2020年02月05日

神戸

今日は、2月5日、26聖人が、殉教した日です。
飛行機で、羽田から、行きます。神戸経由で、初めての神戸です。
鎖国が、終わって、開かれた五港は、一つは、神戸。そして、長崎、札幌、新潟、横浜。
だったような?そういえばみんな、ちょっと、洒落たところがあるような。
今回、神戸にちょっとよって、すべて行ったことになりました。
写真は、神戸空港ラウンジです。T
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2020年02月03日

長崎 (4)

4000人の人々の前で、26人の彼らは命を取られていきました。豊臣秀吉が、見せしめのために、そして、キリシタンを恐れさせるため、その西坂という丘の上でその処刑がなされたと言われています。なぜなら、やり長崎は、キリシタンが多かったから、さらに外から来る者たちのことも考えてです。
 私が、最初に、長崎に行ったのは、三十数年前でした。その頃は、その丘から港の方を見ると、はっきりと海が見えていました。ですから、400年前の当時も、船でくる外国からのものたちにも、はりつけで処刑された
26人の十字架がはっきりと船から見えたはずです。秀吉は、そうすることで、外から来る者たちも恐れさせようとしたと言われています。
 ところが、その西坂において、何が起こったかというと。十字架にはりつけられた26人の者たちの中には12歳、13歳の少年も含まれていましたが、彼らから始まって神に対する賛美がなされ、それは、4000人の人々の大合唱につながったと言われています。今、殺されようとしているその中で、賛美がなされ、はりつけにされている彼らには、恐れではなく微笑みががあったのです。そして、西坂はまるで天国が降りてきたかのような一時であったと言われています。
 このように言いますと、なぜ、そうだったことがわかるのか、400年前のことで、どうしてそう思うのか。語り継がれた、お話も創作ではないか。
 しかし、その26人の殉教の後の事実から、話が本当であったと推察されます。殉教後、たくさんのキリシタンが増えたのです。長崎でも、そして、日本全体においても。しかも、京都以北には、進められていなかった宣教が、この殉教後、進められていったのです。4000人の中には信じていなかった人も多かったにもかかわらず、信じる人々が多く起こされたと言われています。実際に、この後、キリシタンがたくさん増えた事実残っています。
 戦国時代から間もないこの時代、多くの人々がいくさで、苦しんでいた不安定な時代。今、命を奪われようとしている26人の人々をとうして、何が確かなものなのかが、この西坂で、明らかにされていったのです。その歴史が、この丘には刻まれているのです。
 今年も、殉教記念の聖会と、殉教記念のツアーがあります。
posted by hutarip at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史

2020年02月01日

長崎 (3)

82B96955-17E3-4A2F-9BE6-B7A4ED5977E0.jpeg 織田信長の時代は、クリスチャンにとって良かったわけですね。ところが、やはりその信長も、本能寺の変で、取り去られ、急な変動の時代は続くわけです。こんな時代だからこそ、普遍的な、変わらないものが人々に求められていたのだと思います。彼らもまた、本当に変わらないものを求めていた方々だったと思うんですね。
 ところが、豊臣秀吉の時代になって、クリスチャンへの迫害が始まるようになったのです。そして、彼らは、日本で、初めての殉教者となっていきました。24人の方々は、京都で捕らえられ、二人の方々は、長崎まで行く間に、加わっていきます。彼らは、決して、キリストを信じることをやめようとしませんでした。彼らは、たとい命が奪われようとも、大きな愛で愛されていることを疑おうとはしませんでした。そして、命を投げ打って、天国の存在と、キリストを信じることの素晴らしさを、語り表現して、喜びつつ殉教して行ったのです。その時、その殉教地の西坂には、4000人の人々がいたと伝えられています。
posted by hutarip at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史

長崎 (2)

 F89B22DE-4E1E-4B70-8C31-5296AB1E59C9.jpegたまに、長崎に、行ってますが、なんか異国に来た感じがあるんですね。そして、ところどころに、歴史が残ってるんですね。こんな観光地の名所の人物になってしまった26人の方々とはどういう人たちだったのでしょう。400年前ってどんな時代だったんだろうって、思うんでちょっと書きます。
 世は戦国時代ですね。織田信長が、天下を統一しようと力を伸ばしてきた時です。織田信長は、決して、力がある大名ではなかったはずです。ところが、新しい武器を用いて、圧倒的な勝利を勝ち得たことで有名です。それは、長篠の戦いです。鉄砲隊を3班に分けての連射戦術と、馬防柵で、武田勝頼の騎馬軍団を圧倒的に打ち破ります。武田の騎馬隊は、非常に強力な軍隊であったにもかかわらず、織田信長の鉄砲を用いた特別な戦術で打ち破られてしまいます。これに象徴するように、織田信長は、新しい武器、新しい知識、新しい文化を取り入れ、興味を持ったのです。戦国時代に、新しいものを取り入れる、武将が力を持って現れたわけです。百姓だった、豊臣秀吉が、取り立てられ出世して行ったのも、実質的に優れたものを見抜き取り入れる、信長の元だったからこそ、そのように出世することができたのです。そして、戦国の下克上が、起こる時代。力関係が、急に変わる時代で、変動が激しい時代でした。
 その時に、キリスト教が日本に入り、その文化を信長が気に入っていったわけです。
 新しいキリスト教が、新しい文化が広がっていった時代、26人のうちの日本人の彼らはクリスチャンになっていきました。その時代に、26人のうちの宣教師の方々が日本にやってきたのです。
 
posted by hutarip at 10:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史

2020年01月31日

もうすぐ長崎へ

6233FD7C-85B0-41F1-95D9-29DE1C39FD4A.jpeg 来週は、長崎に行きます。長崎では、26聖人と言われる、殉教した26人のカトリックの方々の殉教地があります。西坂という、長崎駅前から歩いて10分ぐらいのところにあります。観光地になって、レリーフなどもあります。そこに行ってきます。
 長崎は、とてもいいところです。坂が多いんですね。ある意味眺めがいいところが多いです。
 カソリックの教会が多いです。長崎は是非オススメですね。
 
 26人の殉教者とは、日本で初めて殉教した26人のカソリックのクリスチャンの方々です。
 彼らは、約400年前、豊臣秀吉の頃の方々です。その頃キリスト教は、まだ九州から京都までしか、伝わってなかったということです。彼らは、何も悪いことはしていなかったのですが、ただキリストを信じていただけで捉えられ、殺されてしまいました。

 でも、彼らは喜んでいました。殉教というと暗いイメージがあるかもしれませんが、私も最初に、長崎に行って、この殉教地に行った時、そして祈った時、本当に喜びを感じました。不思議な所です。天国を感じる場所であると言っていいと思います。普通、処刑場なんていう所は、おどろおどろしいものだと思います。でもここはは違うんですね。特別な平安や、喜び、光、栄光を思わせる所ですと、表現します。素晴らしい所ですよ。
 
posted by hutarip at 09:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史
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