2009年12月23日
父が逝く(ToT)/~~~
18日(金)午前2時半
父が逝ってしまった・・・・
14日の月曜日に食道ろうの手術の為、
都内の別の病院に一時転院して、16日の水曜日に食道ろうの手術をした。
成功だった。
そしてその時には声は出ず、耳も聞こえづらくなっていたけど
意識はすごくしっかりしていて
私が文を書き、それを目で追って
首をふったりして自分の意思を表示することもしていた。
手術の次の日、
転院先の病院の担当医から元いた従姉妹の病院に電話が入り
21か22日には従姉妹の病院に又転院させられるので
ベッドの確保をという事だった。
その連絡を受けたのが17日の日中3時頃。
そしてその日の6時頃、その病院から私に電話が入り
容態が急変した為、呼吸器をつけたいとの事。
でも、すぐ来なくて大丈夫
明日にでも来て励ましてあげてねとの事だったのに・・・・・
夜中の2時半・・厳密に言うともう金曜日18日の午前2時半。
電話がかかってきて、また容態が急変、呼吸が止まってしまい
マッサージもしたがダメだったとの事・・・
ええええええええええ!!!!??????(T_T)
なんで!!!!?????
どうして??????
17日には早速流動食を流し込み、
順調にいき、さてさてこれで1週間もすれば体力も戻ってきて
元気になると先生もほっとしていたんだそうだ。
なのに何故!!!!!?????
日中、また元の病院に戻るって話をしたばかりだったのに・・・・・
20日の日曜日御通夜
21日月曜日告別式
本当なら月曜日には従姉妹の病院に戻って
退院の話とかもしていくはずだったのに・・・・・
悲しかった・・・・・
去年の1月に母が亡くなった時も悲しかったけど
絶対に何をしても助からないってわかってたから
亡くなるまで毎日泊まりこんで
すこしずつ覚悟をしていく日々だったけど・・・・・
父は医者も皆、治るって思ってた・・・・
もちろん私も・・・・
あまりにもあっけなく
最期は誰にも身内に看取られる事なく
一人で逝ってしまった父・・・・
悲しくて悲しくて悲しくて
病院に駆けつけた金曜日の明け方から御通夜告別式が終わるまでの4日間
泣き続けたかも・・・
それこそ御通夜の間も葬式のときも
泣いて泣いて
色々決めなきゃならないこともあるので
それを話してるときとかはどうにか泣かずにいても
ちょっと何かがあると泣いて泣いて・・・・
おかげで顔がむくんでむくんで
目は腫れて腫れて・・・・
母の事だって考えるとまだ泣いちゃうのに
父の事は色々あっただけに
助かると思ってただけに
もっと泣ける。
今はなるべく考えないようにしてる。
でも、仕事ができるかな・・・・
母の時は母が亡くなり
レジに同じような年齢の方が来たり
又は親子で来たり
車椅子に乗って来たりと
そういうのを見ただけで
泣きたくなって涙がこぼれそうになって
困った・・・
親子でいるのは羨ましくて
車椅子に乗ってると
車椅子に乗っていてもいいから
とにかく生きていてほしかったと思い
一人で来てる人を見れば
まだまだ元気で買い物してるのに母は・・・・
と思い
とにかく泣きそうで声が震えて上ずっちゃったりしたもんだった・・・・
ようやく少し抑えることが出来るようになってたのに・・・・
今度はどうなっちゃうんだろ・・・・
明日なんておじいちゃんが買物来たの見て
泣いちゃいそうだ・・・・
どうしよう・・・・・
父が亡くなった一番の原因は「気力」の問題だって
従姉妹も思ってるし転院先の医者も思ってるし
私達もそう思ってる。
父は母のところに早く行きたくて逝きたくて・・・・・
本人もそう言ってた・・・・
父が治ったら一緒に行こうねって約束してた場所がある・・・・
一緒に行きたかった・・・・
どうしてなんだろ
何故なんだろ
この歳で、相次いで両親共に亡くすなんて事
考えもしなかった・・・
母が亡くなった時には父がいた
だからまだ耐えられた
でも今その父もいなくなった・・・・
あーダメだ・・こんな事打ってるだけで
涙が出てきちゃう。
泣いても泣いても泣き足りない。
たった一人で家にいるとしたら
きっとずっとずっと何日も何日も泣き続けるんだろうな・・・・
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