2013年11月28日
真珠の小箱_1
前振り
亀と同い年くらいの方や、紀行番組を良くご覧になった方はご存じかもしれない。
『真珠の小箱』と言う番組。長寿番組で2004年(1959年〜)まで続いたらしい。
亀は子どもの頃、親亀と一緒に観た記憶があり、
近鉄電車(ビスタカー)と志摩観光ホテルの印象が強く残っていて、
電車には「かっこいいなぁ〜!」「乗ってみたいなぁ〜!」と、
ホテルは高級感一杯で「こんな所、行ってみたいなぁ〜」と憬れていました。
まぁ、観光旅行なんて贅沢きわまりなく、遠くに行く事など、
慶弔事がなければ早々出来る時代ではありませんでした。
『リゾート』なんていう言葉は聴く時代では無かったのですが、
それこそリゾートホテルの走りも走りの様なホテルで有ったように思います。
と、今回はその憬れのホテルに泊まり、
遷宮祭を迎えた神宮を巡り、トドやアシカ、大好きなペンちゃんと戯れる、
そして、これまた行き当たりばったり(計画は3分の1ぐらい建てました)の、
『お伊勢参り』報告です。
閑話休題
今年は伊勢神宮と出雲大社の遷宮が同時に行われた年。
両方を巡ろうと亀子と一緒に言っていたのですが、
亀の腰の重さに実現が危ぶまれ「一緒に回れなくても仕方ないね」
「年を改めてもいいかな?」などと後退気味な雰囲気になっていた矢先、
突然、亀が動き出し旅行代理店に突進。
実行一週間前に旅館などの予約を取り付けると言う、またもやの暴挙に出たのです。
当初の予定では2日目にお伊勢さんへ参拝することになっていたのですが、
天候が悪そうなので1日目に外宮と内宮を周り、翌日に鳥羽水族館、
3日目、二見浦とおかげ横町、おはらい町の観光をすることになりました。
お伊勢さんは、凄い人出。この時期ならば少しは落ち着いたかと思いきや、
とんでも無い。甘かった。
伊勢市駅から人の波は外宮まで続き、苑内は大勢の参拝客で一杯。
内宮行きのバス停には、車を待つ人の列が長く伸びていた。
バスの運転手さんによると、前日の土曜日は更に多くの人出。
バスは交通渋滞で内宮まで1時間半くらいかかり、
更に宇治橋から正宮まで2時間あまりかかったらしい。
運転手さんは「ふぅ〜」と溜息をもらし、
「この人出で、うちの社長さんは嬉しい溜息を漏らしています」
(この括弧内は関西風のイントネーションで読んで下さい)と話していた。
外宮の第一鳥居
五十鈴川 紅葉が始まりかけていた
内宮 正宮
亀と同い年くらいの方や、紀行番組を良くご覧になった方はご存じかもしれない。
『真珠の小箱』と言う番組。長寿番組で2004年(1959年〜)まで続いたらしい。
亀は子どもの頃、親亀と一緒に観た記憶があり、
近鉄電車(ビスタカー)と志摩観光ホテルの印象が強く残っていて、
電車には「かっこいいなぁ〜!」「乗ってみたいなぁ〜!」と、
ホテルは高級感一杯で「こんな所、行ってみたいなぁ〜」と憬れていました。
まぁ、観光旅行なんて贅沢きわまりなく、遠くに行く事など、
慶弔事がなければ早々出来る時代ではありませんでした。
『リゾート』なんていう言葉は聴く時代では無かったのですが、
それこそリゾートホテルの走りも走りの様なホテルで有ったように思います。
と、今回はその憬れのホテルに泊まり、
遷宮祭を迎えた神宮を巡り、トドやアシカ、大好きなペンちゃんと戯れる、
そして、これまた行き当たりばったり(計画は3分の1ぐらい建てました)の、
『お伊勢参り』報告です。
閑話休題
今年は伊勢神宮と出雲大社の遷宮が同時に行われた年。
両方を巡ろうと亀子と一緒に言っていたのですが、
亀の腰の重さに実現が危ぶまれ「一緒に回れなくても仕方ないね」
「年を改めてもいいかな?」などと後退気味な雰囲気になっていた矢先、
突然、亀が動き出し旅行代理店に突進。
実行一週間前に旅館などの予約を取り付けると言う、またもやの暴挙に出たのです。
当初の予定では2日目にお伊勢さんへ参拝することになっていたのですが、
天候が悪そうなので1日目に外宮と内宮を周り、翌日に鳥羽水族館、
3日目、二見浦とおかげ横町、おはらい町の観光をすることになりました。
お伊勢さんは、凄い人出。この時期ならば少しは落ち着いたかと思いきや、
とんでも無い。甘かった。
伊勢市駅から人の波は外宮まで続き、苑内は大勢の参拝客で一杯。
内宮行きのバス停には、車を待つ人の列が長く伸びていた。
バスの運転手さんによると、前日の土曜日は更に多くの人出。
バスは交通渋滞で内宮まで1時間半くらいかかり、
更に宇治橋から正宮まで2時間あまりかかったらしい。
運転手さんは「ふぅ〜」と溜息をもらし、
「この人出で、うちの社長さんは嬉しい溜息を漏らしています」
(この括弧内は関西風のイントネーションで読んで下さい)と話していた。
外宮の第一鳥居
五十鈴川 紅葉が始まりかけていた
内宮 正宮