2011年05月29日
都がしたのか知事がしたのか
5月28日のニュースで、気になる見出しがあったので書く。
東京新聞
「石原知事、地上1メートルで測定指示」
「都、20年五輪立候補へ」
両方とも27日の定例会見で石原知事が発言した内容を元に記事を書いているが、
なぜ主語が「石原知事」と「都」で違うのか、理解できなかった。
都はこうしますと、都の最高責任者である知事が言った場合に、確かにどっちを主語にしても問題はないわけであるが、
ではどう使い分ければいいのか、自分なりに考えてみた。
1.都の合意形成の状況・実現可能性
知事はいつでも好き勝手に発言できるわけだが、
議会や官僚、企業や住民などの反対により実現できなくなることがある。
実現が不透明な場合はとりあえず知事が言いました、と伝えることが良い。
ただし、実現可能性が高い場合には知事を主語にしても都を主語にしても問題はない。
→この観点で考えると、
五輪立候補は実現が不透明なので、
「都、20年五輪立候補へ」→「石原知事、20年五輪立候補に前向き」としたほうが良い。
2.言いだしっぺであるか
議会や都庁内でほとんど議論されていないもの、または反対されているものを知事が言った場合には、
知事が主導したとして、主語を知事にしたほうが良い。
その場合は賞賛も批判も知事が浴びることとなる。
逆に議会や都庁内ですでに提案されているもの、世論としてすべきだという意見が多いものを知事を主語として知事が主導したように書くのは
知事による手柄の横取りになってしまうので良くない。
→この観点で考えると、
放射線測定場所の問題はかなり提起されていたし、共産党都議団が独自に大々的な調査を行って、この問題点を主張していたので、
「石原知事、地上1メートルで測定指示」→「都、地上1メートルで測定へ」としたほうが良い。
五輪立候補は知事が主導しているが議会の支持も(消極的にだが)得ているので、
都を主語にしても知事を主語にしても一応問題ない。
3.都政とかかわりが薄いものは知事を主語にする
「津波は天罰」などの暴言の責任は自分で取るのが当然。
こう考えると、
もはやすることが当たり前である放射線測定を知事を主語にして、
批判を受けることが確実な五輪立候補を都を主語にするのは、
石原知事に遠慮してるんじゃないかと勘ぐってしまう。
あと、真実を明らかにしようと調査した共産党都議団がかわいそう過ぎる。
東京新聞
「石原知事、地上1メートルで測定指示」
「都、20年五輪立候補へ」
両方とも27日の定例会見で石原知事が発言した内容を元に記事を書いているが、
なぜ主語が「石原知事」と「都」で違うのか、理解できなかった。
都はこうしますと、都の最高責任者である知事が言った場合に、確かにどっちを主語にしても問題はないわけであるが、
ではどう使い分ければいいのか、自分なりに考えてみた。
1.都の合意形成の状況・実現可能性
知事はいつでも好き勝手に発言できるわけだが、
議会や官僚、企業や住民などの反対により実現できなくなることがある。
実現が不透明な場合はとりあえず知事が言いました、と伝えることが良い。
ただし、実現可能性が高い場合には知事を主語にしても都を主語にしても問題はない。
→この観点で考えると、
五輪立候補は実現が不透明なので、
「都、20年五輪立候補へ」→「石原知事、20年五輪立候補に前向き」としたほうが良い。
2.言いだしっぺであるか
議会や都庁内でほとんど議論されていないもの、または反対されているものを知事が言った場合には、
知事が主導したとして、主語を知事にしたほうが良い。
その場合は賞賛も批判も知事が浴びることとなる。
逆に議会や都庁内ですでに提案されているもの、世論としてすべきだという意見が多いものを知事を主語として知事が主導したように書くのは
知事による手柄の横取りになってしまうので良くない。
→この観点で考えると、
放射線測定場所の問題はかなり提起されていたし、共産党都議団が独自に大々的な調査を行って、この問題点を主張していたので、
「石原知事、地上1メートルで測定指示」→「都、地上1メートルで測定へ」としたほうが良い。
五輪立候補は知事が主導しているが議会の支持も(消極的にだが)得ているので、
都を主語にしても知事を主語にしても一応問題ない。
3.都政とかかわりが薄いものは知事を主語にする
「津波は天罰」などの暴言の責任は自分で取るのが当然。
こう考えると、
もはやすることが当たり前である放射線測定を知事を主語にして、
批判を受けることが確実な五輪立候補を都を主語にするのは、
石原知事に遠慮してるんじゃないかと勘ぐってしまう。
あと、真実を明らかにしようと調査した共産党都議団がかわいそう過ぎる。