2017年11月22日
国会中継みてたら(;^_^A何故か達川思い出した
デッドボール詐欺 達川光男 プロ野球の歴史
名演技思い出す(-_-;)
達川光男―
1973年―
春の選抜甲子園にて、「怪物」江川卓擁する作新学院をささやき戦術を駆使して準々決勝にて破る。
プロ入り後もレギュラー級としては少し物足りぬ打撃ではあったが、
それを補って余りあるリード能力と明るさを買われスタメン捕手として広島東洋カープで台等。
そうして出場機会の増加に伴い懸念だった打撃も開眼。
危険球が左腕をかすめたのに右腕を主審に掲げて死球を得るというマラドーナな領域にまで成長。
こういったクレバーさは打撃、リードだけには留まらず契約交渉にも及んだ。
――ワシが広島で最初の2000万円捕手になるんじゃ――
自信を深めた達川さんは、
そう意気込んでシーズンオフの契約交渉に臨んだ。
――達川、来期のお前の年俸は1980万円!2000万にすると税金の区切りが悪くてお前の手取りが減るんだ。これはあくまでも税金対策だからな。――
広島球団は今も昔も契約更改において手強い。日本球界最強ではないだろうか。
2000万円を要求する達川さんに対し土俵際で踏みとどまった。
――この20万を足すけん、ワシの年俸ば2000万にしてくれんかの?文句はないじゃろ。――
達川さんは予め用意していた20万円をゆらりと財布から取り出しながら言い放った。
難攻不落の広島球団も達川光男のあまりに実戦的な作戦の前に崩れ落ちたのだった。
こうして、
広島カープ初の2000万円捕手・達川光男が誕生したのだ。
その躍進の原動力となったのは、リードもさることながら、
先日のコラムでも軽くなでた卓越した偽装死球技術。
―騙しの達っちゃん―
―グラウンドの詐欺師―
さほど時を必要とせず達川さんは畏敬の念を込めてそう呼ばれるようになっていた。
ハーフスイングを主審の死角を利用してごまかす―
人呼んで忍者打法を3年の歳月をかけて完成させ猛威をふるっていた―
東のグラウンドの詐欺師・球界の詐欺師こと大洋ホエールズ(現在の横浜ベイスターズだよ)・市川和正捕手とは、
同年代・同一リーグ・同一ポジションであり、
意識しあってお互いを高みに導こうと切磋琢磨した強敵(とも)であったのだ。
ここで、
達川光男選手が用いた偽装死球技術・創死球技術、
いわいるデッドボール詐欺の手口を紹介しておこう。
1 内角にそれなりに危なそうな球が通過―
2 とりあえず静かに一塁へ走り出す―
3 当然のごとく主審に止められる―
4 振り向きざま鬼の形相で死球をアピールする―
この技術は発案実行当初においてものの見事に成功した。
達川、死球を量産―
しかし、審判団の研究は凄まじいスピードで進み―
ついには達川さんの演技を誰も相手にしなくなったのだった。
だが、達川さんは研究合戦で更に上回った―
1 内角にそれなりに危なそうな球が通過―
ここまでは、初期に見られたデッドボール詐欺と同様であったのだが―
ここで、おもいっきり痛がる素振りをいれたのだ。
これがまた狡猾なことに猛烈に痛がる素振りをすると同時に、
ボールが着弾したことにする仮患部を赤くなるまで搔き毟ったのだ。
それが自然な流れの中で刹那のうちに行われ―
赤くなった仮患部を主審に、
――これみてみんかい、どうじゃ?あたっとるのう――
と見せつけて死球を得る。
新型のデッドボール詐欺はまたも猛威をふるったのだ。
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