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2019年03月30日
阪神開幕サヨナラ勝ち\(^o^)/
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阪神開幕サヨナラ勝ち\(^o^)/若い選手ベテランの頑張り素晴らしい(;'∀')今日もワクワクするわ
◇セ・リーグ 阪神2―1ヤクルト(2019年3月29日 京セラD)
阪神は延長11回、ヤクルト・石山の暴投で三塁走者がホームイン。サヨナラ勝ちで開幕戦を制した。
【写真】6回、ルーキーの近本は右中間に適時三塁打を放つ【写真】6回、ルーキーの近本は右中間に適時三塁打を放つ
7回以降両軍投手が踏ん張り、1―1の同点のまま延長戦へ。迎えた11回、阪神は無死から代打・鳥谷が右中間に3塁打を放ちチャンスメイク。木浪は倒れるが、近本の場面で投手・石山がワイルドピッチ。三塁走者の代走・江越がホームインし勝負を決めた。
ヤクルトは先発小川の好投で接戦に持ち込むも、阪神投手陣を捉えきれず。青木が5打数4安打で奮闘したが生かせなかった。
▼阪神・矢野監督(12球団で新人唯一の白星発進) 「ちょっと騒々しい勝ち方でしたけど、何でもいいです、勝てたので。本当にね。手に汗を握りながら、緊張しながら見ていました。本当に俺は信じるしかできないけど、信じた結果というか、頑張ってくれということしかできなかったけど、みんながそれぞれ頑張ってくれた。どんな形でも勝てたのは、一生忘れない1勝になると思います」
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2019年03月29日
萩原健一しょうけん安らかに
2019年03月25日
美し過ぎると評判の貴景勝の母・純子さん
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貴景勝よく頑張った大関確定おめでとう!!栃ノ心怪我直して大関復帰してやぁ〜(^-^;
◆大相撲春場所千秋楽 ○貴景勝(押し出し)栃ノ心●(24日・エディオンアリーナ大阪)【写真】美し過ぎると評判の貴景勝の母・純子さん
関脇・貴景勝が、新大関を決定的にした。体の小さかった少年が、22歳で夢の横綱への第一歩を踏み出した。成長の裏には、息子の可能性を信じ、厳しく、そして優しく、愛情を注いだ両親の姿があった。今場所何度も会場に足を運び見守り続けた父・一哉さん(57)と母・純子さん(52)が、スポーツ報知に手記を寄せた。
〈父・一哉さん〉 大関昇進が決定的だと聞き、うれしい。おめでとう。平成で身長170センチ台初の大関を見てみたかった。これで背が小さい力士も勇気付くと思う。貴信の活躍で、たくさんの人が喜んでくれている。ありがたいことです。
〈母・純子さん〉 今まで生きてきた中で、一番幸せな日になりました。心からおめでとうと言いたい。会場には初日から通い続けてました。勝ち越しを決めた日。周りに気付かれないように、車に乗ってからそっと私を呼んでくれたね。「おめでとう」って伝えることができてうれしかった。相撲中継で、いつも「あの頭ひとつ分(身長が)低いのが、貴景勝関です」って紹介される。その度に胸が締め付けられました。死ぬまで言われるのかな、申し訳ないなあ、私の家系が小さかったから似たのかなと。小さい頃から、ぶら下がり健康器で「寝る前に10秒!」とか一生懸命やっていたんですけどね。
〈父〉 昔から、夫婦2人で教育熱心でした。貴信にはズバ抜けた運動神経と闘争心があったから、私は勉強して大学に行くのはもったいないと思った。イチロー選手や大谷翔平選手が一般企業に就職してもと思うんですよ。相撲を始めるからには、じゃあ横綱、大関を目指そうと。子供には思い切った事をやらせたいと思っていました。
〈母〉 おなかにいる時から、強い子に育ってほしいと総額で70万円くらいの教材を買って、胎教もやりました。2歳からは(計算トレーニングの)カードも見せたり。私は何も特技がないから普通に大学行って、働いた。だから子供には、特技を見つけて伸ばしてあげたいとの思いでした。でもスポーツで食べていくのは、ハナから無理だと決め付けていた。勉強して良い大学行って、幸せな家庭を築いてもらいたいというのが希望でした。
〈父〉 スポーツと勉強で、教育方針は家内と真逆で、よく夫婦げんかもしました。小学校は(私学の)仁川学院小でしたが、あとで先生から聞かされました。東大医学部に進学した同級生が「貴信の方が頭良かった」と言っているってね。
〈母〉 本当に何でも、一生懸命頑張る子でした。小学1年生で塾を3つ掛け持ちして、宿題が追い付かなくても夜中の1時まで勉強していました。小学生の時は、空手だけじゃなくてサッカーも野球も水泳もやっていた。サッカーは、全部1人でドリブルするから試合にならなかったけど(笑い)。空手から帰宅し、ご飯を食べて勉強。でも体調を崩すなどストレス症状が出て、もう勉強はやめようって。それからサポートに徹しました。相撲を始めてからは体を大きくするために毎晩、肉を1キロ買ってきて、味もトマト、チーズ、キムチと変えながらちゃんこ鍋を作りました。量が多く、最後は私が口に放り込んでたのが懐かしいです。
〈父〉 小学校の時は、保存容器にご飯4合を詰めて持たせていました。昼休みが終わるまで、1人で食べていたそうです。
〈母〉 あの子は私たち両方に喜んでもらいたいと思って、ずっと頑張ってきました。今も、頭から当たるから心配だけど…。でも貴信を見て、小さいから相撲は無理だと思ってる子も、チャレンジしてほしいなと思います。
〈父〉 私も含め、埼玉栄高の山田道紀先生も、(前師匠の)貴乃花親方も、熱心な人ばかり。だから期待に応えようとする。それが貴信の人生。現役の間はファンのために頑張って、これからも精いっぱい相撲を取るべきです。貴信は、まだまだやれる。だから横綱を目指さないといけない。
◆愛される力士になってほしい
観戦した日は全て負けていたという父・一哉さんはこの日、「情けなかった。最後に勝てて良かった」と胸をなで下ろした。母・純子さんは場所中に携帯電話のメッセージで連絡を取り合った。その際に「大関になる」という決意が送られてきたという。「愛される力士になってほしい。プレッシャーが続くので体が心配」とおもんぱかった。
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2019年03月24日
凄い投手現れた(^-^;阪神に、きてほしいなぁ〜152q変化球も、素晴らしい(^-^;阪神に、来てぇー
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凄い投手現れた(^-^;阪神に、きてほしいなぁ〜152q変化球も、素晴らしい(^-^;阪神に、来てぇー
【センバツ】星稜・奥川、自己最速152キロを記録…履正社を17K3安打完封
[caption id="attachment_3634" align="alignleft" width="256"] 出会えるよ💛[/caption]
スポーツ報知/報知新聞社 履正社から17奪三振で完封勝利を飾った星稜・奥川(カメラ・渡辺 了文)
◆第91回センバツ高校野球大会第1日 1回戦 星稜3―0履正社(23日・甲子園)
平成最後の甲子園が開幕し、“ビッグ4”の一角、星稜・奥川恭伸投手(3年)が奪三振ショーを披露した。優勝候補同士の激突となった第3試合で、星稜(石川)が履正社(大阪)に快勝。奥川は自己最速を2キロ更新する152キロをマークし、強力打線から歴代10位タイの17三振を奪って3安打完封した。昨秋から続けている公式戦での自責点ゼロも60回1/3に伸ばし、集まった日米15球団のスカウトの視線をくぎ付けにした。
意のままに聖地を支配した。奥川は初回先頭の2球目に自己最速タイ150キロを投じると、4球目のファウルで151キロに更新。巨人のスピードガンではセンバツ史上3位タイの152キロをはじき出した。松坂大輔も大谷翔平も超えた怪物右腕は「どよめきを感じた。雰囲気を味方につけるのはいいこと」。平成最後の甲子園初戦で、4万1000人の歓声が心地よく響いた。
17年準Vの履正社打線に歴代10位タイで自己最多の毎回17奪三振。自ら驚きながら「いい形で取れた」。3季連続初戦突破を散発3安打1四球の甲子園初完封で飾り、「初めては何でもうれしい」と笑った。
打者と局面に応じ、直球でも130キロ台に、スライダーの曲がりを変え、フォークもチェンジアップ気味と投げ分けた。常時セットポジションからクイックの緩急も交えた。「賢い投球、大人の投球をできれば」という試合前のイメージを有言実行。「押すところは押して、引くところは引けた」。昨秋の石川県大会準々決勝(金沢戦)の9回に失点後、公式戦の連続自責0を9試合60回1/3に伸ばした。
日米15球団は称賛の嵐。巨人・長谷川スカウト部長は「マエケンみたい。高校時代を比べれば、奥川の方が上。上体が柔らかく、内角直球、外のスライダーの組み立てが上手。ステップが小さいから球に角度もつく。スピードガン以上に速く見える。(ドラフトの)1位12人に? 十分入る可能性はある」と評した。
昨年は春8強から臨んだ夏の甲子園の2回戦(済美戦)で右ふくらはぎがつり4回降板。延長13回タイブレークの逆転サヨナラ満塁弾に泣いた。この日は2点リードの8回2死一、二塁でマウンドに集まり、手を左胸に当て、人さし指を突き上げた。奥川は「夏に苦い思いをした。ピンチでも腕を振れた」。空振り三振で悪夢を払った。
女房役の山瀬慎之助主将と並んだお立ち台には、「先に行って」と譲るしぐさを見せた。林和成監督(43)は「騒がれてもテングにならない。松井さんと同じような性格。常に謙虚」。1学年上で三遊間を組んだゴジラ先輩と重なった。(山崎 智)
◆奥川 恭伸(おくがわ・やすのぶ)2001年4月16日、石川・かほく市生まれ。17歳。宇ノ気小2年で野球を始め、宇ノ気中3年時に全国中学校軟式大会優勝。星稜では1年春からベンチ入り。2年春夏の甲子園に出場し、夏に150キロをマーク。昨年2年生で唯一、U―18日本代表入り。趣味は釣り。好きなプロ野球選手は田中将大(ヤンキース)。50メートル6秒5。遠投100メートル。183センチ、82キロ。右投右打。家族は両親と兄。
〇…日本ハムで2軍調整中の高卒新人・吉田輝星、柿木蓮両投手(ともに18)が、昨年のU―18日本代表でチームメートだった星稜・奥川にエールを送った。「優勝できるんじゃないかな。(当時から)高2の球ではなかったです」と輝星。柿木は大会前に連絡を取りLINEで「優勝しろよ」と激励した。「(母校の大阪)桐蔭も出てない。絡みがあるのも奥川くらいなので応援したい」と期待した。
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2019年03月23日
朝阪神“本拠地”大阪で改名後初の勝ち越し「六甲おろしを歌えます」\(^o^)/
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朝阪神よく頑張った(^-^;阪神も頑張らなあかんわ(^-^;
大相撲春場所・14日目」(23日、エディオンアリーナ大阪)
大好きな阪神タイガースをしこ名にする東序二段58枚目の朝阪神(18)=高砂=が豪傑山(芝田山)を押し出して、4勝3敗として“本拠地”大阪で改名後初の勝ち越しを決めた。大阪府泉大津市出身で幼少期よりプロ野球・阪神の大ファン。昨年春場所、朝塩本から改名した。
立ち合いから圧力をかけ押し込み、相手をよく見て電車道で決めた。「同期で大阪で小、中学生から知っている。負けたくない相手だった。前に出られたので良かった」と会心の内容で締めた。
改名した昨年春場所は3勝4敗で負け越し。今場所は3勝1敗と“貯金2”から連敗し五分に。「流れ的に悪いと思った。六番相撲で負けて焦った。今回もやばいと思ったけどちょっとずつ成長しているのかな」と手応えをつかんだ。この1年で体重も10キロ近く増え143キロ。徐々に前に出る力も付いてきた。
今場所前は久々に甲子園を訪れ、オープン戦の阪神戦を観戦。「やっぱり甲子園はいい」と虎パワーを注入した効果が出た。
“本家”は22日までオープン戦4勝10敗1分けで12球団最下位。「開幕も近いしちょっとでもはずみになれば。阪神に頑張ってほしい」とエールを送った。今季注目選手には藤浪晋太郎投手、新人の木浪聖也内野手、植田海内野手を挙げた。
改名後、2度勝ち越しはいずれも東京開催場所。千秋楽パーティーで「六甲おろし」を歌ったが、やはり阪神の地元で歌うことが念願だった。「これで大阪で六甲おろしを歌えます」と、猛虎愛全開に喜んだ。
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2019年03月22日
イチロー引退
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イチローお疲れ様でした(^-^;
大リーグ・マリナーズのイチロー外野手(45)=本名・鈴木一朗=が21日、プロ野球選手としての第一線から引退することを表明した。この日、東京ドームで行われたアスレチックスとの開幕第2戦に9番右翼で先発出場したイチローは、4打数無安打で8回裏に守備についた直後に交代。その際には、超満員の観衆から大きな拍手を受け、チームメイトから抱擁を受けた。菊池雄星投手や愛弟子のディー・ゴードン内野手が涙する様子もテレビで放送された。
一方、試合終了後に開かれた記者会見では「(引退後は)監督はない。人望ないから」「草野球を極める」といった“イチロー節”を展開し、集まった報道陣を笑わせた。また、現役生活に思い残したことを聞かれた時には「あろうはずがない。積み重ねることでしが、後悔を生まないとういことはありえない」と、地道な鍛錬を積み重ねて大記録を打ち立ててきた孤高のバットマンらしい回答も。会見は1時間25分におよび、「子どもたちへのメッセージ」「今後の過ごし方」「家族について」など、記者たちの質問に答えた。
引退会見では涙を流す選手が多いが、イチローは引き際も“今までに存在したことのない”選手だった。現役生活の最後に、スーパースターは何を語ったのか。全文掲載する。
* * *
──(司会)まずは、イチロー選手からみなさまへご挨拶がございます。
こんなにいるの? びっくりするわ。そうですか。
こんな遅い時間にお集まりいただいて、ありがとうございます。
今日のゲームを最後に、日本で9年、アメリカで19年目に突入したところだったんですけど、現役生活に終止符を打ち、引退することとなりました。
最後にこのユニフォームを着て、この日を迎えられたことを大変幸せに感じています。この28年を振り返るには、あまりにも長い時間だったので、ここで一つ一つ振り返ることはは難しいこともあって。これまで応援していただいた方々への感謝への思い、そして球団関係者、チームメイトに感謝申し上げて、みなさんからの質問があれば、できる限りお答えしたいと思っています。ありがとうございました。
──現役としての選手生活に終止符を打つタイミングと理由は。
タイミングはキャンプ終盤ですね。日本に戻ってくる何日前ですかね。何日前とははっきりとお伝えできないですけど、終盤に入った時です。もともと日本でプレーする、東京ドームでプレーするところまでが契約上の予定だったということであったんですけど、キャンプ終盤でも結果を出せずに、それを覆すことができなかったということです。
──今、その決断に後悔や思い残したところは。
今日の球場の出来事、あんなもの見せられたら後悔などあろうはずがありません。もちろん、もっとできたことはあると思いますけど、結果を残すために自分なりに重ねてきたこと。他人より頑張ったということはとても言えないですけど、自分なりに頑張ってきたとははっきりと言えるので。これを重ねてきて、重ねることでしか後悔を生まないということはできないのではないかなと思います。
──子供達にメッセージをお願いします。
シンプルだな。メッセージかー。苦手なのだな、僕が。
野球だけでなくてもいいんですよね、始めるものは。自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つければそれに向かってエネルギーを注げるので、そういうものを早く見つけてほしいと思います。
それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁にも、壁に向かっていくことができると思うんです。それが見つけらないと、壁が出てくるとあきらめてしまうということがあると思うので。いろんなことにトライして。自分に向くか向かないかよりも、自分の好きなものを見つけてほしいなと思います。
──いま思い返して、印象に残っているシーンは。
今日を除いてですよね。この後、時間がたったら今日が一番真っ先に浮かぶのは間違いないと思います。それを除くとすれば、いろいろな記録に立ち向かってきたんですけど、そういうものは大したことではないというか。
自分にとって、それを目指してやってきたんですけど、いずれそれは僕ら後輩が、先輩達の記録を抜いていくというのはしなくてはいけないことでもあると思うんですけど、そのことにそれほど大きな意味はないというか。そんな風に今日の瞬間を体験すると、すごく小さく見えてしまうんですよね。その点で、たとえば、わかりやすい10年200本打ったとか、MVPをとったとか、オールスターでどうたらというのは、本当に小さな事にすぎないと思います。
今日の舞台に立てたということは、去年の5月以降、ゲームに出られない状況になって。その後にチームと一緒に練習を続けてきたわけですけど、それを最後まで成し遂げられなければ、今日のこの日はなかったと思うんですよね。今まで残してきた記録はいずれ誰か抜いていくとは思うんですけど、去年の5月からシーズン最後の日まで、あの日々はひょっとしたら誰にもできないことかもしれない。ささやかな誇りを生んだ日々であったと思うんですよね。去年の話だから近いということもあるんですけど、どの記録よりも自分の中では、ほんの少しだけ誇りを持てたことかなと思います。
──ファンの存在はイチロー選手にとってどうだったか。
ゲーム中にあんなことが起こるとはとても想像していなかったですけど、それが実際に起きて、19年目のシーズンをアメリカで迎えていたんですけど、日本のファンの方の熱量というのはふだん感じることは難しいんですよね。久しぶりに東京ドームに来て、ゲームは基本的に静かに進んでいくんですけど、なんとなく印象として日本人は表現するのが苦手というか。そんな印象があったんですけど、それが完全に覆りましたね。内側にある熱い思いが確実にあるということ、それを表現したという時のその迫力というものが、今まで想像できなかったことです。
ですから、これは最も特別な瞬間になりますけど、ある時までは自分のためにプレーすることがチームのためになるし、見てくれる人も喜んでくれるかなと思っていたんですけど、ニューヨークに行った後ぐらいからですかね。人に喜んでもらえることが一番の喜びに変わってきた。その点で、ファンの方の存在なしには、自分のエネルギーはまったく生まれないと思います。え、おかしなこと言ってます、僕? 大丈夫ですか?(会場笑)
──イチロー選手が貫いたものとは。
野球のことを愛したことだと思います。これは変わることはなかったですね。おかしなこと言ってます、僕? 大丈夫?(会場笑)
──ケン・グリフィーJr.が肩の力を抜いた時に違う野球が見えて楽しくなるという話をされたんですけど、そういう瞬間はあったのか。
プロ野球生活の中ですか。
──はい。
ないですね。これはないです。
ただ、子供の頃からプロ野球選手になることが夢で、それが叶って。最初の2年、18、19の頃は1軍に行ったり来たり。「行ったり来たり」っておかしい? 行ったり、行かなかったり? 行ったり来たりっていつも行ってるみたいだね。1軍に行ったり、2軍に行ったり。そうか、これが正しいか。そういう状態でやっている野球はけっこう楽しかったんですよ。
1994年、3年目ですね。仰木監督と出会って、レギュラーで初めて使っていただいたわけですけども。この年までですね、楽しかったのは。あとはその頃から急激に番付を上げられちゃって、それはしんどかったです。やっぱり力以上の評価をされるというのはとても苦しいですよね。だから、そこからは純粋に楽しいなんていうのは、やりがいがあって達成感を味わうこと、満足感を味わうことはたくさんありました。じゃあ、楽しいかというとそれとは違うんですよね。
でもそういう時間を過ごしてきて、将来はまた楽しい野球をやりたいなと。これは皮肉なもので、プロ野球選手になりたいという夢が叶った後は、そうじゃない野球をまた夢見ている自分がある時から存在したんですね。でもこれは、中途半端にプロ野球生活を過ごした人間には待っていないもの。たとえば草野球ですよね。やっぱりプロ野球でそれなりに苦しんだ人間でないと、草野球を楽しめないのではないかと思うので。これからは、そんな野球をやってみたいなという思いですね。おかしなことを言ってます、僕? 大丈夫?
──開幕シリーズを大きなギフトとおっしゃっていました。それが私たちの方が大きなギフトをもらったような気がするんです。
そんなアナウンサーっぽいことを言わないでくださいよ。
──イチロー選手は、これからどんなギフトをくださるんでしょうか。
ないですよ。そんな無茶言わないでくださいよ。でも、これは本当に大きなギフトで、去年、3月の頭にマリナーズからオファーをいただいて、それから今日までの流れがあるんですけれども、あそこで終わってても全然おかしくないですからね。去年の春までで終わっていてもまったくおかしくない状況ですから。今、この状況が信じられないですよ。
あの時考えていたのは、自分がオフの間、アメリカでプレーするまでに準備をする場所というのは神戸の球場なんですけど、寒い時期に練習するので、へこむんですよね。やっぱ心が折れるんですよ。そんな時もいつも仲間に支えられてやってきたんですけど、最後は今まで自分なりに訓練を重ねてきた神戸の球場で、ひっそりと終わるのかなあと、あの当時想像していたので、夢みたいですよ。こんなの。これも大きなギフトです。質問に答えていないですけど、僕からのギフトはないです。
──涙がなく笑顔が多かったというのは、この開幕シリーズが楽しかったということでしょうか。
純粋に楽しいということではないんですよね。やっぱり、誰かの思いを背負うというのは、それなりに重いことなので。そうやって一打席一打席立つことって簡単ではないですね。だから、すごく疲れました。
やっぱり一本ヒットを打ちたかったし、応えたいって当然ですよね、それは。僕には感情がないって思っている人いるみたいですけど、あるんですよ。意外とあるんですよ。結果を残して最後を迎えたら一番いいなと思っていたんですけど、それでもあんな風に球場に残ってくれて。まあ、そうしないですけど、死んでもいいという気持ちはこういうことなんだろうなと。死なないですけど。そういう表現をする時ってこういう時なのかなと思います。
──最低50歳まで現役とおっしゃっていましたが、日本のプロ野球に戻るという選択肢はなかったのでしょうか。
なかったですね。
──どうしてでしょう。
それはここでは言えないなあ(会場笑)。最低50歳までって本当に思っていたし、それは叶わずで、有言不実行な男になってしまったわけですし。その表現をしてこなかったらここまでできなかったかもなという思いもあります。だから、言葉にすること、難しいかもしれないけど言葉にして表現するというのは、目標に近づく一つの方法ではないかなと思います。
──野球に費やしてきた膨大な時間、これからそういう膨大な時間とどういう風に付き合いますか。
これからの膨大な時間ということですか。それとも、これからの膨大な時間とどう付き合うかということですか。
──これからの膨大な時間をということです。
ちょっと今はわからないですね。ただ、たぶん明日もトレーニングをしていますよ。それは変わらないでしょうね。僕はじっとしていられないから。動き回っているでしょうね。だからゆっくりしたいとか全然ないですよ。全然ない。たぶん動き回ってます。
──イチロー選手の生き様でファンの方に伝わっていたらうれしいということはありますか。
生き様というのは僕にはよくわからないですけど、生き方と考えれば、さきほどもお話しましたけれども、人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。
あくまで測りは自分の中にある。それで自分なりにその測りを使いながら、自分の限界を見ながらちょっと超えていくということを繰り返していく。そうすると、いつの間にかこんな自分になっているんだという状態になって。
だから少しずつの積み重ねが、それでしか自分を超えていけないと思うんですよね。一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので。地道に進むしかない。進むというか、進むだけではないですね。後退もしながら、あるときは後退しかしない時期もあると思うので。でも、自分がやると決めたことを信じてやっていく。
でも、それが正解とは限らないわけですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど。でも、そうやって遠回りをすることでしか本当の自分に出会えないというか、そんな気がしているので。そうやって自分なりに重ねてきたことを、今日のゲーム後のファンの方の気持ちですよね。ひょっとしたらそんなところを見ていただいていたのかなと。それはうれしかったです。そうであればうれしいし、そうじゃなくてもうれしいです。あれは。
──シンプルに聞きますが、現役選手を終えたら、監督や指導者になったり、タレントになったりしますが。
あんまりシンプルじゃないですね(会場笑)。
──イチロー選手は、何になるんですか。
何になるんだろうね。そもそもカタカナのイチローってどうなるんですかね。「元カタカナのイチロー」みたいになるんですかね。あれ、どうなんだろ。「元イチロー」って変だよね。いやイチローだし、僕。音が一朗だから。書くときどうなるのかな。どうしよっか。何になる。うーん……。でも監督は絶対無理ですよ。絶対がつきますよ。人望がない。本当に。人望がないですよ、僕。
──そうでもないと思いますけど。
いやあ、無理ですね。それぐらいの判断能力は備えているので。ただ、どうでしょうね。
ま、プロの選手、プロの世界というよりも、アマチュアとプロの壁というのが日本は特殊な形で存在しているので。今日をもってどうなんですかね。そういうルールって。どうなんだろうか。今までややこしいじゃないですか。
たとえば極端に言えば、自分に子供がいたとして、高校生であるとすると、教えられなかったりというルールですよね。そういうのって変な感じじゃないですか。今日をもって元イチローになるので、それは小さな子供なのか、中学生になのか、高校生になのか、大学生になるのかはわからないですけど、そこには興味がありますね。
──さきほど引退を決めたのがキャンプの終盤という話がありましたけど、それ以前に引退を考えたことは。
引退というか、クビになるんじゃないかはいつもありましたね。ニューヨークに行ってからは毎日そんな感じです。マイアミもそうでしたけど。ニューヨークってみなさんご存知かどうかわからないですけど、特殊な場所です。マイアミも違った意味で特殊な場所です。毎日そんなメンタリティーで過ごしていたんですね。クビになる時はまさにその時だろうと思っていたので、そんなのしょちゅうありました。
──今回、引退を決意した理由とは。
マリナーズ以外に行く気持ちはなかったということは大きい。去年、シアトルに戻していただいて本当にうれしかった。先ほどキャンプ前のオファーがある前の話をしましたけど、その後、5月にゲームに出られなくなる。あの時も(引退の)タイミングでおかしくないんですよね。でも、この春に向けてまだ可能性があると伝えられていたので、そこも自分なりに頑張ってこられたということだと思うんですけど。質問なんでしたっけ?
──引退を決めた理由は。
もう答えちゃったね。
2019年03月21日
“逆転の紀平”再び SP痛恨7位…首位ザギトワと11・18点差も諦めない!(^-^;
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紀平梨花カワ(・∀・)イイ!!頑張れ
「フィギュアスケート・世界選手権」(20日、さいたまスーパーアリーナ)
今季の国際大会6戦全勝で初出場優勝を目指す紀平梨花(16)=関大KFSC=はトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を失敗し、70・90点で7位と出遅れた。平昌五輪金メダリストのアリーナ・ザギトワ(ロシア)が82・08点で首位発進した。女子フリーは22日に行われる。
空中で回転がほどけたその瞬間、ため息が大きな会場にこだました。冒頭のトリプルアクセルはまさかの1回転に。その後は全てのジャンプを着氷して演技をまとめたが、曲が終わると紀平は顔をしかめつぶやいた。「もう、また…」。痛恨のミスで首位ザギトワとは11・18点差。7位発進で最終組に残ることすらできなかった。
現行ルールとなった04−05年以降、女子で10点以上を巻き返した例はない。最大逆転は昨年大会、首位と7・54点差の4位から巻き返したオズモンド(カナダ)。8位から2位まで巻き返した例こそあるが、優勝は誰も成し遂げていない。
単純比較はできないが、男子で見れば、17年に羽生がSP5位から10・66点差を逆転。16年にフェルナンデス(スペイン)が12・04点を逆転した例もある。一見、無謀な得点差にも思えるが「とにかく今はやるしかないという気持ち。できる、できないというよりも、もうやるしかない」と紀平。「もっと氷と自分の感覚とを合わせなければいけない」と反省し「今まで逆転できたのはいろんな事を修正できたから。悪かったことを全部克服すればできると思う」と懸命に顔を上げた。
今大会へ向け、母・実香さんとは「五輪には魔物がいる。(22年北京五輪までに)世界選手権で五輪の練習が3回できる」と話し合ってきたという。過度に気負うことはしないが、目の前にあるのはこの世界選手権。数々の逆転劇を生んできた紀平は、奇跡を諦めない。
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2019年03月20日
阪神が5アーチの打線爆発で10点、開幕カードのヤクルトに圧勝(^-^; 大山、糸原、梅野、ナバーロ2発
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阪神は20日、ヤクルトとのオープン戦(神宮)で打線が爆発、5アーチを放ち、9−1で圧勝した。
一回には1死一、二塁から4番大山が左中間に3号3ランを放ち、先制。2死後、ナバーロ、糸原の2者連続ソロアーチで5点を奪った。D3位・木浪聖也内野手(ホンダ)は一回、右前打を放ち、オープン戦17安打とし、高山俊のオープン戦球団新人記録に並んだ。
三回には1死からナバーロが左翼席に2打席連続アーチとなる2ランを放って追加点。さらに2死走者なしから梅野が左翼へソロを放ち、9−1とリードを大きく広げた。
七回には二死1塁から代打鳥谷の右中間適時二塁打で10−1とした。
先発青柳は6回を投げ、4安打1失点(自責点は0)。開幕ローテ入りを確実にした。七回以降は能見、桑原、ジョンソン、藤川が0点に抑えた。
阪神は29日の開幕戦で対戦するヤクルトに勝利。昨年終盤、オープン戦と続いていたヤクルト戦での連敗を11で止め、オープン戦通算4勝8敗1分けとなった。
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堀ちえみ「舌の厚みも徐々に形ができてきました」
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経過順調そうや!良かった\(^o^)/
ちえみ「舌の厚みも徐々に形ができてきました」 2月に6割切除
" src="http://yannpachi1956.hiho.jp/tanuki/wp-content/uploads/2019/02/horichiemi-1-209x300.jpg" alt="" width="209" height="300" />" src="http://yannpachi1956.hiho.jp/tanuki/wp-content/uploads/2019/03/hori.jpg" alt="" width="270" height="227" />" src="http://yannpachi1956.hiho.jp/tanuki/wp-content/uploads/2019/03/babahori-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" />
堀ちえみ
舌がんの手術を受けたタレント・堀ちえみが18日、ブログを更新。言語のリハビリが順調に進み、「舌の厚みも徐々に形が出来て、だんだんと言葉も出しやすくなってきました」と伝えた。堀は2月22日の手術で舌の6割を切除し、太股から移植し再建していた。
17日には初めて外泊許可が出て自宅に戻ったというが、病院の居心地がよすぎて、「入院生活に依存してしまうと、退院するタイミングを逃してしまう」と危機感を覚えたことを明かした。
先生からは、「気管切開を閉じれば今回の術後の治療はお終い」と伝えられ、退院の時期は堀次第であるといい、「自分で退院の目処を設定しないと、いつまでもだらだらと、病院にいてしまいそうです」と焦る心境をつづった。
その上で「早く退院の日を決めないと」「術後の入院生活で私自身がずっと、自分に言い聞かせていたのが『自立』。自分で出来るようになった事は、自分でやる。退院の日も『自立』するという意味で、ちゃんと設定しなければと」と自らに言い聞かせるように記していた。
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2019年03月19日
原因不明の腹痛で入院した鈴
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最後まで出てほしい(^-^;
安藤サクラ主演のNHK連続テレビ小説『まんぷく』(NHK総合/月曜〜土曜8時ほか)の第25週「できました!萬平さん!」(第141回)が19日に放送され、腹痛を起こした鈴(松坂慶子)が倒れるシーンに、ネット上には「ブシムス大ピンチ」「鈴さん退場はやめて」「鈴さんには最終回までいてほしい」などの声が殺到した。
萬平(長谷川博己)と福子(安藤)はまんぷくヌードルの具材となる加工肉を完成させる。すでに決まった具材はネギ、スクランブルエッグ、加工肉。最後に彩りを添える具材を入れたいと、神部(瀬戸康史)が試作中の赤いエビへの期待が高まる。そんなある日、鈴が突然、腹痛を訴えて救急車で病院へ搬送されるのだが…。
福子の家に克子(松下奈緒)がやってきて鈴と3人でそれぞれの近況を報告。克子が「まんぷくヌードル」開発のおかげで神部や岡(中尾明慶)の帰りが遅いことをタカ(岸井ゆきの)や吉乃(深川麻衣)が愚痴っていることを話していると、それを聞いていた鈴は表情を一変させ「ああ!痛っ!お腹が痛い〜」とその場に倒れこんでしまう。
このシーンに視聴者からは「ブシムス大ピンチ」「ぶしむすー!」「鈴、大丈夫か!?」「これは尋常ではない痛がり方、鈴さん…」「ここまできて鈴さん退場はやめて」「いやや!鈴さんには最終回までいてほしいわ!」などのツイートが殺到。
救急車で病院に搬送された鈴。診察した医師は「鈴さんは虫垂炎だと思われますが…まだはっきりしません」と歯切れの悪い一言。福子が「それはどうして?」と質問すると、医師は「ひょっとするとお母さんは内臓が逆転してるのかもしれません」と説明する。このシーンにSNS上には「内臓逆転…とな!?」「驚きの事象の連続」「80年生きてきて、今わかった内臓逆転」などの投稿も寄せられていた。
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