2011年05月05日
とあるコミュの困ったトピ
今回、ミクシィ内での「とあるコミュの困ったトピ」について。
ここ数年、ネット上のやり取りなどで真剣に頭に来たってのは昨年12月にネタにした「我が父の伝記
(http://te-koku.seesaa.net/article/172453483.html)」以来ですねぇ。
まずはこの記事を。
ネット上に反原発“バイブル”拡散 専門家「不安あおっているだけ」
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110504/trd11050422140015-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110504/trd11050422140015-n2.htm
確かに私も最初は原発の裏を紹介したサイトかと思いましたが、いろいろ調べてみると記事にもあるように「?」が多く、この様な不正確な反原発の情報が逆効果だとの指摘もありました。
まぁ、これはこれで「誤った情報が含まれている」と認識が改まり、このサイトをバイブル化する危険性を認識すればそれでいい事。軌道修正ができれば、それは(大袈裟に言えば)「成長」と言っても良いでしょう。
しかし、これをバイブルと信じ、間違いを指摘されても当所の考えを何が何でも信じる「成長しない」人がいました。その人物、「愛」とか「感性」とか他人を説得する材料にはなりえないものを根拠に間違いを指摘する人と論戦を交わし、どう見ても破綻した理論を「自分の中では…」と条件をつけながらも、決して間違いを認めない。
しかもその人物、間違いを指摘している人物と彼の土俵であるはずの分野で議論しても、情報量や分析力などで圧倒され、タジタジ状態。それでも「間違いの指摘=批判」と決め付け、批判には愛がないとか、何も生まないとかクソの役にも立たない戯言を続ける。
バカバカしくなったのか、間違いを指摘した人物は退場を宣言しましたが、その人物を信望する妄信者が支離滅裂な擁護をする。見方によっては「今日のところはこの辺で勘弁してやろう」って、新喜劇みたいな面白さもあるかもしれませんが、私にとっては反吐が出るくらいに不快に感じました(笑)。
自分の間違いを認めるのが怖く、詭弁を弄しても逃げまくる教祖と、その教祖を「名の知れた一芸の域にある方」だから尊敬しろ、人脈があるから擦り寄るべき…って、議論のテーマの真偽を語る部分とは違うところで持ち上げる。これって、カルトと同じじゃん。
そのトピに出撃するか悩んでいましたが…直球勝負ではなく、批判を悪と考える人間との議論は何も生まないだろうなぁ。
{a8.net http://books.livedoor.com/item/394967}{a8.net http://books.livedoor.com/item/569273}
ここ数年、ネット上のやり取りなどで真剣に頭に来たってのは昨年12月にネタにした「我が父の伝記
(http://te-koku.seesaa.net/article/172453483.html)」以来ですねぇ。
まずはこの記事を。
ネット上に反原発“バイブル”拡散 専門家「不安あおっているだけ」
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110504/trd11050422140015-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110504/trd11050422140015-n2.htm
確かに私も最初は原発の裏を紹介したサイトかと思いましたが、いろいろ調べてみると記事にもあるように「?」が多く、この様な不正確な反原発の情報が逆効果だとの指摘もありました。
まぁ、これはこれで「誤った情報が含まれている」と認識が改まり、このサイトをバイブル化する危険性を認識すればそれでいい事。軌道修正ができれば、それは(大袈裟に言えば)「成長」と言っても良いでしょう。
しかし、これをバイブルと信じ、間違いを指摘されても当所の考えを何が何でも信じる「成長しない」人がいました。その人物、「愛」とか「感性」とか他人を説得する材料にはなりえないものを根拠に間違いを指摘する人と論戦を交わし、どう見ても破綻した理論を「自分の中では…」と条件をつけながらも、決して間違いを認めない。
しかもその人物、間違いを指摘している人物と彼の土俵であるはずの分野で議論しても、情報量や分析力などで圧倒され、タジタジ状態。それでも「間違いの指摘=批判」と決め付け、批判には愛がないとか、何も生まないとかクソの役にも立たない戯言を続ける。
バカバカしくなったのか、間違いを指摘した人物は退場を宣言しましたが、その人物を信望する妄信者が支離滅裂な擁護をする。見方によっては「今日のところはこの辺で勘弁してやろう」って、新喜劇みたいな面白さもあるかもしれませんが、私にとっては反吐が出るくらいに不快に感じました(笑)。
自分の間違いを認めるのが怖く、詭弁を弄しても逃げまくる教祖と、その教祖を「名の知れた一芸の域にある方」だから尊敬しろ、人脈があるから擦り寄るべき…って、議論のテーマの真偽を語る部分とは違うところで持ち上げる。これって、カルトと同じじゃん。
そのトピに出撃するか悩んでいましたが…直球勝負ではなく、批判を悪と考える人間との議論は何も生まないだろうなぁ。
{a8.net http://books.livedoor.com/item/394967}{a8.net http://books.livedoor.com/item/569273}