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2022年03月15日
誕生日とは?
誰にでもある誕生日。
今日は誰かの誕生日。
たんたんたんたん誕生日。
小さい頃は誕生日が近づいてくるとそわそわして、その日が来るのを指折り数えたものだ。
誕生日の日にはケーキやプレゼントでみんなから「誕生日おめでとう」とお祝いをして貰える、一年のうち誰でもが主役になれる日である。
それはこの年齢になってもじわっと来る特別な日だ。Facebookでも毎年ちゃんと教えてくれる。
自分がこの世に生を受けた日であるがもうひとつ特別な日である事にお気づきだろうか?
それは
一人の女性が母親になった日である。
そう、あなたのお母さんが命懸けであなたを産んでくれた日なのだ。
僕は長男なのでウチの母にとっても初めての出産が僕だった。
ここ数年、僕の誕生日には母に
「今日は誕生日です、僕を産んで頂いてありがとうございます」
と言っている。
僕の誕生日の日にこの言葉を伝えると少し前までは顔を赤くして照れていたが、今年は
「そうやったかなぁ?私があんたを産んだんかなー?覚えてないわー」
と返ってきた。
来年は覚えてくれてるといいが、僕が覚えているからどっちでもいい。
僕は生涯、自分の誕生日に母にお礼を言い続けるだろう。
あなたを産んでくれたその人がいなければあなたは存在していない。
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2022年03月14日
何もしなくていい
父がアルツハイマー型認知症、母がレビー小体型認知症になり、実家に帰る回数が増えるようになった。
だんだん出来る事が減っていく姿を見るのが切なかったし、いつ転倒するか分からない2人をいつもヒヤヒヤしながら見ていた。
実家に帰らない時も妹が仕事で居ない時は心配で心配で堪らなかった。
ある日、妹が仕事でいない日に実家で父、母、僕の3人でいる時、父が僕に「水」と言った。
僕はコップに水を入れて父に渡した。
すると父は僕に「ありがとう」と言った。
それから父と母は昼寝をして、その2人の寝顔を見て
僕は今までずっと父と母に何かをしなきゃ、何かしなきゃと思っていたけど、僕は何にもしなくていいんだ、ただそばにいればいいんだ。
と感じた事があった。
水と言われたら水を持って来る
背中が痒いと言われたら背中を掻く
足が痛いと言われたら足を摩る
冷やし中華が食べたいと言われたら冷やし中華を作る、または買って来る
買い物に行きたいと言われたら買い物に連れて行く
母が「部屋の中に蛇がいる」言ったら「蛇なんていないでしょ!」と言わずに「蛇がどこにいるか教えて」と一緒に蛇を探すと「居ない」「気のせいか」と母は思う
そう言った感覚で父と母に接するようになると随分気持ちが楽になった。
親の介護ってついあれをしなければ、これをしなければと常に何かを探しがちになって、介護する側か疲れ切ってしまうこともあるけど実は
あなたの親は「あなたがただそばに居てくれるだけでいい」と思っているかもしれない。
2022年03月13日
えっ、Sam Cooke聴いてるの?
時は昭和最後の年、たくさんの夢を抱えて東京に出て来たもののサラリーマン生活に耐えられなくなり挫折。
なんのあてもないので「an」だったか「FROM A」だったかを見ながらあるひとつの募集に目が止まった。
「ガラスの窓拭き」だ。
あなたも街でビルの上からロッククライミングのようにガラスを拭きながら降りてくる人を一度は見たことがあるのではないだろうか?
そう、あれだ。
なぜガラスの窓拭きをしようと思ったのかは全く分からないが、とにかく作業時間が短いのにお給料が良かった。
研修で社員の方が「窓ガラスの無いビルは無い」と言う言葉は今でも覚えている。
渋谷の高層ビル、原宿のブティック、品川のマンションや、横浜のレストランでは窓ガラスが少しでも汚れていると綺麗な景色が半減するので店長さんが窓拭きをしている現場に立ち会い「ここが残ってる、あ、ここが残ってる」と厳しいチェックを受ける現場もあった。
夏は日差しの照り返しがキツく、冬は極寒だったが、春と秋はとても快適だった。
僕は中学生、高校生とバンドを組み、当時はBOØWY、HOUND DOG、EARTH SHAKERなどを演奏していた影響でほとんど日本の音楽を聴いていた。
しかしある日、何故か分からないけど急に「SOUL/R&B」が聴いてみたいと言う気持ちになり近所の貸レコード屋へ。
「SOUL/R&B」コーナーでLPレコードを何枚か見てもあまり曲も名前も知らない人ばかりなのでジャケットにビビッときて手にしたのが
Sam Cooke – Live at the Harlem Square Club 1963
家に帰ってこのレコードに針を落としたら、あまりの衝撃で僕は動けなくなった。
なんだこれは…
それからSOUL/R&Bの世界にどっぷりハマって行く事になる。
当時僕がいたガラスの窓拭きのバイトはお昼ご飯を食べるとビルの踊り場などでみんな昼寝をしていた。
いつものようにお昼ご飯を食べてWALKMANで音楽を聴きながら「さて、昼寝をしよう」と思ったら同じグループになったばかりの鈴木さんがニコニコしながら
「何聴いてるの?」と声を掛けてきたので
僕が「Sam CookeのLiveです」と言ったら鈴木さんの表情が一変し真顔で
「えっ、Sam Cooke聴いてるの?ちょっと聴かせてもらっていいかなあ?」
と言うので「ああ、どうぞ」とWALKMANを渡すと鈴木さんは座ったまま真剣な表情で時に体でリズムと取りながらずっと聴いていたので、休憩中に僕のWALKMANは返って来なかった。
休憩が終わり鈴木さんが僕にWALKMANを持ってきた時「ごめん、ずっと聴いて。このアルバムは初めて聴いたわ、すごいな」とやや放心状態であった。
そして鈴木さんが僕に「今度良かったらウチに来て音楽の話しながら飲まない?」と言った。
この日から僕と鈴木さんの新しい音楽の旅が始まる。
2022年03月12日
父の運転免許証を返納せよ3
父「買い物行こうか」
母「買い物行くってどうやって行くん?」
父「どうやって行くんて車で行くんよ」
父は昨日の事を覚えていなかったのだ。
母「昨日運転免許証返したやん」
父「はあ?返しとらんよ」
昨日発行された運転免許の取消通知書を見せても「警察はこんなもの作らん、アンタが作ったんやろ?」と言った感じだ。
昨日の喜びと感動に包まれた本当に幸せな一日とはいったい何だったのか。
62年間無事故無違反のまま終わったのに、これで無免許のまま運転されて事故を起こしたらたまったものではない。
こうなったら妹が仕事に行く時に車の鍵を持って行ってもらい、物理的に車に乗れない状況にするしかない。
車の鍵が無い事にイライラして歩いて車まで行き、そこで転倒してまた頭を打っても、大腿骨頚部骨折しても仕方がない。車の運転だけは絶対に阻止しなければならないのだ。
妹が仕事の日は物理的に運転出来なくなったのだが、次は僕が実家に帰っている時の対応である。
父は買い物や病院に行こうかと言うと自ら車の鍵を取り車に向かうので、その度に「今日は僕が運転するよ」と言ったり、それまであまり運転してなかった妹が「運転の練習をするから助手席に乗って」と言うと助手席に乗るようになった。
「今日は」僕が運転する。
「今日は」助手席に乗って。
「今日は」母と後部座席に乗って。
と言うと「また?運転せんと感覚を忘れるわ」と言いつつもしぶしぶ運転席以外に乗ってくれるようになった。
僕らは決して怒らず、声を荒げる事もなく父を運転席以外に穏やかに誘導する生活を3週間ぐらい続けたら
父は運転すると言わなくなった。
父の運転免許証を返納せよ2
2020年10月27日、父を連れて自動車学校へ
アルツハイマー型認知症と診断された以上、もう運転免許証の更新が出来ない事は確定している。
しかし、父にそのことを少しでも理解してもらう為に敢えて試験を受けてもらった。
しばらく待つと係の人から呼ばれ、試験結果の結果が告げられた。
「運転免許証の更新が出来ません」
そう言われた父はしばし呆然とし、何が起こったのか分からない様子だった。
前回までは自動車学校で新しい運転免許証用の写真を撮り、更新されたピカピカの運転免許証をニコニコしながら持って帰っていたのに、初めて不合格通知を持って帰ることになった。
家に帰り、やや重たい雰囲気で昼食を済ませ「父に言うのは今日しかない」と僕は覚悟を決めて
「免許の更新が出来なかったから今日免許を返さないといけない」
と父に言った。
そう言われた父は「えー!何で?」と今にも泣き出しそうな表情であった。
それは今まで大切に大切にしていた大事な宝物を取り上げるようだった。
辛さをグッと堪えて「今までいろんな所に連れて行ってくれてありがとうございました、62年間無事故無違反は本当に凄いことです、無事故無違反のまま終わろう」と言ったら少し間を置いて父はようやく首を縦に振った。
それから警察署へ行き運転免許証返納の手続きをした。
そして実家で少し早い夕飯をみんなで食べた。
この時、父はとっても明るかった。
それとも無理に明るく振る舞ってたのかな?
僕らに課せられたラストミッションは「父が大好きな車の運転を62年間無事故無違反のまま終わらせる」であった。
これでミッション完了である。
夕食を済ませ、父と母が2人きりになった時父が
「62年間無事故無違反で終われたのはさっちゃんのおかげだ、ありがとう」と言って母は涙したと言う。
母も「あんな事言ってくれると思わんやった」と嬉しそうだった。
喜びと感動に包まれた本当に幸せな一日だった。
しかし次の日、父が母に言った衝撃の一言に僕らは凍りついた。
つづく
2022年03月11日
父の運転免許証を返納せよ
2020年10月、我が家はある問題を抱えていた。
父の運転免許証の更新である。
父は仕事でもプライベートでもよく運転していて車と車の運転が大好きだ。
そんな父がこの年の6月、路上で後ろ向きに転倒した際に後頭部を打ち、救急車で病院に搬送された。
担当した医師は「脳から少し出血がありますが、転倒して頭を打ったから出血したのか、出血したから転倒したのか、どっちが先か分からない」と言っていた。
父は普段の会話は成立し、昔の事は事細かに覚えているのだが、朝ご飯を食べてしばらくすると「ご飯はまだか?」と言ったり、さっき買い物に行ったのに「買い物行こうか」と言うようになり、とにかく新しい出来事を忘れるようになっていた。
高齢者の運転免許証の更新はまず、指定の医療機関で講習予備検査(認知機能検査)を受けなければならない。
僕が父に「運転免許証の更新に病院の許可が必要になった」と伝えると、運転免許証の更新に必要なら仕方がないと思ったのか「じゃあ行こうか」と市内にある病院へ。
椅子とテーブルが置かれたカウンセリングルームに通され検査が始まった。
看護師さんから「今日は何月何日何曜日ですか?」と聞かれると「今日?何日やったかなあ?」と僕に聞いて来たり「ここはどこですか?」と聞かれると「どこでも良かろうが」と徐々にイライラして来て、「少し前にお見せした3つの絵を教えて下さい」と聞かれると「そんなん知るか!帰る|」と声を荒げた。
父をなんとか宥め、医師の診察を終えて帰宅。
それから数日が経ち、検査を受けた病院から封筒が届いた。
その封筒を開けてみると
アルツハイマー型認知症と書かれてあった。
この事実を父に伝えないといけないのだが父は認知症だとはこれっぽっちも思っていない。
僕らが言っても「何を言ってるんだ、違う」と言うので父が信頼している循環器内科の主治医だったら事実を受け止めてくれるのではないかと思い、病院に相談してみると
「主治医からお父様にあなたは認知症なので車の運転は控えた方がいいと言ってお父様がその時分かりましたと言っても次の日には忘れていると思います」
と言う事だった。
僕らは空を見上げた。
つづく
2022年03月10日
彼女の謎とは?
ウチから最寄り駅まで徒歩10分少々。
朝、久しぶりに駅まで歩いていた。
普段10分少々歩く事がほとんどない僕だけど、東京で生活していたので歩くのが早いと言われていた事もあった。
途中喉が渇いたので、自販機で缶コーヒーを買っているとスーツを着た若い女性が僕の横を走って行った。
「乗りたい時間の電車がギリギリなのだろうか?」
「間に合うといいな」
と思いながら缶コーヒーをバッグにしまい再び駅まで歩く。
すると、さっき僕の横を走っていった若い女性と信号待ちで一緒になった。
信号が青になり、若い女性は再び走り出し、僕はまた歩き出す。
ここで異変に気付く。
確かに彼女は走っているのに歩いている僕の方が次の信号まで先に着いてしまったのだ。
「何かがおかしい」
信号が青になり再び僕は歩き出し、彼女は走り出した。
「この謎を解かなければ」
と思い、僕は一旦止まって靴紐を結ぶフリをして彼女を見た時、ついにその謎が解けた。
彼女は前ではなく上に飛びながら走っていたのだ。
常に上に飛んでいるので歩幅が極端に狭い、だから歩いている僕の方が早いんだ。
ようやくその謎が解けた僕は再び歩き出すとまた彼女を抜いた。
僕が先に駅に着いて切符を買いながらふと駅の入口を見たら
彼女が走って改札に向かっていた。
2022年03月09日
DLB レビー小体型認知症 私論2
母に幻視が見えるようになって、月に一回行く腎臓内科へ
この日は僕が付き添いで行っていて一緒に診察室に入り、診察を終える時母が先生に
「先生、最近家の中で人や動物や虫などが見えるんやけど、この人(僕)は見えんて言うんですよ」
と言うと先生は
「あー、例えばテレビに俳優さんが出ていて場面が切り替わったら一般の方はその俳優さんは消えるんだけど、あなたはそれがしばらく残ってしまうんです」
「そう言われる方は結構いらっしゃいますよ」
「あなただけじゃないです」
と言われた母は
「私だけじゃないんだ」
と少し納得した様子だった。
僕らには見えないけど母にはたしかに見えてるのだ。
それからまた部屋で人や動物や虫がいると言っても「そんなのいないでしょ!」と頭から否定するのではなく、例えば「カーテンに蛇がいる」と言ったら「蛇がいる?来て来て、どこに蛇がいる?」と母と一緒にカーテンを見ると「あら、おらんわ」と納得し、落ち着くようになった。
カーテンは下の部分の波の形に見えるところが蛇に見えたり、壁のシミなどが虫に見えたりするようだ。
四六時中あれが見えるこれが見えると言うわけではないので、言われたら一旦受け止めては返すの繰り返しをしている。
それから数日が経ち、母が窓の外を見て驚いた顔で
「見てん!象が歩きよる」
と言ったので僕は反射的にスマホを取り出し電話をして
「もしもし、ウチの外に象がいるんですよ!えー!そうなんですか、はい、分かりました、よろしくお願いします」と言って電話を切って
母に「アフリカンサファリから象が逃げて職員全員で探してたんだけど見つからなかったんだって。これから引き取りに行きます、ご連絡ありがとうございますって」と言ったら母は
「良かったぁ」
と言って嬉しそうにお茶を飲んでいた。
2022年03月08日
緊急メッセージ
2022年03月07日
DLB レビー小体型認知症 私論
レビー小体型認知症をご存知だろうか?
現在、アルツハイマー型認知症、レビー小体型認知症、脳血管性認知症が三大認知症と言われおり、レビー小体型認知症はアルツハイマー型認知症に次いで2番目に多い。
僕の母はレビー小体型認知症である。
一昨年の夏、僕が実家に帰った時母が廊下に殺虫剤のを撒いていて「どうした?」と聞いたら「虫がいっぱいおるじゃー、アンタ見えんの?」と言った。
しかし、この時虫は一匹もいなかった。
それからたまにであるが「部屋の中に小さな女の子や猫や蛇や魚がおる」窓の外を見ると「象やキリンが歩いとる」と言うようになった。
これが「幻視」だ。
レビー小体型認知症の症状はいくつかあるが、僕の母はこの「幻視」と「突進歩行」がある。
ある日、母に電話をしたら暗めのトーンで「私は裏切られた」と言うので、僕が「どうした?」と聞くと
「お父さんが彼女を連れてきて一緒に寝とる」と言った。
それから母の幻視に対して様々な工夫をするようになる。
つづく