2015年12月17日
おばあちゃんが旅立った日。
初めて会ったのは2009年でした。
卒業旅行としてフランスに来た時。
時差ボケと長時間の車移動で私がうとうとしていると
「疲れたの?」と優しく気遣いしてくれるおばあちゃん。
2回目は
パートナーの大学卒業式のために、はるばるフランスから義両親と一緒に日本まできたおばあちゃん。
当時すでに80歳を超えていたのに、
長いフライトとなれない土地。
相当つかれがたまっていただろうに
弱音一つ言わないおばあちゃん。
そして初来日で東日本大震災を東京で経験、それでも家族にさえ不安な様子を見せないおばあちゃん。
私が義実家で暮らし始めてからも、いつも周りの人のことを第一に考えて行動していたおばあちゃん。
アルツハイマーの症状が進行して、
夜中に起きて歩き回ったり
トイレの位置がわからなくなったり
家族の顔すら忘れてしまっても
いつも周りの人への気遣いを忘れなかったおばあちゃん。
ここ1〜2年は食事やトイレも常につきっきりでの生活だったけれど、
まともな会話もままならなかったけれど、
それでもパートナーや私の顔を見ると嬉しそうに微笑んでくれるおばあちゃん。
飲食さえきちんとできれば、一生在宅介護をするつもりでした。
義両親も、私たちも。
ただ、喉が炎症を起こして熱が出て、
一切の食べ物、飲み物を口にしなくなったのが約2週間前。
入院初日は呼吸も浅く苦しそうで、本当に心配しました。
2〜3日たつと少しずつ呼吸も良くなったかな、と思いましたが、
今度は苦しそうな表情をするようになり。。
最後の一週間はモルヒネで眠っていました。
義両親は毎日2回、午後の面会開始時間と夜
私とパートナーは仕事が終わってから毎日1回おばあちゃんに会いに行き
時々目を開けるような仕草を見せてくれたり。
そして昨日。
パートナーも私も、「なんだか今日は落ち着かないし、嫌な感じがするね」と話していたものの
夜お見舞いにいったときはいつもと変わらず。
お見舞いの帰りに義両親と外食し、おばあちゃんの昔ばなしで盛り上がって…
そして今朝、おばあちゃんがなくなった知らせを受けました。
実感なんてものは一切ないけれども
ただ寂しいという思いだけが募ります。
でも
私にとっては義理のおばあちゃんだから
ここは私がしっかりしなくちゃ
私が皆を支えなくちゃ
そうは思っていても難しいものですね。
自分の孫のように接してくれたおばあちゃんですから、
私にとっても本物のおばあちゃん。
きっと今頃は、20年近く前に亡くなったおじいちゃんと久しぶりの再会を楽しんでいることでしょう。
もう苦しい思いをすることもないし、
ゆっくり休んで欲しいと思います。
おやすみなさい、おばあちゃん。
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