2011年03月08日
東京新聞の社説がひどい
いつもは評価している東京新聞だけど、
外国人献金問題で、6日の社説と今日8日の社説の内容があまりに違いすぎてひどい。
まずは6日の社説から。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011030602000051.html
前原誠司外相が、禁じられている外国人からの政治献金受領を認めた。「認識はなかった」としても「政治とカネ」問題の頻発にうんざりだ。わきの甘さを認め国民の納得がいく対応をしてほしい。
(中略)親しい人物の国籍を確認する煩わしさは理解するが、誤りがあれば政治生命を失いかねない。わきが甘かったとの誹(そし)りは免れない。
前原氏は「全体をしっかり調べた上で、どのように判断するかも決めたい」と述べた。まずは献金の実態を明らかにし、外国人の献金と認識していたのかどうか、正直に語らなければならない。
(中略)対応を誤れば、民主党だけでなく、既成政党や政治全体への不信を加速する。民主党らしいけじめを今こそ示すべきだ。
まず、例によって「政治とカネ」と言えば何でも問題にできると言う思い込みがある。そして、「わきの甘さを認め国民の納得がいく対応をしてほしい。」「民主党らしいけじめを今こそ示すべきだ。」というが、事実関係はほぼ明らかになっているわけでこれ以上説明することもないし、辞任以外には取れる対応はほとんどないんじゃないかと思う。状況を考えずに無理難題を押し付ける「モンスターペアレント」になっている。
威勢良く書いていたところ突然のけじめ(辞任)を表明した。
そんな中で8日の社説。
「前原外相辞任 政治の機能不全 脱せよ」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011030802000056.html
(前略) 「認識はなかった」とはいえ、外交責任者の外相が外国の影響を受けていると疑われるようなことはあってはならない。外相として辞任は当然の判断にも見える。
ただ、十四日からはパリでの主要八カ国(G8)外相会合、十九日からは前原氏の地元・京都市での日中韓外相会談が控えている。
重要な外交日程を放棄しての辞任の背景に、弱体化著しい菅内閣を見切ると同時に、政治資金をめぐるさらなる追及を逃れ、首相候補の体面を守ろうという発想があるのなら、あまりにも内向きだ。
一方で、参院で多数を占める野党が問責決議案提出をちらつかせ、閣僚に次々と辞任を迫る「ねじれ国会」のありようには、納得がいかない。
(中略)政権にしがみつく与党と、政権攻撃に血道を上げる野党。政治的内戦が続けば、赤字国債を発行する特例公債法案など一一年度予算関連法案は成立せず、四十兆円の歳入欠陥となる。当面はしのげても、いずれは予算執行が行き詰まる。打撃を受けるのは国民だ。
ならば、与野党がともに今の政治状況を冷静に見つめ、政策実現に向けて協力することが、選良として歩むべき道なのではないか。
この八方ふさがりを抜け出す責任は、一義的には政権与党側にあるが、野党側も与党任せを決め込んでいては、国会議員としての役割を果たしたことにはなるまい。(後略)
「参院で多数を占める野党が問責決議案提出をちらつかせ、閣僚に次々と辞任を迫る「ねじれ国会」のありようには、納得がいかない。」そうだが、今回の問題については、東京新聞は野党と同じようにけじめをつけろと煽っていたのではなかったのか。国会の多数派がねじれている問題の前に、自分の社説のねじれを解決しないといけないと思う。
そもそも、けじめをつけろと批判した相手が潔くけじめをつけたのに
(もちろん、前原氏には思惑があって辞任したということはあるだろうが)
けじめをつけたらつけたでまた批判するのは、じゃあどうしろってんだよ!と言いたくなる。
最後に、東京新聞の名誉(?)のためにいうと、この報道姿勢は東京新聞に限ったことではなく、ほかの新聞も似たり寄ったりであるし、新聞に比べて論理よりイメージで報道するテレビ・ラジオも同じような印象を受けた。(そうでなかったというメディアがあったらぜひ教えてほしい。訂正します)
今回の報道は、比喩でなく、文字通り
「舌の根も乾かぬうちに」な豹変ぶりであった。
マスコミ、いやマスゴミの無責任さがこれ以上ないわかりやすさで露呈された事件と言える。