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2020年05月16日

坂口安吾の「肝臓先生」の多変量解析−クラスタ分析と主成分2

2 町医者の意欲 

 安吾は、アドルムやヒロポンを服用したため、これらの副作用や不規則な生活からうつ病の病前性格が表れる。1948年の梅雨時からうつ病の症状がでる。
 執筆活動は続けるも、薬物を引き続き服用したため、病状は悪化し、幻聴、幻視も見られ、1949年1月に狂乱状態に陥り、睡眠薬中毒と神経衰弱で2月に東京大学医学部付属病院に入院した。治癒後4月に退院し執筆活動を再開するも、薬物でまたも病気が再発し、その夏に夫人とともに療養を兼ねて伊東へ移り、1950年1月「肝臓先生」を出版した。
 坂口安吾の場合、執筆意欲の反面、心因による心の病が考えられる。こうした心の病からの出版でも何か行動を起こすとき、欲求や衝動が行動のトリガーとなり、目的を持った行動を心掛けるための意思が働く。行動を制御する意思と欲求を合わせて意欲といい、物事を積極的に行おうとする精神作用としている。赤城風雨の場合、行動のトリガーによる治療から医者としての普遍的な気持ちがあるといえる。
 そこで、「肝臓先生」の購読脳から執筆脳の信号の流れを長期に渡る薬物の服用に対する漠然とした不安感にする。数々の病歴を重ねてからの図書出版のためである。以下では、「肝臓先生」に関し、購読脳は「流行性肝臓炎と治療」、シナジーのメタファーは「坂口安吾と正義ある普遍性」と考える。

花村嘉英(2020)「坂口安吾の『肝臓先生』の多変量解析−クラスタ分析と主成分」より

坂口安吾の「肝臓先生」の多変量解析−クラスタ分析と主成分1

1 先行研究との関係 

 これまでに坂口安吾(1906−1955)の「肝臓先生」の執筆脳を「意欲と普遍性」としてシナジーのメタファーを作成している。(花村2020) この小論では、さらに多変量解析に注目し、クラスタ分析と主成分について考察する。それぞれの場面で坂口安吾の執筆脳がデータベースから異なる視点で分析できれば、自ずと客観性は上がっていく。ここでシナジーのメタファーといえば「坂口安吾と正義ある普遍性」を指す。

花村嘉英(2020)「坂口安吾の『肝臓先生』の多変量解析−クラスタ分析と主成分」より

2020年05月15日

坂口安吾の「肝臓先生」から見えてくるバラツキについて9

3 まとめ
 
 リレーショナル・データベースの数字及びそこから求めた標準偏差により、「肝臓先生」に関して部分的ではあるが、既存の分析例が説明できている。従って、この小論の分析方法、即ちデータベースを作成する文学研究は、データ間のリンクなど人の目には見えないものを提供してくれるため、これまでよりも客観性を上げることに成功している。

【参考文献】

大村 平 統計のはなし−基礎・応用・娯楽 日科技連 1984
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
花村嘉英 川端康成の「雪国」に見る執筆脳について−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 中国日语教学研究会上海分会論文集 2019
坂口安吾 肝臓先生 角川文庫 1999

坂口安吾の「肝臓先生」から見えてくるバラツキについて8

◆グループC:情報の認知プロセス(1旧情報と2新情報)
場面1(特性1、0個と特性2、5個)の標準偏差は、公式2により0となる。
場面2(特性1、2個と特性2、3個)の標準偏差は、公式2により0.49となる。
場面3(特性1、0個と特性2、5個)の標準偏差は、公式2により0となる。
【数字からわかること】 
場面1、場面2、場面3を通して、新情報が多いため、ストーリーがテンポよく展開していることがわかる。

◆グループD:情報の認知プロセス(1問題解決と2未解決)
場面1(特性1、5個と特性2、0個)の標準偏差は、公式2により0となる。
場面2(特性1、2個と特性2、3個)の標準偏差は、公式2により0.49となる。
場面3(特性1、1個と特性2、4個)の標準偏差は、公式2により0.4となる。
【数字からわかること】
坂口安吾は、「肝臓先生」の執筆中、場面の最後で問題解決を試みていることから、場面単位で作品の構成を考えている。

花村嘉英(2020)「坂口安吾の『肝臓先生』から見えてくるバラツキについて」より

坂口安吾の「肝臓先生」から見えてくるバラツキについて7

2.2 標準偏差による分析

グループA、グループB、グループC、グループDそれぞれの標準偏差を計算する。その際、場面1、場面2、場面3の特性1と特性2のそれぞれの値は、質量ではなく指標であるため、特性の個数を数えて算術平均を出し、それぞれの値から算術平均を引き、その2乗の和集合の平均を求め、これを平方に開いていく。(公式2)
求められた各グループの標準偏差の数字は、何を表しているのだろうか。数字の意味が説明できれば、分析は、一応の成果が得られたことになる。 

◆グループA:五感(1視覚と2その他)
場面1(特性1、2個と特性2、3個)の標準偏差は、公式2により0.49となる。
場面2(特性1、1個と特性2、4個)の標準偏差は、公式2により0.4となる。
場面3(特性1、4個と特性2、1個)の標準偏差は、公式2により0.4となる。
【数字からわかること】
場面1、場面2、場面3を通して、視覚情報があまり多くないため、「肝臓先生」は、五感の中で視覚以外の情報も重要になる作品である。

◆グループB:ジェスチャー(1直示と2隠喩)
場面1(特性1、5個と特性2、0個)の標準偏差は、公式2により0となる。
場面2(特性1、5個と特性2、0個)の標準偏差は、公式2により0となる。
場面3(特性1、5個と特性2、0個)の標準偏差は、公式2により0となる。
【数字からわかること】
「肝臓先生」は、肝臓炎の患者を救う町医者の意欲を描いた作品であるため、直喩が多いことがわかる。

花村嘉英(2020)「坂口安吾の『肝臓先生』から見えてくるバラツキについて」より

坂口安吾の「肝臓先生」から見えてくるバラツキについて6

場面3

娘の肩に手をかけてこう優しく慰めると、先生は棺の前に端坐して冥目合掌し、「島に病人が待っています。行ってやらなければなりません。あなただけは、それを喜んで下さるでしょう。肝臓医者は負けじ」深く深く一礼を残すと、あとはイダテン走りであった。病院へ駈けつけると薬をつめたカバンをとり、私をしたがえて一散に海へ。A1、B1、C2、D2

三人は小舟に乗った。私は櫂をにぎった。海上で、かなた陸上の空襲のサイレンをきく。それは淋しく、怖ろしいものである。見渡す海に、一艘の舟とてもない。浜に立つ人影もない。風よ。浪よ。舟をはこべ。島よ。近づけ。先生は舟中で娘の掌をきつく握って、手の色をみた。それは先生が肝臓疾患の有無をしらべる時の最初の方法なのである。A2、B1、C2、D2

「やっぱり、あなたもあるようだ。どれ」もはや、先生は肝臓の鬼だ。慈愛の目が、きびしい究理の目に変っている。先生は肝臓に手をあて、強く押して診察した。
「流行性肝臓炎だ。しかし安心するがよいよ。おうちへつくと、じきに治る薬をあげますよ」 ちょうど先生がこう言った時だった。爆音がきこえた。にわかに、ちかづいた。こっちへ来る!A1、B1、C2、D1

アッと思った瞬間に、私は施す術すべもなく、ただ、すくんで、待つばかりであった。「伏せ! 伏せ!」
先生は叫んだ。伏すことのできない私を、怒りをこめて、にらんだ。その先生は伏さなかった。飛行機は私たちの舟をめがけて急降下する。先生はそれをジッとにらんでいる。耳を聾する爆音。すべてが、メチャ/\にひっくりかえった。A1、B1、C2、D2

気がついたとき、私は海上を漂っていた。かたわらに、小舟が真二ツにわれている。娘が歯をくいしばって、浮いている。しかし、先生の姿はなかった。
 そして先生の姿は永久に消え、再び見ることができなかった。遺品の一つといえども、浜に打ちあげられてこなかったのだ。壮烈なる最期である。しかし、あまりにも、なさけない。どうして私が死に、先生が助かることが出来なかったのだろう。A1、B1、C2、D2

花村嘉英(2020)「坂口安吾の『肝臓先生』から見えてくるバラツキについて」より

坂口安吾の「肝臓先生」から見えてくるバラツキについて5

場面2

さて、次に、ひとつ、お願いがございますが、昭和七年満州事変以来、ポツポツ亜黄疸の患者があって肝臓肥大に気付くようになりましたが、その当時はちょッとフシギと思った程度で、たいして気にも留めませんでした。ところが、昭和十二年末ごろから、年々かような患者を見うけることが急速に、かつ、非常に多くなって、殊に感冒患者はほとんど肝臓肥大で圧痛あることが普通のこととなったのであります。A2、B1、C2、D1

そこでこの四五年というものは、アナタも肝臓がわるい、アナタも、アナタも、と言わざるを得ないものですから、あの医者は肝臓医者だ、あそこへ行くと、みんな肝臓にされてしもう、こう言って呆れてほかの医者へ転じてしもう人も多くなりましたが、又一方には、遠路はるばる宿をもとめて肝臓の診察を乞う人もあり、うれしい思いをさせられる折もあります。A2、B1、C2、D2

ちかごろに至りましては流感の患者、肺炎の患者、胃腸の患者の八九十%以上に、肝臓の肥大圧痛が触診されるのでありまして、昭和十二年末から現在まで、二千例あるいはそれ以上かような患者を扱ったのですが、これらを集約して、私は流行性肝臓炎とか流感性肝臓炎とか名づけて然るべき病気ではないかと思っているのであります。A2、B1、C2、D1

支那大陸から持ちこまれた流感に関係があるのではないかと思っております。いずれに致しましても、かように多くの患者に向って、アナタも肝臓である、アナタも、アナタも、と申しましては、患者の中にはインチキと思う人もあり、同業者までインチキ視しまして、あれはフランスの医者であるとか、赤城氏性肝臓炎とか言いふらし、かくては当物療科の名誉を傷け、大先生の御恩にも背き、温泉療養所の先生方の目ざましい功績までも汚すことになるのではないかと心から恐れているのであります。A2、B1、C1、D2

それでお願いと申しますのは、この事実を申上げて篤学の皆様方の御研究の参考になって欲しいと祈るものでございます。謝恩会の席をかりまして、皆々様の御関心御研究をひたすらお願い致す次第であります。
A1、B1、C1、D2

花村嘉英(2020)「坂口安吾の『肝臓先生』から見えてくるバラツキについて」より

坂口安吾の「肝臓先生」から見えてくるバラツキについて4

2 場面のイメージを分析する

2.1 データの抽出

 作成したデータベースから特性が2つあるカラムを抽出し、標準偏差によるバラツキを調べてみる。例えば、A:五感(1視覚と2それ以外)、B:ジェスチャー(1直示と2隠喩)、C:情報の認知プロセス(1旧情報と2新情報)、D:情報の認知プロセス(1問題解決と2未解決)というように文系と理系のカラムをそれぞれ2つずつ抽出する。

場面1
かく観ずることによって、先生は安心を得た。否、かく観ずることによって、その時以来、さらに逞しい闘志に燃えたち、診察を乞う人々のあらゆる肝臓の苦痛をやわらげんものと堅く心に期するところがあったのである。A2、B1、C2、D1

そこで先生は冷静の上にも冷静を重ねて例外なく腫れているモロモロの肝臓をつぶさに観察し、一方に慢性的な進行性と、一方に甚しい伝染性のあることを突きとめた。家族の一人がこの肝臓炎に犯されると、数年のうちに、家族の全員に伝染することも確かめたのである。A1、B1、C2、D1

かくて先生はその由って来たるところに結論を得たが、これぞ戦争がもたらしたイタズラ小僧の末弟の一人だ。コロンブスによってもたらされたスピロヘーテンパリーダが忽ちにして全世界を侵略するに至ったのも戦争のせいである。鎖国の別天地、日本を侵略するに最も多くの時間がかかったとはいえ、ヨーロッパの侵略におくれることたッた六十年で、日本人の鼻を落しているのである。A2、B1、C2、D1

日支事変によって、日本と大陸とに莫大な人員物資の大交流が行われ、大陸の肝臓炎が輸入されてきたのだ。はじめ先生はこれを大陸カゼとよんだ。スペインカゼが心臓を犯したように、大陸カゼは好んで肝臓を犯すのである。元来肝臓炎は風邪に随伴して起りやすいが、肝臓病者がカゼをひきやすくもあるのである。
A2、B1、C2、D1

かくて大陸渡来の風邪性肝臓炎は今や全日本を犯しつつあり、赤城風雨先生の診療室に戸をたたく患者のすべての肝臓を腫れあがらせているほどの暴威をふるうに至っているのだ。
先生はこれを流行性肝臓炎と命名して患者に説明したが、町の人たちにはオーダンカゼと言ってきかせるのが一番わかりやすいことを発見した。A1、B1、C2、D1

花村嘉英(2020)「坂口安吾の『肝臓先生』から見えてくるバラツキについて」より

坂口安吾の「肝臓先生」から見えてくるバラツキについて3

 次にグループe(1、4、4、4、7)について見てみよう。算術平均は4である。それぞれの値から算術平均を引くと、1-4=-3、4-4=0、4-4=0、4-4=0、7-4=3となる。この算術平均から離れている大きさを平均すると、バラツキの目安が求められる。しかし、-3、0、0、0、3を全部足すと0になるため、それぞれを2乗して、9、0、0、0、9として平均値を求め、5で割って3.6を求める。
 但し、元の単位がcmのときに2乗すれば、cm2となるため、3.6を開いて元に戻すと、√3.6 cm2≒1.90 cmというバラツキの大きさになる。従って、グループdの方がグループeよりもバラつきが大きいことになる。
 以下では、標準偏差(1)の公式を使用して、作成した坂口安吾の「肝臓先生」のデータに関するバラツキから見えてくる特徴を考察していく。 

花村嘉英(2020)「坂口安吾の『肝臓先生』から見えてくるバラツキについて」より

坂口安吾の「肝臓先生」から見えてくるバラツキについて2

1.2 標準偏差

 標準偏差は、グループの全ての値によってバラツキを決めていく。グループの個々の値から算術平均がどれだけ離れているのかによって、バラツキの大きさが決まる。
 グループd(1、1、4、7、7)の算術平均は4である。それぞれの値から算術平均を引くと、1-4=-3、1-4=-3、4-4=0、7-4=3、7-4=3となる。この算術平均から離れている大きさを平均してやると、バラツキの目安が求められる。しかし、-3、-3、0、3、3を全部足すと0になるため、さらに工夫が必要になる。
 例えば、絶対値をとる方法とか値を2乗してマイナスの記号を取る方法がある。2乗した場合、9、9、0、9、9となり、平均値を求めると、5で割って7.2となる。但し、元の単位がcmのときに、2乗すればcm2となるため、7.2を開いて元に戻すと、√7.2 cm2≒2.68 cmというバラツキの大きさになる。
 
(1) 標準偏差の公式
σ=√Σ (Xi−X)2/n

花村嘉英(2020)「坂口安吾の『肝臓先生』から見えてくるバラツキについて」より
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花村嘉英
花村嘉英(はなむら よしひさ) 1961年生まれ、立教大学大学院文学研究科博士後期課程(ドイツ語学専攻)在学中に渡独。 1989年からドイツ・チュービンゲン大学に留学し、同大大学院新文献学部博士課程でドイツ語学・言語学(意味論)を専攻。帰国後、技術文(ドイツ語、英語)の機械翻訳に従事する。 2009年より中国の大学で日本語を教える傍ら、比較言語学(ドイツ語、英語、中国語、日本語)、文体論、シナジー論、翻訳学の研究を進める。テーマは、データベースを作成するテキスト共生に基づいたマクロの文学分析である。 著書に「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」(新風舎:出版証明書付)、「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む」(華東理工大学出版社)、「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで(日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用)」南京東南大学出版社、「从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默-ナディン・ゴーディマと意欲」華東理工大学出版社、「計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る」(V2ソリューション)、「小説をシナジーで読む 魯迅から莫言へーシナジーのメタファーのために」(V2ソリューション)がある。 論文には「論理文法の基礎−主要部駆動句構造文法のドイツ語への適用」、「人文科学から見た技術文の翻訳技法」、「サピアの『言語』と魯迅の『阿Q正伝』−魯迅とカオス」などがある。 学術関連表彰 栄誉証書 文献学 南京農業大学(2017年)、大連外国語大学(2017年)
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