2019年05月15日
元不登校の青年 親に言えなかった 〜親が気を付けるべき重大事〜
不登校の子供を持つ親御さんにとって、非常に参考になる記事です。
私自身も、自分を振り返って、親としての在り方を考えされられました。
以下、引用しながら、考えていきましょう。
こういう「実体験者」も体験談と思い、は、貴重な情報だ。
専門家でも分からなかったことが、こう機会に知ることが出来る。
この勇気ある青年に注目したい。
「何故、不登校になったのか?」である。
大人の論理は、子供には通用しない。
子どもには、子供の論理があるのですね。
不登校になった原因の一例が、下記にあります。
先生が、事実関係をよく確かめもしないで、断定的な言い方をして
生徒を傷つけてしまった例です。
こういう先生は、結構いるのではないでしょうか?
また、先生だけではなく、断定的に否定する「親」「保護者」も
また、少なからずいるでしょう。
反省しなければいけない事なんですが・・・。
子どもにとって、学校では先生が頼りです。
その先生に否定されたのでは、居場所がなくなるのは当然です。
ヤンチャ者たちは、普段の態度を見ていればわかりそうなものですが
この先生には、見えていなかったのでしょね。 残念です。
先生に言われ、ヤンチャ者に狙われ、これでは、学校に行けなくなるのは
無理もありません。
私たちの時代では「ヤンチャ者」もいましたが、「見方をしてくれる友人」も
いたものですが、今では、「見て見ぬふり」をして、自分がターゲットに
ならないようにされる。
この「ヤンチャ者」を取り締まることができないのです。
何故か?
PTAが居るからではないでしょうか?
いわゆる一部の「モンスターペアレント」が怖くて、先生方も
逃げ腰になっているのではないかと、私には思えます。
親が唯一の頼りだけに、話せない。
「否定されるのが怖い」という心理が、子供には起きるのですね。
そうすると、親は、子供の言うことを、
頭から「否定や批判をしてはいけない」ことがわかります。
まず、しっかりと聞いてあげること、が大事そうですね。
こうして「自殺」に走る子供たちが居る。
優しい子供ほど、こういう心境になるのかもしれません。
子供の前で喧嘩するのは良くないことだ、と言うのがわかりますね。
黙って寄り添う。
非常に大事なことに感じます。
親にとって「子供がいるだけで幸せ」と思える生活をしたいですね。
その為には、夫婦仲も「円満」でなければなりません。
「子供に愛情を注ぐ」というのは、こういうことを指すのでしょう。
こういう第三者との出会いは、子供にとって重要です。
親でもなく、先生でもない「赤の他人」。第三者の存在。
親や先生に話せない事でも、第三者の赤の他人になら話せる、
というのは、真実だと思います。
いわゆる「ナナメの関係」です。
親は「縦軸」、先生は「横軸」、第三者は「ナナメ軸」ということです。
この内、気軽に話せるのが「ナナメの関係」であることは、実証されています。
子どもにとっての「親の存在」は、親が考えている以上のものなのですね。
「子どもは親の鏡」とはよく言いますが、まず、親自身が人生を楽しむ事。
それが、子供を元気にすることに繋がる。
非常に有意義な事を学びました。
そうはいってもなかなか難しいですが、そういう親御さんにとって
画期的なシステムがあります。
|高校生の心に、火を灯す授業|キャリア学習プログラム「カタリ場」
「ナナメの関係」を実践する、認定NPO団体です。
BY いいとこどり
私自身も、自分を振り返って、親としての在り方を考えされられました。
以下、引用しながら、考えていきましょう。
元不登校の青年 親に言えなかった学校での出来事
5/13(月) 12:00配信 日経DUAL
元不登校の青年 親に言えなかった学校での出来事
不登校の子の居場所についてリポートする本連載。今回は中学1年生の時から1年半の不登校を経験し、現在25歳の浅見直輝さんに、居場所を求めていた当時の思いや、不登校に悩む親子に向けたこれからの活動について聞きました。高校進学後、偏差値43から猛...
不登校の子の居場所についてリポートする本連載。今回は中学1年生の時から1年半の不登校を経験し、現在25歳の浅見直輝さんに、居場所を求めていた当時の思いや、不登校に悩む親子に向けたこれからの活動について聞きました。高校進学後、偏差値43から猛勉強を経て早稲田大学へ進学した浅見さんは、TEDにスピーカーとして登壇したり、数千名の不登校親子に向けた講演を行うなど、積極的な社会活動を行っています。親からは見えにくい、不登校生の心の中はどのようだったのでしょうか。上下2本に分けてお送りします。
こういう「実体験者」も体験談と思い、は、貴重な情報だ。
専門家でも分からなかったことが、こう機会に知ることが出来る。
この勇気ある青年に注目したい。
「何故、不登校になったのか?」である。
●学校が学ぶ場所ではなく傷つく場所になった
子どもが学校に行きたくないという様子を見せたら、大人はまずそこに必ず理由があるだろうと考えます。その理由を子どもに確かめて、親が介入するべき原因があるならそれを解決して無事に学校に通ってほしい。そう思うのは親として当たり前の感情でしょう。
ところが、学校に行けない理由を明確に話してくれる子どもはあまりいません。取材時、不登校時代の話をしっかりと語ってくれた浅見さんでも、当時はそうだったのだそうです。親に理由を言えない心理とはどういうものなのでしょうか。
「それは僕にとって学校が学ぶ場所ではなくて、傷つく場所になったことがとても大きく影響していたと思います。子どもが学校に行かなくなると、大人は『どうして学校に行かないの?』と思い、子どもに問います。でも、当時の12歳だった子どもの僕にとっては『傷つく場所に行く理由がどこにあるの?』といことだったのです」
大人の論理は、子供には通用しない。
子どもには、子供の論理があるのですね。
不登校になった原因の一例が、下記にあります。
●「おまえは一番の卑怯者だ!」という担任の言葉に耳を疑った
教室で帰りの支度をしていた浅見さんにやんちゃ者たちは「おまえもやっていただろ」と言いがかりをつけてきます。もちろん、浅見さんは一切関わっていません。浅見さんは、彼らの標的となったのです。
「心の中では『何も関係ないのに』と叫んでいたものの、学校にはヒエラルキー的なカーストがあります。もしここで逆らえば、やんちゃ軍団に目を付けられて、この先の中学校生活の中でもっと嫌な目に遭うかもしれない、そんな予測も頭に浮かびました。
結局、僕は何も言い返せず彼らと一緒に生徒指導室に行ったわけですが、そこで先生から耳を疑うような言葉を浴びました。『おまえだけはみんなの前で手を挙げずに、後からコソコソと来やがって。おまえが一番の卑怯者だ!』」
浅見さんは、生徒指導室で担任からの罵声を集中的に浴びせられ、やんちゃ生徒にも先生にも標的にされて、苦しい気持ちでいっぱいでした。
先生が、事実関係をよく確かめもしないで、断定的な言い方をして
生徒を傷つけてしまった例です。
こういう先生は、結構いるのではないでしょうか?
また、先生だけではなく、断定的に否定する「親」「保護者」も
また、少なからずいるでしょう。
反省しなければいけない事なんですが・・・。
「今思うと、担任の先生は日々の業務量が多過ぎて生徒と向き合うゆとりがなかったのかもしれないし、教師として生徒を厳しく律するべきだと考えた結果だったのかもしれません。僕にとっては理不尽な結果でしたが、弁明したところで担任に信じてもらうことは難しそうだったし、『僕じゃありません』と言えば、後からやんちゃ者たちに『チクっただろ!』と言われるのは目に見えていました。
心のどこかで担任に『分かってほしい』と思う気持ちはあったと思いますが、悔しさもむなしさも心の中に封印するしかなく、1年半にわたる僕の不登校はこの事件をきっかけに始まりました」
子どもにとって、学校では先生が頼りです。
その先生に否定されたのでは、居場所がなくなるのは当然です。
ヤンチャ者たちは、普段の態度を見ていればわかりそうなものですが
この先生には、見えていなかったのでしょね。 残念です。
先生に言われ、ヤンチャ者に狙われ、これでは、学校に行けなくなるのは
無理もありません。
私たちの時代では「ヤンチャ者」もいましたが、「見方をしてくれる友人」も
いたものですが、今では、「見て見ぬふり」をして、自分がターゲットに
ならないようにされる。
この「ヤンチャ者」を取り締まることができないのです。
何故か?
PTAが居るからではないでしょうか?
いわゆる一部の「モンスターペアレント」が怖くて、先生方も
逃げ腰になっているのではないかと、私には思えます。
親に理由を言えないのは、拒絶されるのが怖いから
学校を休んで一人ぼっちで家にいる浅見さんの心には、「クラスの人になんて言われているのだろう、みんなに悪口を言われているかもしれない」と、ネガティブな考えが次々と浮かんできます。学校や教室がさらに怖くなっていき、「学校に僕の居場所はないんだ」と思うようになっていました。孤独で、自分には一人も味方がいない、世界中が敵だと思っていたそうです。
「あまりにも僕が変わってしまったので、親は僕が傷付いていることに気づいていたと思います。今振り返ってみると、僕は一人で抱え込んでいた苦しさを親や周囲の人に気付いてほしかったのかもしれません。とはいえ、親に心配をかけたくないのもあり、そこに至った理由はどうしても周囲に伝えることができませんでした。
親からすると、『どうして学校に行けない理由を話してくれないのだろう』と思うかもしれません。子どもにとって親は一番身近な大人です。親に『自分を認めて欲しい』という気持ちは、誰しもが持っています。親に学校であった事を話して、もし反発されたり批判されたりしたら……。ただでさえ深く傷つき、親が最後の頼みの綱なのに、その親にも拒絶や否定をされることは絶望的に悲しいことです。だから、そうなることを恐れて、親に話すことができなかったのです」
親が唯一の頼りだけに、話せない。
「否定されるのが怖い」という心理が、子供には起きるのですね。
そうすると、親は、子供の言うことを、
頭から「否定や批判をしてはいけない」ことがわかります。
まず、しっかりと聞いてあげること、が大事そうですね。
仲良し家族が、僕の不登校によって暗闇の中へ
学校に行かなくなった浅見さんは、すべてを拒絶するようになり、自暴自棄になっていきました。「子どもの僕にとって一番苦しいのは、親を傷つけてしまうことでした。親が悲しむ原因のすべては、僕が学校に行かないことにある。そう思うと、罪悪感がどんどん膨らんでいきました」
「以前は親子の会話がたくさんあったし、休日の度に皆で出掛けるなど、とても仲がいい家族でした。けれど僕の不登校が始まってからは、家族も暗闇の中に陥り、いつからか両親がけんかをしている光景を目にするようになりました。両親のけんかの声が聞こえてくるたび、僕は自分を責めました。当時の僕は、『自分が生きているだけで、周りの人がどんどん苦しんでいく、僕がこの世の中からいなくなったほうが家族のためになる』と、心の底から思っていました。
こうして「自殺」に走る子供たちが居る。
優しい子供ほど、こういう心境になるのかもしれません。
子供の前で喧嘩するのは良くないことだ、と言うのがわかりますね。
●「もう一度生きてみよう」と思うことができた、母の言葉
ある日のこと、浅見さんは生きることへのつらさに耐え切れず内服薬を摂取し過ぎて、ひと晩中嘔吐が止まらなくなります。5分おきに台所の流しに駆け込み、苦しんで横になっている浅見さんの背中をずっとさすってくれたのが、お母さんでした。流しに行くときも、そっとついて来てくれました。
「このときの感覚は、今でもはっきりと覚えています。その時僕は初めて、『お母さんは何があっても僕の味方をしてくれる』と心から感じました。。
また、不登校の間、母に『直輝が生きてくれているだけで、お父さんとお母さんは幸せだよ』と言われたこともあります。心の中では、その言葉を聞いてとてもうれしく感じました。ところが、僕は『思ってもねえことを言うな、くそ!』と返してしまったんです」
これまで2000名以上の親子に出会ってきた浅見さんは、不登校児の中にはうれしいと感じているのに暴言を吐いてしまう「あまのじゃくな子」が多いように感じているそうです。「実際、僕自身もそうでした。しかし、『もう一度生きてみよう、生きていてもいいんだ』とそう思えるようになったのは母のこの一言がきっかけでした」
「直輝が生きているだけで幸せだよ」という言葉は、25歳となった今でも浅見さんの勇気の源となっているそうです。
黙って寄り添う。
非常に大事なことに感じます。
親にとって「子供がいるだけで幸せ」と思える生活をしたいですね。
その為には、夫婦仲も「円満」でなければなりません。
「子供に愛情を注ぐ」というのは、こういうことを指すのでしょう。
親も子も冷静な判断ができないとき、第三者の存在はとても重要
不登校を続けていた浅見さんが、自分以外の人に心を開くきっかけになったのは、教育支援センターの女性相談員Sさんとの出会いです。
「それまでの間に出会った大人は、僕が学校に行っていないことを知ると『なんで学校に行かないの?』とか、『どうしたら通えるようになる?』などと言って、原因を突き止めようとする人が多数でした。
その場しのぎで僕が『学校に行く』と言えば喜ぶし、『やっぱり行けない』と言うと怒られたり、諭されるのです。ところが、Sさんは違いました。相談室での会話中、僕が『学校、行ってなくて』と言うと、Sさんはこう言いました。
『へえ、そうなんだ。でさ、きのうの巨人対阪神戦、見た?』。 僕が『……あ、はい、見ました』と答えると、Sさんは『そっか、直輝くんは野球が好きなんだね! すごい試合だったよね! 直輝くんはどっちを応援してたの?』こう続けました」
たった数十秒の会話でしたが、浅見さんは大きな衝撃を受けたといいます。Sさんは浅見さんが学校に行ってようが、行っていまいが、態度がなんら変わらない人でした。学校に通っていても通っていなくても、浅見さん自身と会話をして、どんなことを好きなのか、何に興味があるのかを見てくれました。浅見さんは、自分の存在そのものを認めてくれたような気がして、心の底からうれしくなったと思い返します。
「子どもはみんな自分のことを認めてほしいと思っているので、一人でもそういう人に出会えると心が大きく変わっていきます。生きる希望が湧いてくるんです」
こういう第三者との出会いは、子供にとって重要です。
親でもなく、先生でもない「赤の他人」。第三者の存在。
親や先生に話せない事でも、第三者の赤の他人になら話せる、
というのは、真実だと思います。
いわゆる「ナナメの関係」です。
親は「縦軸」、先生は「横軸」、第三者は「ナナメ軸」ということです。
この内、気軽に話せるのが「ナナメの関係」であることは、実証されています。
●楽しそうな母の姿を見て、心が楽になった
学校に通わず心を閉ざす子どもと、どうすれば会話できるようになるだろう? どうすれば子どもが外に出られるようになるだろう? と悩む親に向けて、浅見さんは「子どもの好きなことを起点にするのが特に重要な鍵だ」と話します。
「ゲームでもなんでも構いません。その子が興味を持っていること、好きなことに親も興味を持ち、それに向き合ってくれたら、子どもはすごくうれしい。そこから途絶えていた親子の会話が再スタートした例をいくつも知っています。
好きなことをエサにして何か別のことをさせるのではなくて、親御さん自身が一緒になって子どもが好きなことに興味を持ってくれることがポイントです。僕の場合も、一緒になって興味を持ってくれる姿勢が本当にうれしかったです。親が、自分の存在を肯定してくれたような感覚になるんです。」
子どもが苦しい思いをしているのは親にとってつらいことですが、逆もそうです。親が苦しい表情をしているのは、子どもにとって一番苦しいこと。苦しみをお互いに感じ合い、負のスパイラルにとらわれてしまいます。しかし、親が元気になることが、子どもが元気になる鍵になるのでしょう。
「母が何かを楽しんで、母自身の心が元気になることが僕にとっては一番励みになり、元気になる鍵でした。親が元気じゃないのに子どもを元気にするのは難しいことです。今、悩んでいるお母さんやお父さんはぜひ心から何かを楽しんでください。これは親自身の想像をはるかに超えるほど、子どもにとって、とても大きいことです。
僕の母の場合も、わが子が不登校なのに、笑顔になるなんて難しいことだったと思います。しかし、その、難しいながらも元気になろうとしている母の姿からも、僕は勇気をもらいました。親の笑顔は子どもにとって最大の幸せだと思います」
取材・文/小山まゆみ 写真提供/浅見直輝
子どもにとっての「親の存在」は、親が考えている以上のものなのですね。
「子どもは親の鏡」とはよく言いますが、まず、親自身が人生を楽しむ事。
それが、子供を元気にすることに繋がる。
非常に有意義な事を学びました。
そうはいってもなかなか難しいですが、そういう親御さんにとって
画期的なシステムがあります。
|高校生の心に、火を灯す授業|キャリア学習プログラム「カタリ場」
「カタリ場」とは、主に高校生の将来への可能性を引き出し、将来への行動へと動機付けることを目的とした、キャリア学習プログラムです。
授業を行うのは、大学生を中心としたボランティア・スタッフです。
利害関係のある“親”でも“先生”でもない、毎日付き合う“友達”でもない、少し年上の「先輩」だから、高校生たちも本音を話しやすいのです。
このような「ナナメの関係」によって生まれる“憧れ”や“刺激”、
そして対話のなかで引き出される“自己理解”や“意欲”を最大限活用するため、
カタリ場の授業は、「座談会」「先輩の話」「約束」の主に3つのパートで構成されています。
「座談会」では、生徒にスタッフが質問していくことで、生徒が好きなこと、嫌いなことを言語化するとともに、未来の夢や漠然とした不安などを引き出していきます。生徒の自己理解を促します。
「先輩の話」では、スタッフ数名が、「部活」「進路」「友人関係」などのテーマで、紙芝居形式のプレゼンテーションを行うので、高校生は興味のある話を聞きにいきます。内容は、今打ち込んでいることや夢、進路選びの失敗談や、高校生のときの失敗談や自分への後悔などさまざま。
「約束」では、これまで見つけた憧れや、見えてきた自分の興味関心などを行動につなげるために、今日からできる小さな行動をカードに書き込みます。
スタッフと「約束」をすることで、授業の興奮を日常生活につなげます。
「ナナメの関係」を実践する、認定NPO団体です。
BY いいとこどり
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