後、法廷で争われるが、この節目で問われるのは政治家としての責任とけじめである。
日本経済新聞
検審の議決書にいうとおり「無罪か有罪かを判断するのは裁判」であり、被告人は無罪推定を受ける。しかし、政治家の説明責任、道義的責任は別の問題だ。
<中略>
民主党はいつまで身内に甘い対応を続けるつもりだろうか。政治倫理審査会への出席が実現しなければ、参考人招致や証人喚問という選択もありうる。小沢元代表への離党勧告も検討すべきである。
産経新聞「小沢氏強制起訴 やはり議員辞職しかない 国民代表の結論無視するな
」
<タイトルだけで察しがつくので本文省略>
東京新聞
制起訴を契機に小沢氏に対し、離党や議員辞職を迫る動きが加速しよう。菅直人首相も年頭の記者会見で、自発的な離党あるいは辞職を促す発言をしたが、政治的思惑が先走ってはならない。小沢氏本人が今後、国会審議や党運営に迷惑がかかると判断すれば、離党という選択もあろう。
ただし、小沢氏は重い政治責任を負っていることも自覚してほしい。陸山会の土地取引問題では、その原資について、小沢氏の説明が二転三転した。この事件とは別に、一昨年の衆院選時、陸山会が九十一人の候補者に分配した多額資金には、旧新生党解党時の残金が含まれていたようだ。