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2021年10月07日

ロベルト・シューマンの挫折 作曲家への道へ

神経性麻痺であきらめざるを得なかったピアニストとしての道

先回、『障害とイジメを乗り越えて「世界一のバイオリニスト」に、式町水晶』という題名で幼い頃、脳性麻痺になりながらも病気を克服し、ヴァイオリニストを目指した青年の話を紹介させていただきましたが、少し思い出しましたので、ドイツ・ロマン派を代表するかの有名な作曲家ロベルト・シューマン(Robert Alexander Schumann, 1810年 - 1856年)について、あまり皆さんが知らないことについてお話しします。


動かなっくなった右手

シューマンはピアニストを目指していましたが、すでに20歳(1830年)の頃に、右手の進行性麻痺により、右手の中指と薬指を始め、「物を握ったり持ったり」することも不自由になってしまい、ピアノ演奏も上手く引けなくなってしまったそうです。また、目の病気も患い、失明する恐怖にも襲われ、1832年に作曲で身を立てる意志を固めました。

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ロベルトと妻クララ


幸せな時代

ピアニストとしての道を断たれたシューマンですが、作曲家として数多くの作品を残しました。
1835年に出会ったクララと結婚する前の1840年3月から7月までの間に、シューマンは音楽史に残る5つの歌曲集を作曲しました。

【代表作】
二つの『リーダークライス』(作品24及び作品39)、『ミルテの花』(作品25)、『女の愛と生涯』(作品42)、そして『詩人の恋』(作品48)です。 これらを含め、この年に120曲以上の歌曲、重唱曲が作曲されています。これはシューマンが生涯に残した歌曲の大半を超えるもので、1840年は「歌曲の年」と呼ばれています。

クララとの出会いが、シューマンの優れた能力を発揮させたのでしょうね。シューマンとクララの間には、8人の子供が生まれており、それだけ愛し合っていたということも計り知れます。

『女の愛と生涯』から「この指につけた指輪」をお聞きください。




シューマンの最期

ロベルト・シューマンの死因については諸説ありますが、数々の名作を残しながらも、彼は神経障害を発症し、1854年にライン川に飛び込み、自殺未遂を起こします。この時、クララとの「愛の証」である指輪を外してから身を投じたそうです。

シューマンは自分では分別を保てず、「このままでは妻や子供たちを傷つける恐れがある」として自ら精神病院に入いるよう身の回りの整理を始めました。

次第に発音が困難になり、感覚の鈍磨が聴覚、味覚、嗅覚にまで広がり、次第に衰弱していきました。

1856年7月23日に危急を知らせる電報を受け取ったクララは7月27日にシューマンの住むエンデニヒに着き、2年ぶりにシューマンと再会しました。

【クララの手記】
「それは夕方6時から7時のころのことでした。彼は私を認めて微笑み、非常な努力を払って―もうその頃、彼は四肢の自由がきかなくなっていました―彼の腕を私に回しました。私はそれを決して忘れません。世界中の宝を持ってしても、この抱擁にはかえられないでしょう」
とクララはのちに語っています。


シューマンが最愛の妻クララに残した最後の言葉

クララがシューマンのもとを訪れた 翌28日、シューマンの手足は痙攣が続き、クララはシューマンにワインを飲ませました。

ワインの一部がクララの手の上にこぼれると、シューマンは嬉しそうにクララの指をなめ、最後に「おまえ、……ぼくは知っているよ……」という言葉を残して 1856年7月29日午後4時、46歳の生涯を閉じました。

シューマンも先日紹介させていただいた「ゴッホ」などのように精神神経症に侵され、非業の死を遂げています。何か通ずるものがあるのでしょうか。

私は精神疾患など患ったまま死にたくありませんが、ロベルトとクララのような思いやりを持った関係を持ち、このような最期を迎えたいと思っています。


いつものやつです。お時間がありましたら追記もご覧ください。
ピアノを弾く子ども.jpg

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