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2015年01月16日
とうとうニコニコゲーム実況
2015年01月15日
勾留生活〜20日間の拘置所生活〜
いよいよ地獄の拘置所編。
何が地獄かといえば一番は寒さ。
拘置施設は基本的に冷暖房などない。(刑務所しかり)
なので冬場、夏場は地獄と化すのである。
さらに警察署官下から法務省官下へ身柄を移されるわけだから
容疑者から完璧な’被告人’に変わるわけ。
裁判待ちであれば未決囚人
裁判が終わり、15日の上告請求期間が過ぎれば可決囚人
ようするにどちらにせよ囚人である事を実感させられる。
担当職員も警察官から刑務官(死刑執行もする人たち)に変わる。
ようするに人的扱いがここで大きく変わるわけ。
もう気軽に世間話など出来ない、相手は刑務官なのだから。
まさに犬畜生同等の接し方をされる。これが辛い。
移管の当日、まず留置所から荷物等をダンボールにまとめられ
所持金や貴重品の確認が行われ、護送車で集団移送される。
幸い隣の房のやつと一緒だったから何故か心強かった。
護送車に乗り込む時、担当刑事班総出で見送ってくれた。涙が出た。
拘置所へ到着すると分厚い鉄製の高さ5メートルはあろうかという扉
をくぐり「新人入所手続き所」へと連行される。
ここで持ち物の検査や身体の検査、食事量の検査などが行われる。
特に辛いのが身体検査で体の隅々まで検査される。
バックの体制になり肛門を開いて見せなければいけない。
非常に屈辱的である。
食事には基本A食B食に振り分けられる。(Z食もあるがこれはまれ)
何が違うかといえば食事の量である。
体系や体重にあわせて提供する食事量の振り分けがなされるわけだ。
一連のチェックが終わると舎房へと移される。
たいがいは独居房と呼ばれる畳3つ分のスペースにトイレ洗面台の付いた
系4畳ほどの房へ行く、俺も独居房だった。
雑居房(7人部屋)もあるが初めて拘置所へ行くものなどは基本独居。
では拘置所の一日の流れを書いていこう
朝7時20分起床(ちなみに時計などない)
ちょうど朝6時40分にすずめが鳴くから皆それで起きるのだ。
起床後すぐに布団や毛布を定められた位置にきっちりと畳みきれいに置く。
↓
朝7時30分点呼(正座して食器口と言われる物品受け渡しの窓の前に正座する)
んで担当(オヤジ)達が各部屋を回っていきチェックする。
↓
朝食8時(麦7:白米3の通称くさい飯、これは毎食。んで味噌汁に佃煮や納豆など)
くさい飯と言われるがたしかに麦臭い、でもこれがまたうまいのだ。
ぱさぱさしたチャーハンのような米である、好きな人にはたまらんだろう。
俺もそうだった。ちなみに市販で買うとへたな白米より高いぞ!
↓
運動及び風呂(冬場は週2回、夏場は週3回)
運動に関して言えば雨天は中止、運動といっても40分間一人きりで2畳くらいのスペースで走り回るだけだが。
風呂に関しては留置所と違いひたすら監視される。二人一組で入るのだが
しゃべると即懲罰をうけ閉居房へ移される。拘置所では何かにつけて懲罰がある。
↓
昼食12時(くさい飯と味噌汁、おかずが2品副食1品)
尚、祝日には’特食’と言っておかしがここで支給される。
俺のときは1回だけあったのだが’アルフォート’が出た。
これがまた超うまくて幸せ。基本的に甘いものは出ないので
囚人達は皆甘いものに飢えている。
↓
夜食16時20分(昼食とさほど変わらん)
異常に早い夜ご飯である。この後朝食まで食い物がないので
お金のないものはひもじい思いをする。
俺はお金を持っていっていたからおかしなどを夜食で食べていた。
↓
夜16時50分点呼
朝の点呼と同じ体制で待つ。そしてオヤジに「部屋番号!」と言われるので
元気よく自分の呼称番号(囚人番号)を叫ぶ、叫ぶ、腹の底から声を出す。
皆そうだ、何故なら留置暑と違い一日中、人と話さないしここでしか
声を出す機会がないからである。皆で声のでかさを競いあう。
まるで「ここに自分はいる」とその存在を自身でも確かめるように。
↓
夜18時仮就寝
布団をしいて寝てもいい。でも気を抜くな!
18時50分くらいに一日3回必ずある’室内体操’が始まる。
眠ってしまっていては「コラーっ!」とオヤジに怒鳴り散らされる。
この室内体操は午前、午後、仮就寝中にあるのだが
15分間室内でなんかしらの体操をしなくてはいけない。
自分は朝と昼は腕立て、夜は腹筋をして筋肉が落ちないように心がけていた。
んで変なオーケストラが流れ出す、これが室内体操の始まりを告げる合図。
またこれがうざい。妙にテンションの高い曲やイラッとくるようなチョイスばかりなのだ。
これを何度も聞くわけだから気が狂いそうになる。
↓
夜19時就寝
ラジオ放送が始まる。これが飯とあわせて唯一の楽しみと言っても過言ではない。
普段ラジオなんて聞かないから新鮮だし、一日中独居房の中にいて暇な訳だから
楽しみでしょうがなくなる。俺も出所後ラジオを買った。
それくらいラジオのすばらしさに気付かされる。んで福山は変態。
↓
夜21時消灯
もう完璧に無音の世界になる。
非常灯だけが部屋を照らし、不気味な雰囲気になる。
さっさと寝たいがなかなか寝付けなかった。
ある夜、念仏が聞こえてきたかと思うと坊さんがお経を唱えながら走り回っていた。
何事!?と思ったが後で調べたのだが死刑が執行された日の夜2時頃に
供養のためそうするらしい。まったく嫌な時期に入所したもんだ。
まあざっとこんな感じ。どう?想像できた?
留置所と違ってリラックスなんて出来ないのね、ほんと。
常に見張られているし融通も利かない。
収監されている全員が犯罪者だしまあ仕方のないことだが。
後、拘置所はルール、規則ががちがちにある。例えば何かトラブルや買い物をしたい場合、
無言で報知器という担当(オヤジ)を呼ぶものを下ろさなければいけない。
スイッチは入り口近辺にある。
何事も願箋(がんせん)と言われている紙にお願い事を書いて提出しなければならない。
するとオヤジがめんどくさそうにやってきて「何?」とふてぶてしく聞いてくる。
んで「買い物をしたいのですが」というとオヤジは「あ、そ」といって乱暴に願箋を受け取る。
こういった日々を送っていると何故か自分が重大な犯罪を犯したような
感覚に陥り、ションベン刑で出れることが解っていたにも関わらず刑務所に行くことを考え出す。
裁判が怖くなるのだ。
ちなみに拘置所では自殺が結構な頻度であるらしい。
やはり実刑を食らう、刑務所に行くのがそれほど嫌なのだろう。
話を俺の裁判へ移そう。
普通裁判は3回の構成に分かれて行われる。
第一回公判 罪状認否
第二回公判 検察側の求刑
第三回公判 裁判官による判決
これは被害者がいる事案であり、単身事件の場合はこれはあてはまらない。
なので俺は一回目の公判で求刑まで行き、2回目で判決となった。
判決後、拘置所へ戻り荷物をまとめて’はいさようなら’てな感じだった。
わかっていたとはいえ拘置所から出た時のあの喜びは今でも忘れない。
それほど70日に渡る勾留期間がきつかったのだ。
ともあれ社会復帰出来てよかった。今回迷惑をかけた友人や親族、
会社の皆に少しでも恩返しが出来るように一生懸命頑張って生きたい。
最後に一言だけ言っておく、
犯罪だけはするな。こんな辛い日々がまってるぞ!
これを見た皆が同じ思いをしないことを祈りつつ、勾留生活の手記を
これで辞めたいと思う。
次回からはいつもどおりにギャルゲーブログやりまーす☆
しつこいがまたまた前回紹介した漏れの嫁だ(お前のではない)↓↓↓
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何が地獄かといえば一番は寒さ。
拘置施設は基本的に冷暖房などない。(刑務所しかり)
なので冬場、夏場は地獄と化すのである。
さらに警察署官下から法務省官下へ身柄を移されるわけだから
容疑者から完璧な’被告人’に変わるわけ。
裁判待ちであれば未決囚人
裁判が終わり、15日の上告請求期間が過ぎれば可決囚人
ようするにどちらにせよ囚人である事を実感させられる。
担当職員も警察官から刑務官(死刑執行もする人たち)に変わる。
ようするに人的扱いがここで大きく変わるわけ。
もう気軽に世間話など出来ない、相手は刑務官なのだから。
まさに犬畜生同等の接し方をされる。これが辛い。
移管の当日、まず留置所から荷物等をダンボールにまとめられ
所持金や貴重品の確認が行われ、護送車で集団移送される。
幸い隣の房のやつと一緒だったから何故か心強かった。
護送車に乗り込む時、担当刑事班総出で見送ってくれた。涙が出た。
拘置所へ到着すると分厚い鉄製の高さ5メートルはあろうかという扉
をくぐり「新人入所手続き所」へと連行される。
ここで持ち物の検査や身体の検査、食事量の検査などが行われる。
特に辛いのが身体検査で体の隅々まで検査される。
バックの体制になり肛門を開いて見せなければいけない。
非常に屈辱的である。
食事には基本A食B食に振り分けられる。(Z食もあるがこれはまれ)
何が違うかといえば食事の量である。
体系や体重にあわせて提供する食事量の振り分けがなされるわけだ。
一連のチェックが終わると舎房へと移される。
たいがいは独居房と呼ばれる畳3つ分のスペースにトイレ洗面台の付いた
系4畳ほどの房へ行く、俺も独居房だった。
雑居房(7人部屋)もあるが初めて拘置所へ行くものなどは基本独居。
では拘置所の一日の流れを書いていこう
朝7時20分起床(ちなみに時計などない)
ちょうど朝6時40分にすずめが鳴くから皆それで起きるのだ。
起床後すぐに布団や毛布を定められた位置にきっちりと畳みきれいに置く。
↓
朝7時30分点呼(正座して食器口と言われる物品受け渡しの窓の前に正座する)
んで担当(オヤジ)達が各部屋を回っていきチェックする。
↓
朝食8時(麦7:白米3の通称くさい飯、これは毎食。んで味噌汁に佃煮や納豆など)
くさい飯と言われるがたしかに麦臭い、でもこれがまたうまいのだ。
ぱさぱさしたチャーハンのような米である、好きな人にはたまらんだろう。
俺もそうだった。ちなみに市販で買うとへたな白米より高いぞ!
↓
運動及び風呂(冬場は週2回、夏場は週3回)
運動に関して言えば雨天は中止、運動といっても40分間一人きりで2畳くらいのスペースで走り回るだけだが。
風呂に関しては留置所と違いひたすら監視される。二人一組で入るのだが
しゃべると即懲罰をうけ閉居房へ移される。拘置所では何かにつけて懲罰がある。
↓
昼食12時(くさい飯と味噌汁、おかずが2品副食1品)
尚、祝日には’特食’と言っておかしがここで支給される。
俺のときは1回だけあったのだが’アルフォート’が出た。
これがまた超うまくて幸せ。基本的に甘いものは出ないので
囚人達は皆甘いものに飢えている。
↓
夜食16時20分(昼食とさほど変わらん)
異常に早い夜ご飯である。この後朝食まで食い物がないので
お金のないものはひもじい思いをする。
俺はお金を持っていっていたからおかしなどを夜食で食べていた。
↓
夜16時50分点呼
朝の点呼と同じ体制で待つ。そしてオヤジに「部屋番号!」と言われるので
元気よく自分の呼称番号(囚人番号)を叫ぶ、叫ぶ、腹の底から声を出す。
皆そうだ、何故なら留置暑と違い一日中、人と話さないしここでしか
声を出す機会がないからである。皆で声のでかさを競いあう。
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↓
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布団をしいて寝てもいい。でも気を抜くな!
18時50分くらいに一日3回必ずある’室内体操’が始まる。
眠ってしまっていては「コラーっ!」とオヤジに怒鳴り散らされる。
この室内体操は午前、午後、仮就寝中にあるのだが
15分間室内でなんかしらの体操をしなくてはいけない。
自分は朝と昼は腕立て、夜は腹筋をして筋肉が落ちないように心がけていた。
んで変なオーケストラが流れ出す、これが室内体操の始まりを告げる合図。
またこれがうざい。妙にテンションの高い曲やイラッとくるようなチョイスばかりなのだ。
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ラジオ放送が始まる。これが飯とあわせて唯一の楽しみと言っても過言ではない。
普段ラジオなんて聞かないから新鮮だし、一日中独居房の中にいて暇な訳だから
楽しみでしょうがなくなる。俺も出所後ラジオを買った。
それくらいラジオのすばらしさに気付かされる。んで福山は変態。
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非常灯だけが部屋を照らし、不気味な雰囲気になる。
さっさと寝たいがなかなか寝付けなかった。
ある夜、念仏が聞こえてきたかと思うと坊さんがお経を唱えながら走り回っていた。
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供養のためそうするらしい。まったく嫌な時期に入所したもんだ。
まあざっとこんな感じ。どう?想像できた?
留置所と違ってリラックスなんて出来ないのね、ほんと。
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後、拘置所はルール、規則ががちがちにある。例えば何かトラブルや買い物をしたい場合、
無言で報知器という担当(オヤジ)を呼ぶものを下ろさなければいけない。
スイッチは入り口近辺にある。
何事も願箋(がんせん)と言われている紙にお願い事を書いて提出しなければならない。
するとオヤジがめんどくさそうにやってきて「何?」とふてぶてしく聞いてくる。
んで「買い物をしたいのですが」というとオヤジは「あ、そ」といって乱暴に願箋を受け取る。
こういった日々を送っていると何故か自分が重大な犯罪を犯したような
感覚に陥り、ションベン刑で出れることが解っていたにも関わらず刑務所に行くことを考え出す。
裁判が怖くなるのだ。
ちなみに拘置所では自殺が結構な頻度であるらしい。
やはり実刑を食らう、刑務所に行くのがそれほど嫌なのだろう。
話を俺の裁判へ移そう。
普通裁判は3回の構成に分かれて行われる。
第一回公判 罪状認否
第二回公判 検察側の求刑
第三回公判 裁判官による判決
これは被害者がいる事案であり、単身事件の場合はこれはあてはまらない。
なので俺は一回目の公判で求刑まで行き、2回目で判決となった。
判決後、拘置所へ戻り荷物をまとめて’はいさようなら’てな感じだった。
わかっていたとはいえ拘置所から出た時のあの喜びは今でも忘れない。
それほど70日に渡る勾留期間がきつかったのだ。
ともあれ社会復帰出来てよかった。今回迷惑をかけた友人や親族、
会社の皆に少しでも恩返しが出来るように一生懸命頑張って生きたい。
最後に一言だけ言っておく、
犯罪だけはするな。こんな辛い日々がまってるぞ!
これを見た皆が同じ思いをしないことを祈りつつ、勾留生活の手記を
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次回からはいつもどおりにギャルゲーブログやりまーす☆
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2015年01月14日
勾留生活〜任意同行から家宅捜索のち逮捕、そして約50日間の留置所生活〜
まずは逮捕〜勾留の経緯から
とある出来事で任意同行(という名の強制連行)
↓
後日、逮捕状交付〜家宅捜索、終わり次第すぐさま警察署へ連行
↓
そのまま取り調べへ
↓
夜、そのまま留置施設へ収監
↓
2日後、勾留請求の為に裁判所へ移送
↓
10日後予想外の起訴!
↓
長い留置生活の始まり
とまあざっくりこんな感じ。
ちなみに被害者なしの事件だから引くな、
大事なことだから二回言う引くな。
漏れの人間性に関わってくるからな。
んで日本の司法において、起訴=99%有罪判決が下る。※ここ重要、覚えとくように。
通常は起訴から拘置所への移送は割かしスムーズに行くのだが
自分の場合はションベン刑にも関わらず留置所生活が異常に長かった。
理由として関与した人物(重罪)が黙秘を続けていたため
重要参考人となっていた俺は相手の満期を待つことになった
検察側が調べをしたいのが理由。
なので留置生活が長くなったのだ。また明日書くが拘置所への移管は
第一回公判の6日前だった。これは異例。
警察署の留置係りに「○○○番(容疑者番号)いつまでここにおるんや…」
と言われる始末。おめーらがもたもたしてるからじゃねーか!と
内心憤慨。拘置所は飯が充実しているので早く行きたかった。
まず何から語ろうか、そう留置所の一日の流れについて書こう。
朝7時起床
↓
朝8時朝ごはん(パン食)
↓
9時頃から順番に運動(といっても他の容疑者か警察の留置係りとだべってるだけ)
↓
午前中取り調べ
↓
昼12時昼ごはん(弁当)
↓
午後取調べ
↓
入浴(冬は週2回、夏は週3回)
↓
洗濯(週2回)
↓
夜6時夜ご飯(弁当)
↓
夜9時就寝
ざっとこんな感じ。面会やら弁護士接見なんかで前後するが
大体一日はこんな感じで過ぎていく。
んで自分の場合は刑が軽いだけあって自身の取調べは
1週間くらいで終わった。
つまり上記の取調べの時間が’自由時間’となったのである、つまり暇。
んじゃあ何してるのかって?
だいたい同房(大体3人組の部屋)とだべるか’官本’と呼ばれる
つまりは貸し出しの本をひたすら読む。(小説しかないが…)
警察署(留置所)にいる段階ではまだ’容疑者’扱い。
警察官も比較的優しく接してくれるし、気軽に世間話も出来る。
漏れと同年代のギャルゲー好きの警察官がいたから
そいつといつもギャルゲーの話で盛り上がっていた。
しかし拘置所になると法務省管轄の’刑務官’となるわけだから相当厳しく扱われる、泣きそうだ。
話を留置所に戻そう。
拘置所と比べ基本、人権はかなり守られているから比較的のんびり
リラックスして過ごせる、ただ退屈だが。
おかしやジュース、雑誌の購入も可能。
世間でもそうだがやはりここでも金がものをいう。
金のないものは何も買えない、実にひもじい生活を強いられることになる。
俺の場合は運よく財布に数十万入っていたからかなりゴージャスな留置生活を
送ることが出来た。
しかしさすがに50日は長い。取り調べも早い段階で終わってたし
最後の方はやることがなくなってきてひたすら購入した
ファミ通とアスキーを読み漁っていた。
んで検察側の調べも終わりとうとう地獄の拘置所へ
移管が決まった。内心やっとかという思いと嫌だなという思いが
交錯していたが、飯がうまいので何の抵抗もせずそれを受け入れた。
では明日拘置所での生活を書こうかなっと。
質問等受け付ける。答えれる限りで返答するから気軽に聞いてちょ☆
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とある出来事で任意同行(という名の強制連行)
↓
後日、逮捕状交付〜家宅捜索、終わり次第すぐさま警察署へ連行
↓
そのまま取り調べへ
↓
夜、そのまま留置施設へ収監
↓
2日後、勾留請求の為に裁判所へ移送
↓
10日後予想外の起訴!
↓
長い留置生活の始まり
とまあざっくりこんな感じ。
ちなみに被害者なしの事件だから引くな、
大事なことだから二回言う引くな。
漏れの人間性に関わってくるからな。
んで日本の司法において、起訴=99%有罪判決が下る。※ここ重要、覚えとくように。
通常は起訴から拘置所への移送は割かしスムーズに行くのだが
自分の場合はションベン刑にも関わらず留置所生活が異常に長かった。
理由として関与した人物(重罪)が黙秘を続けていたため
重要参考人となっていた俺は相手の満期を待つことになった
検察側が調べをしたいのが理由。
なので留置生活が長くなったのだ。また明日書くが拘置所への移管は
第一回公判の6日前だった。これは異例。
警察署の留置係りに「○○○番(容疑者番号)いつまでここにおるんや…」
と言われる始末。おめーらがもたもたしてるからじゃねーか!と
内心憤慨。拘置所は飯が充実しているので早く行きたかった。
まず何から語ろうか、そう留置所の一日の流れについて書こう。
朝7時起床
↓
朝8時朝ごはん(パン食)
↓
9時頃から順番に運動(といっても他の容疑者か警察の留置係りとだべってるだけ)
↓
午前中取り調べ
↓
昼12時昼ごはん(弁当)
↓
午後取調べ
↓
入浴(冬は週2回、夏は週3回)
↓
洗濯(週2回)
↓
夜6時夜ご飯(弁当)
↓
夜9時就寝
ざっとこんな感じ。面会やら弁護士接見なんかで前後するが
大体一日はこんな感じで過ぎていく。
んで自分の場合は刑が軽いだけあって自身の取調べは
1週間くらいで終わった。
つまり上記の取調べの時間が’自由時間’となったのである、つまり暇。
んじゃあ何してるのかって?
だいたい同房(大体3人組の部屋)とだべるか’官本’と呼ばれる
つまりは貸し出しの本をひたすら読む。(小説しかないが…)
警察署(留置所)にいる段階ではまだ’容疑者’扱い。
警察官も比較的優しく接してくれるし、気軽に世間話も出来る。
漏れと同年代のギャルゲー好きの警察官がいたから
そいつといつもギャルゲーの話で盛り上がっていた。
しかし拘置所になると法務省管轄の’刑務官’となるわけだから相当厳しく扱われる、泣きそうだ。
話を留置所に戻そう。
拘置所と比べ基本、人権はかなり守られているから比較的のんびり
リラックスして過ごせる、ただ退屈だが。
おかしやジュース、雑誌の購入も可能。
世間でもそうだがやはりここでも金がものをいう。
金のないものは何も買えない、実にひもじい生活を強いられることになる。
俺の場合は運よく財布に数十万入っていたからかなりゴージャスな留置生活を
送ることが出来た。
しかしさすがに50日は長い。取り調べも早い段階で終わってたし
最後の方はやることがなくなってきてひたすら購入した
ファミ通とアスキーを読み漁っていた。
んで検察側の調べも終わりとうとう地獄の拘置所へ
移管が決まった。内心やっとかという思いと嫌だなという思いが
交錯していたが、飯がうまいので何の抵抗もせずそれを受け入れた。
では明日拘置所での生活を書こうかなっと。
質問等受け付ける。答えれる限りで返答するから気軽に聞いてちょ☆
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