2019年05月27日
自受用三昧
昨日、外を長時間歩くのは危険と感じ
電車で移動する
無理はしないのに越したことはない
本日は 自受用三昧
昨日も駒沢大学の日曜講座に参加する
参加して思うのだが
若者はまったくいない
60代、70代の人がほとんどだ
いないわけではないが
20代、30代で日曜日の朝9時から坐禅しようと考える人
はそういないだろう
自分を当てはめてもその年代であれば
前日、お酒やら遊びに疲れて
その時間惰眠を貪っていてたりしてたからだ
こうした経験をつみはじめて我がこととして振り返るので
これはこれでいいと思うのだ
どこで気がつくかは本人次第である
いつも坐禅が終わると5分ほどお話をいただく
昨日は「自受用三昧」という話だった
自受用とかいて「じじゅゆう」と読むのだそうだ
自受用とは自分なりの解釈をすると
禅をすることで自ら楽しみその実践により得られたものを素直に受け入れる
といったところであろうか
「自受用三昧」はイコール「坐禅三昧」なのだろう
ただわたしにはまだ腹に落ちないのが「用」という字だ
大用現前 不存軌則
ということばもあるが
この禅で使用する「用」とはなんだろうか
いつかわかるだろうか
まとめ
・覚りという用が無くなる
電車で移動する
無理はしないのに越したことはない
本日は 自受用三昧
昨日も駒沢大学の日曜講座に参加する
参加して思うのだが
若者はまったくいない
60代、70代の人がほとんどだ
いないわけではないが
20代、30代で日曜日の朝9時から坐禅しようと考える人
はそういないだろう
自分を当てはめてもその年代であれば
前日、お酒やら遊びに疲れて
その時間惰眠を貪っていてたりしてたからだ
こうした経験をつみはじめて我がこととして振り返るので
これはこれでいいと思うのだ
どこで気がつくかは本人次第である
いつも坐禅が終わると5分ほどお話をいただく
昨日は「自受用三昧」という話だった
自受用とかいて「じじゅゆう」と読むのだそうだ
自受用とは自分なりの解釈をすると
禅をすることで自ら楽しみその実践により得られたものを素直に受け入れる
といったところであろうか
「自受用三昧」はイコール「坐禅三昧」なのだろう
ただわたしにはまだ腹に落ちないのが「用」という字だ
大用現前 不存軌則
ということばもあるが
この禅で使用する「用」とはなんだろうか
いつかわかるだろうか
まとめ
・覚りという用が無くなる
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/8838576
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック